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元町有楽名店街について調べたこと

はじめに

神戸市在住のTowersと申します。
はじめましての方もいらっしゃると思いますので、少しご挨拶を。

私は2016年ごろから、趣味の一つとして、全国の地下街巡りをはじめました。
主に訪れていたのは、昭和30〜50年代、高度経済成長期に建設された地下街で、入口にあるレトロな看板や昭和の雰囲気に惹かれて、5年かけて約100ヶ所の地下街を巡りました。

地下街への招待 B1 [特集]金沢都ホテル地下街

そして2021年、『地下街への招待 B1』というZINEを自費出版しました。
地下街巡りをはじめるきっかけとなった、石川県金沢市のブラザービル地下街や、三重県桑名市の桑栄メイト地下飲食街(現存せず)、東京都大田区の大岡山地下飲食店街など22ヶ所を掲載しています。
特集では、2017年3月に閉館した金沢都ホテル地下街を取り上げました。

この本は当初から、B1とB2の2冊で完結する予定で出版したものです。
B2の特集では本来、富山県のとある地下街を取り上げる予定でした。
しかし、当時の資料が膨大にあり、また特集に割く予定のページ数では収まらないほど中身が濃いものだったため、別の形で出版した方がいいのでは?と思い、見送ることにしました。

B2の特集内容が白紙になり、どうしようかと悩んでいたとき、「そういえば…」と思い出して訪れたのが、阪神電鉄・元町駅に隣接する有楽名店街です。
初めて有楽名店街を訪れたのは2018年。常連さん向けのスナックがメインの地下街だったので、当時は入店する勇気がなく、通り過ぎるだけでした。

2019年に訪れた際の様子。この頃はまだ入店する勇気がなかった。

「あそこなら何か聞けるかもしれない」と思い、初めて有楽名店街のお店に入ったのが2022年11月。初入店に選んだのは、ガラス張りで中の雰囲気を外から確認できて入りやすそうだった『樽生ワイン カベルネ』さんです。お姉さんからおしぼりを受け取った後、衝撃的な一言を告げられました。

通路のちょうど真ん中辺りにある、『樽生ワイン カベルネ』さん。
生ビールとおつまみ。

「お兄さん、この地下街初めて?来年9月に閉鎖する予定だから、写真撮るなら今のうちだよ〜」

その言葉を聞いて、有楽名店街をB2の特集として書くことを決意しました。
有楽名店街にはどんな歴史があり、どんな場所だったのだろう?
ネットには詳しい情報がなかったので、当時営業していた全てのお店を回り、店主の方や常連さんからお話を聞いたり、図書館で文献を調べたりして、2023年1月、『地下街への招待 B2』を出版するに至りました。

地下街への招待 B2 [特集]元町有楽名店街

前置きが長くなりすみません。
今日が9月12日。全店舗の撤退まで残り3週間を切りました。
それまでに、何本かの記事を投稿したいと思っています。

今回は、阪神電鉄・元町駅の開業から有楽名店街の誕生、現在までの流れをまとめてみました。何かの参考になれば嬉しいです。

※ここから先の内容は、『地下街への招待 B2 [特集]元町有楽名店街』に掲載した文章を加筆修正したものです。

※写真の無断転載・無断使用を固く禁じます。無断転載された場合は、使用料とあわせて損害賠償金を請求させていただく場合もございますのでご了承ください。


有楽名店街の概要

神戸市中央区にある元町駅。高架上にJR西日本、地下に阪神電車の駅があります。写真は東口です。

 阪神電鉄・元町駅、その東改札口と西改札口を結ぶ地下通路にある地下街が、有楽名店街です。きっぷうりばや自動改札機から少し奥まった場所にあるため、普段元町駅を利用している人でも、意外と知られていません。

階段を下りて、
改札の横を通り抜けた先に、
有楽名店街の入口があります。

 全長120mの通路の両側に、和風、洋風、石造りの壁…個性的な外観のスナックや飲食店などが所狭しと並んでいます。最盛期には約50店舗が営業し、肩がぶつかるほど人であふれかえっていたという有楽名店街。現在営業しているのは数店舗と、かつての賑わいを見ることはできません。しかし今なお、この地下街の雰囲気と魅力に惹かれ、足繁く通う常連さんやファンの人たちが数多く存在します。

最盛期には歩くのもままならないほど人であふれかえっていたという、有楽名店街の通路。
西口から東口を眺める。
西口の案内看板。
全店舗の正面写真。和風、洋風、石造りの壁…個性的な外観が並んでいます。
左上から3段目の右端までが北側、4段目左端から5段目右端までが南側です。

