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時間とは

『哲学的な100の質問』のつづき。
なんのこっちゃと言う方は、一番最初のこちらの記事をごらんください。

010.時間とは?

時間とは気づいたら過ぎ去ってしまうもの…。
ふうか氏を幼稚園に送ってから、いろいろ掃除とか食器とか洗ってたりしたら、もう気づけば昼の12時である。昼ご飯をつくって食べたら、あっという間にお迎えの時間。
とても流れが速い。

でも、流れがゆっくりのときもあった。
小学校のとき、高校生のとき、大学生のとき。
社会人はあっという間だったし、なんなら朝起きた瞬間から早く寝たいな…と考えて、時が早く流れてくれないかなとおもっていた。いや、仕事は楽しかったんだけど、しんどかったので。
今もそうかもしれない。朝起きた瞬間から、夜ゆっくり眠れるときのことをうっすらと考えている。
流れがゆっくりのときはそれがちがったのかな。

あ、でも数年前NYで暮らすことになり、行ってすぐしばらくネット環境がなかったとき、慣れない町で過ごす時間はとても長く感じた。
たった15分外を散歩するだけで、1時間は冒険をしたように感じてた。
情報が多すぎてしかも省略ができなかったんだとおもう。どれを警戒して、どれを流していいのかわからなくて、五感をフルに使ってすごく疲れた。
ネットがなくて仕事にもいかない時間は、相当に時間をもてあましていて、あと1時間あるなあって、ひとつ4コマを描いて、まだあるなあってもうひとつ描いた。
あの時間もすごく贅沢だったなあっておもう。
焦ってると、時間の流れはとても速くなるのかな。

児童文学の『モモ』。エンデの書いた、時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にかえしてくれた女の子のふしぎな物語。
今でも覚えてるんだけど、小学校の頃、読書感想文に、わたしは灰色の男たちの気持ちもすごくわかる…みたいなことを書いたことを覚えている。
ストーリーもうろおぼえオブうろおぼえなんだけど…。
ひとから時間を奪う灰色の男たち、でもそのおおもとが怯えのようなものからきているの、なんかすごく印象的だった。

携帯を見てると時間はあっという間に過ぎてしまう。
紙の本だともう少しゆっくりな気がする。
テレビも同様にはやい。でも、テレビは時間の主導権があっちにありすぎて、今のわたしにはなかなか見れないものになってしまっている。(ゆっくり見てられないんだろうな、ということはこれも焦っているのか)映画館だと観れるんだけど。
携帯の情報は細切れなはずなのに、膨大で、あっという間に脳のキャパのようなものを消費してしまう。
『今』という事柄を扱うだけで強い娯楽。

この間実家の押し入れにあるマンガたちを整理したのだけど、らんま全巻とかキャプテン翼全巻とか色々あって、前は「いつか読み返したいなあ」とおもっていたのだけど、こないだは「読み返す時間がないな」とおもってしまった。
あれもこれも全部は、もう読み返せないなって。
そんなに時間ないなっておもってしまった。
もちろん何度も読み返す本はあるんだけど(そしてその本たちは新居に持ってきました)、もう選択していかないと全部は持ってけないなってわかってしまった。
結構これは変化だったように感じた。

わたしには「黄金の時間」と呼んでいる時間があって、それは小学生だったり、高校生だったり、大学生だったり、社会人だったり、ふうか氏と遊んでいたときだったり、そういう時間の「忘れられない時間」のことだ。絵のように、思い出が残っている。
そのときの時間はふつうの、何分とか何時間でははかれないような価値があって、重さがある。
そのとき、時間はとてもゆっくり過ぎていた気がする。
そして、五感がものすごく働いていた気がする。一番強いのは視覚だけど。そのときの空気みたいなものも、なんとなく自分のなかに残っているのだ。

あ、あとNYに住んでいた頃、『時差』がとても印象的だった。日本とNYはほぼさかさまで、NYにいるわたしが朝を迎えたとき、日本のみんなは夜を迎えようとしていた。だから、わたしは自分のなかにふたつ時計を持つようになって、何かを考えるときに、ふたつの時間を両方意識することができた。
今はNYの時間がどんどん遠のいていくのを感じる。
でも、ふうか氏のお友達とテレビ電話しようとしたりするとき、ふたたびその回路とつながる。

時間ははやく過ぎたり、ゆっくり過ぎたりする。
でも、なんだかわたしは最近とにかく内心焦ってるんだろうな…ということがこの記事を書いていてわかった。
行動としてはとてものろのろまったりとやっているつもりなのだが…。
なんだろうね、『何かしなくてはいけない』みたいな強迫観念に追われているのかな。

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とか色々考えてたら絵もネガっぽい絵になりました。
全然物が捨てられないくせに、ときどき全部捨てたくなっちゃう、その全部捨てたくなっちゃうときの気分みたいな絵。
これ最初は「ずっと壊してやりたかったわ、こんなもの」にしてたんだけど、途中でセリフを変えてみました。
時間は自分にも優しく、あたたかなときがあって大切なものだったのに、気づいたら急かされるばかりで時間は敵になってしまった。敵にしてしまった。自分が。
なので気づくか分かりませんが、一滴、涙も描いています。
なんだろうね、時間となかよくしたいなっておもう。
時間が解決してくれたものもあるしね。ずっと『今』だけだったら、そういうのはありえない。
ふうか氏もいつか大人になるかな。そのときまで生きてたいな。この道の先。
そんなにたくさんのものを持っていく必要はないのかもな。

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