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女とは

哲学的な100の質問』のつづき。
なんのこっちゃと言う方は、一番最初のこちらの記事をごらんください。

009.女とは?

むずかしい。でも、なんかこねくり回してでも、消化?昇華していきたいとおもっているもの。性別をわたしはなかったことにできないというか、性別なんてどうでもいい関係ないと言い切れない(どんなに思おうとしても難しい)人間なので、自分なりの飲み込み方をしたいってそうおもってはいる。今できてないけども。
わたしにとってそういうもの。

ほとんどのことは「男とは?」のほうで間接的に語ってしまったので、あと、思いつくところを書いていく。あんまり力が入ると逆に嘘くさくなったり、触れられなくなってしまうので、気負わない。たぶん、今はまだ整理がついてないので、うまく話せない事柄なのだ。

わたしは大学受験のとき、志望してた大学に落っこちまくって、女子大に一個だけ受かっててそこに行ったのだが、最初は女があんまり好きじゃなかったのもあって、どんよりしていた。(なら受けるなよ、と皆思うだろうし、わたしもさんざん思った。なら行くなよ、と皆思うだろう、だけどわたしは浪人する勇気がなかった)しかも、入学してすぐにわりとほんとうに彼氏がどうのみたいな話がいっぱい聞こえて来て、それも本当にドズーンとなった。でも、そのときは何より「自分」がなかったのだ。だから、外にすごい影響されちゃってて、いいと思えるものが外にあったらよいものな気がしたし、よくないと思えるものがあったらよくなくなってしまっていた。
でも、わたしが女子大に行って気づいたのは、「女はさまざま」ということだった。
なんだろう、それまででも気づけたはずなのに、その時期により一層気づいた。
今までの人生では会わなかったようなタイプの生まれた性別が女なひとたちに会って、なんだかちょっとずつ解けていった。
あと「性」のことについて色々学んで、色々なんだ…って知識的にも実感的にもおもうようになった。

会社の友達に、女にちょっと複雑な思いを抱いてる話をしたら、「女なんてコスプレだって思えばいいんだよ」と言われて、それもまた心が軽くなった。

中高の頃はかたくなに女っぽいものが好きじゃなかったが、社会人時代に友達の影響でアイドルが大好きになった。女の子ってすごく可愛いな、可愛いっていうのもすごくいいなとおもいはじめた。アイドルは可愛いだけじゃなくて、すごく、意思の力みたいなのもいいなとおもったのだ。泣きそうなもろい弱さもあるなかで、こうあろうとする強さみたいなものが光っているとき、本当に尊い。

「男とは?」の質問のところでも書いた、「女」を強く感じる人が苦手だと感じる話のつづき。
これを「女」って呼ぶことがわたしの偏見とおもうのだが、なぜかよくわからないがそう思っていたので、そのまま書くことにする。
「女」が強い人は、すごく身内に優しい。情が深いとも感じる。でも、敵だと認識した相手には一転、辛く当たる。その身内側のひとが「〇〇さんは本当は優しいんだとおもう」とか言う言葉を何回か違う場面で聞いたのだが、それはそのひとが中に許されてるからであって、外の人間にはちがう。「優しい」は一面で正しいだろうけど、「本当は優しい」はどうかなとおもってた。
わたしは結構「女」の部分を持った人のことを好きになる。その強烈さにとても惹かれる。でも、その「優しい」が自分に向けられてる時でも、この人は敵になったらわたしをボコボコにするんだろうという認識をうっすらと持ち続けている。
だから、好きだけど苦手だ。
「女の子」はなんかそのへんが曖昧で、嫌いなひとにも、あんま強く出ない。そこらへんがほっとする。
わたしはほんとうは、嫌いな相手も人間とし
て尊重するひとが好きだ。
反転したときにもボコボコにしないだろうと思える相手のそばで、ほっとしていたいとおもう。

ふうか氏が生まれてきたとき、「女でよかった」と思えて、女の子を迎える準備ができていたんだとおもって、その変化に自分でよかったなあとおもったりした。

育てれば育てるほどに、今のところふうか氏は「ふうか氏」として強く成長している。
でも、この先女であるがゆえに待ち受けることのことをどう回避できるかは、よく考えたりする。
それは性犯罪の被害にあわないようにするためにはどうしたらいいかということだったり、ほかにもいろいろ。ふうか氏が悲しい目にあうのは絶対に嫌だ。
社会は少しずつだけど、確実にいい方向に変わってきていると思う。
性別問わず(そして男女にあてはまらないひとも)生きやすい世の中になったらいいとおもうし、わたしもできることをしていかないとと考えたりする。
最近思うようになったことがあって、わたしは、あんまり女を好きじゃなかったから、女のために怒れなかったところがあるんじゃないかなって。
どこかで無意識に、男尊女卑のような何かが根付いててもおかしくないっておもう。そういうものだとおもってて、そういうものな「女」が嫌だと思っていた。みたいな。
――「女」はそういうものじゃない!!
って怒れてたら、怒るんじゃなくても「違う」とはっきり思えていたら。
そういう声がわたしのいいと思う「女」を、わたしの中に位置づけていくことに、つながっていくんじゃないかなあって。
今はあんまり「女」を嫌いじゃなくて、結構いいなあとおもってるんだ。
いろんな思いがレイヤーのように重なってそう思っているから、一言では言えないんだけど。

全然関係ないけど、鬼滅の刃の2巻で、選別のときに倒した鬼が差し出した手に、炭治郎がそっと手を重ねるシーンがあったんだけど、それを読んだときに、すごく女性的な感性をもった作者だなと感じた。なんでそれを「女」性的と感じるのだろう、呼ぶのだろう。それも偏見なのかなっておもうけど、そう感じた。そして、それはわたしが好きだと思う「女」の部分だなっておもった。
おかしいね、上の文章でわたしは、「女」を強く感じる人は敵を排除するところがあると書いているのに。

なんかでも、ごった煮なんだ。矛盾をはらんでいる。さまざま。でも、そこがいいと感じる。
いつか性別が「女」な主人公の話を書きたいんだけど、そのときに少しでも昇華していたいな。もちろん「人間」だよ。でも、そのうえで。

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文章を先に書いてたんだけどなんかいまいちしっくりこなくて、先に絵を描こうかなって紙に向かっていた。女の子を描こうとおもってたんだけど、なかなかこれというのが描けず。やっぱり文章書き終わってから描こうと思って、いざ日を改めて文章書き終えたら、なんか「女の子」って感じじゃないなとおもったので、「ごった煮の心」を描いてみました。最高にわけわからんけど、抽象画は、こういう形あるものじゃ表現できないものを外に出したいときに描くものなのかなって、おもったりした。普段、あんまり描かないので。
今は、文も絵も、うまくかくことよりも、外に出すことを試みたいときなのだ。それでうまく表現できなくても、奥底の気持ちまで届かなくても、それそのものに手を伸ばすことが、今のわたしには必要な気がしている。なんとなく。

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