元町駅開業までの流れ

三宮駅付近で撮影された地下隧道の様子
※『輸送奉仕の五十年』阪神電気鉄道(1955年)より / 神戸市立中央図書館 所蔵

 満州事変が起こった1931(昭和6)年ごろから、第二次世界大戦が始まる1939(昭和14)年ごろまで、阪神電鉄は大阪・神戸への地下乗り入れ工事を次から次へと進めていきました。そのトップが、神戸市街地における地下線工事です。当時、岩屋〜三宮の区間は併用軌道、いわゆる路面電車方式だったため、阪神電鉄と同じく大阪〜神戸間を結ぶ省線(後の国鉄路線)や阪神急行電鉄(阪急)神戸本線よりも速度が遅く、スピードアップが求められた時代でした。

開業当時のホームの様子。
※『輸送奉仕の五十年』阪神電気鉄道(1955年)より / 神戸市立中央図書館 所蔵

 1929(昭和4)年に御影付近の高架化を完成させた後、1933(昭和8)年6月、岩屋〜三宮の2.9kmの区間に、念願の地下隧道が開通します。この開通により、併用軌道を廃止。特急列車の運転を開始したことで、大幅なスピードアップを実現させました。さらに翌年3月、湊川への延伸が予定されていた山陽電鉄線との接続を図るため、またライバルである阪急への対抗策として、三宮〜湊川に至るまでの免許を取得。その路線の暫定的な終着駅として、1936(昭和11)年3月18日、地下二階式の元町駅が開業しました。

開通当時の西改札口。アーチ状の柱は、現在でもその名残を見ることができます。
※『輸送奉仕の五十年』阪神電気鉄道(1955年)より / 神戸市立中央図書館 所蔵
現在の西改札口。ほぼ同じアングルから撮影してみました。

軍需工場になった元町駅

 開業から数ヶ月が経った頃、元町駅の真上に、元町阪神会館(現在の阪神ビル・ウインズ神戸A館)が竣工します。延床面積・千坪、五階建ての豪華な建物で、関西最初のニュース映画館をはじめ、食堂や喫茶室などが開設されました。

元町阪神会館の夜景。阪急への対抗策として高頻度運転をウリにしていた時代で、
"またずにのれる"のキャッチコピーが掲げられています。
※『輸送奉仕の五十年』阪神電気鉄道(1955年)より / 神戸市立中央図書館 所蔵

 しかし太平洋戦争末期、軍需工場の疎開先として元町〜三宮間の地下隧道が指定されたことにより、1945(昭和20)年3月28日から鉄道の運行がストップ。元町駅は閉鎖される事態となります。阪神電鉄の社史・『輸送奉仕の五十年』の中でも、元町阪神会館について「戦時中は白いタイル張りの外装をはがして灰色にカモフラージュし、末期には全館あげて地下隧道もろとも軍需工場や工員の宿舎に使用された」という記述が見られました。

 その後、1945(昭和20)年11月に運転が再開され、元町阪神会館も、本来の姿を取り戻します。そして終戦から間もない1947(昭和22)年1月1日、元町有楽名店街の前身である、阪神メトロ街が開業しました。

阪神メトロ街の時代

 1956(昭和31)年発行の住宅地図・生田区版によると、阪神メトロ街には喫茶店、美容室、居酒屋、バーのほか、ビリヤード場や雀荘、ダンスホールなどの遊戯施設も存在していたことが確認できます。

 しかし治安は芳しくなかったそうで、1959(昭和34)年6月6日付けの神戸新聞の記事では、阪神メトロ街について次のように触れています。「この地下道は戦時中防空ゴウ、戦後は浮浪者のネグラとなり、数年前まではヤミ商店街となっていた」実際、当時の様子を知る地元の方にお話を聞いたところ、寒さを凌げることからルンペン(ドイツ語で浮浪者の意味)が集まりやすい環境となっており、通路で何度も死体を見かけたことがあったそうです。

 せっかくの地下道を放置しておくのはもったいない。こうした思いから、阪神元町地下有楽店街建設促進会が発足・土地を買収。1958(昭和33)年11月から工事が始まり、ついに有楽名店街が誕生します。

開業数日前の有楽名店街。当初は天井に配管や照明などが設置されておらず、すっきりとした印象。
※1959年6月6日 神戸新聞 朝刊 阪神版 10面より
各年代の店舗配置図。拡大してご覧ください。
※全産業住宅案内図帳(生田区)とゼンリン住宅地図(中央区)の資料をもとに筆者作成

有楽名店街の誕生

 1959(昭和34)年6月8日、有楽名店街が開業の日を迎えました。"有楽名店街"という名前になった理由については資料がないそうで、今となっては、その真意は分かりません。
 ここからは推測になりますが、有楽名店街開業の2年前、有楽町そごう開業のキャンペーンソングとしてリリースされた、フランク永井の『有楽町で逢いましょう』が大ヒットします。このフレーズは当時の流行語となり、有楽町の地名を全国的に浸透させるきっかけになりました。闇市の面影が徐々に消えはじめ、映画館や劇場などの娯楽施設が次々に完成し、復興を成し遂げた有楽町。阪神メトロ街も娯楽を充実させることで、有楽町のような賑やかな場所にしたい。"有楽名店街"という名前には、そんな思いが込められていたのかもしれません。

店舗の位置を示す表示板に、有楽町の文字が(実際の住所は元町通です)

 現在ではスナックがメインの店舗構成となっていますが、当時の新聞広告を見てみると、実に多彩なラインナップであったことが分かります。釜めし、たこ焼、茶漬けスタンド、ロシア料理店…。瓦せんべいの『菊水総本店』や、シューアイスでおなじみの『洋菓子のヒロタ』も出店していました。「味楽のオアシス」「地下の楽園」というキャッチコピーのとおり、阪神メトロ街は、様々な娯楽が詰まった地下街へと生まれ変わったのです。

バラエティに富んだラインナップ。地元で人気の有名店も出店していました。
※1959年6月7日 神戸新聞 夕刊より

有楽名店街の全盛期時代

 有楽名店街は開業から昭和50年代まで、凄まじい人気を誇りました。南からは港湾の出稼ぎ労働者が、北からは県庁職員や警察関係者が団体で訪れ、通路に椅子がはみ出るほど大いに賑わったそうです。また、三宮のクラブやキャバレーと比べて、有楽名店街の客単価は高くても3,000円程度。セット料金を設定している店舗が多かったため、名店街の中だけではしご酒・はしごスナックをする人も大勢いたんだとか。

通路の中腹にある案内看板。すぐ下が駅だから、飲んだくれても大丈夫。

 1985(昭和60)年に神戸市営地下鉄・県庁前駅が開業すると、周辺関係者が三宮へ直接アクセスできるようになったため、客足は徐々に遠のいていきます。しかし、それでも48の店舗に空きが出ることはなく、終電間際まで飲めるという強みもあり、人気が衰えることはありませんでした。

閉鎖の危機と既存不適格問題

 有楽名店街に閉鎖の危機が訪れたのは、2014(平成26)年11月のこと。当時、老朽化した鉄道付帯施設や隣接する飲食店街で火災が相次いでいたことから、貸主である阪神電鉄は「利用者への多大な被害が懸念されるため、2016(平成28)年3月をもって閉鎖する」という内容の説明会を行いました。有楽名店街は避難階段、排煙設備、通路幅の不足など、現行の建築基準法における既存不適格(法令の改正により基準に合わなくなった状態)物件であり、防災上の理由から閉鎖せざるを得ない、と判断されたためです。

 しかし、既存不適格状態にあることは、40年以上も前の段階で神戸市から指摘されており、その対処として、スプリンクラーや誘導灯の設置、防災管理者の資格取得など、積極的な取り組みを行ってきました。こうした背景から、自治組織である有楽名店会は、「消防法上は適切に管理されている」と表明したうえで、閉鎖の撤回を求めて動き出します。

 "夏祭"や"ほろ酔いバル"といったイベントを開催して知名度を上げるとともに、「昭和の文化を残す歴史的遺産の存続」を求める署名活動を展開。神戸市議会への働きかけもあり、最終的には阪神電鉄に5,826筆、神戸市長に6,565筆を提出しました。

立ち退き訴訟

 こうした中、阪神電鉄は2015(平成27)年11月、店舗の明け渡しを求めて3店舗を提訴。2018(平成30)年4月に明け渡しを命じる判決が確定し、同年10月には、スナック『貴』と寿司店『彩季』の2店舗も提訴されます。2店舗の店主は訴えを退けるよう、契約の更新を求めましたが、阪神電鉄は以前から、テナントが入れ替わるタイミングなどで、それまでの普通借家契約から定期借家契約(借主の合意がなくても賃貸関係を終了できる契約)への切り替えを進めていたため、受け入れられることはありませんでした。

2019年6月撮影。『貴』と『彩季』の看板も健在。

 裁判では、定期借家契約への切り替えにあたり、借地借家法第38条第2項の定める事前説明を適切に行ったか否かが争点となりました。2021(令和3)年1月、神戸地裁は明け渡しを命じますが、最終的には同年10月7日の大阪高裁で和解が成立。店側は店舗の明け渡し、阪神側は解決金を支払って敷金を返還する内容で、裁判は終了を迎えます。

2022年11月撮影。閉店した店舗の扉にはお花が。

 閉鎖の宣告、立ち退き訴訟、店主の高齢化、そして新型コロナウイルスの蔓延。約50店舗が肩を寄せ合うようにして並んでいた通りも、今ではすっかり寂しくなりました。それでも有楽名店街は、往時と変わらない姿のまま、常連さんたちを温かく迎え続けています。

閉鎖まで残りわずか

入口に掲出された共用通路閉鎖のお知らせ。

 9月9日、有楽名店街の入口に、いよいよ共用通路閉鎖のお知らせが掲出されました。今月末で全店舗が閉業した後、しばらくは片付けが行われ、10月11日〜閉鎖となる予定です。 

元町駅西口のすぐ隣にある、元町高架通商店街のネオン看板。

 元町高架通商店街をはじめ、神戸から戦後の残り香が次々と消えてゆく…。街はどんどん綺麗になり、やがてそこがどんな場所だったか、どのような意味があったのか。人々の記憶から忘れられてしまうことでしょう。

 「浜の人らはな、ここで過ごす時間が安らぎの時間だったのさ。ここは色んな人を吸収できる、あったかい場所なんだよ。そういうことを、伝えていきなさいね

 取材を進める中、常連さんがぽつりと呟いたこの一言が、とても印象に残りました。有楽名店街がなくなるその日まで、この場所の"日常"を出来る限り記録として残したいと思っています。

関連年表

拡大してご覧ください。

参考資料一覧

・職業別電話番号簿 神戸市. 日本電信電話公社, 1965年
・こうべマーチャントマップ(神戸市小売商業地図)
 神戸市産業振興局中小企業指導センター, 2000年
・輸送奉仕の五十年. 阪神電気鉄道株式会社, 1955年
・71'阪神. 阪神電気鉄道株式会社, 1971年
・阪神電気鉄道八十年史. 阪神電気鉄道株式会社, 1985年
・阪神電気鉄道百年史. 阪神電気鉄道株式会社, 2005年
・昭和の人情酒場通りが立ち退きの危機 神戸の有楽名店街 訴訟判決迫る
 毎日新聞, 2020年12月16日
・有楽名店街2店主に明け渡し命じる 神戸地裁 阪神元町駅隣接の地下飲食街
 毎日新聞, 2021年1月13日
・国内最古級の神戸の飲食街から2店退去 明け渡し訴訟で阪神と和解
 毎日新聞 , 2021年11月12日
・「有楽名店街」存続求め要望書 店主ら阪神電鉄に
 神戸新聞, 2016年1月27日
・阪神元町駅の有楽名店街 阪神が明け渡し求め2店舗提訴
 神戸新聞, 2019年1月24日
・有楽名店街「存続を」明け渡し訴訟で店主ら署名添え要望書
 神戸新聞, 2019年8月21日
・2015年3月18日開催 神戸市議会
 平成27年産業港湾委員会 本文. chiholog - 地方議会議事録横断検索
 (9月12日現在 閲覧不可)

ZINE『地下街への招待』について

《地下街への招待 / 取り扱い店舗さま一覧(敬称略)》
※9月12日現在、在庫状況が当方で把握できる店舗さまのみ掲載しております。

・北書店 / 〒951-8052 新潟県新潟市中央区下大川前通4ノ町2230
 エスカイア大川前プラザ 1F

・甘夏書店 / 〒131-0033 東京都墨田区向島3丁目6-5 一軒家カフェikkA 2F
 https://amanatsushoten.stores.jp/items/63ec3f1597c245191aa551d4

・BiblioMania / 〒460-0008 愛知県名古屋市中区栄4丁目14-16 ミワビル 2F
 https://bibliomania.easy-myshop.jp/c-item-detail?ic=A000000719

・まがり書房 / 〒563-0056 大阪府池田市栄町8-1
 https://www.magarishobo.com/items/71604521

・ぽんつく堂 / 〒573-0056 大阪府枚方市桜町4-8-103
 https://pontsukudo.thebase.in/items/71830819

・シカク / 〒554-0013 大阪府大阪市此花区梅香1丁目6-13
 https://shikaku-online.shop-pro.jp/?pid=173182434

・1003 / 〒650-0023 兵庫県神戸市中央区栄町通1丁目1-9
 東方産業東方ビル 504号室
 https://1003books.stores.jp/items/63e5f216d1912373eb3d0c93

・本は人生のおやつです!! / 〒669-5103 兵庫県朝来市山東町矢名瀬町689
 https://honoya.thebase.in/items/71621852

・広島 蔦屋書店 / 〒733-0831 広島県広島市西区扇2丁目1番45号

その他

・神戸市立中央図書館 / 〒650-0017 兵庫県神戸市中央区楠町7丁目2-1
 https://www.lib.city.kobe.jp/winj/opac/search-standard.do

・自家通販
 https://towers1961.base.shop/

※国立国会図書館へ納本申請中。B1は納本済み。

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