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元町有楽名店街について調べたこと(2) 寿司『彩季』 長野 春男さん インタビュー
はじめに
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2022年1月。阪神電鉄・元町駅西口から徒歩3分の場所にある日国ビル地下飲食街に、有楽名店街の老舗寿司店『彩季』が移転オープンしました。
2018年10月、阪神電鉄から明け渡しが命じられた『彩季』。
店主の長野春男さんは、地裁で10回・高裁で5回の裁判を経て、2021年10月、和解に持ち込みます。和解の条件通り、同年12月17日に名店街での営業を終え、この場所へ移ってきました。
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スパイシーで食欲を刺激します。
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移転した今も、古くからの常連さんが集い、長野さんの作る料理を楽しみにやってきます。近くで鰻店を営むUさんも、名店街時代からのファンの一人。
「俺が小学生の頃、あそこは秘密の帰り道やってん。通路にグレーチングがあるやろ?そこをバンバン音させながら走り抜けていくわけ。夜から開くお店が多かったから、その時間帯はまだ準備中で、一回も怒られたことあらへん笑」
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昔から知る人ならではのエピソードが、あちこちで飛び交います。
約半世紀の間、元町駅の地下で過ごしてきた長野さん。そんな名店街の生き字引である長野さんに、昔の様子を語ってもらいました。
※ここから先の内容は、『地下街への招待 B2 [特集]元町有楽名店街』に掲載した文章を加筆修正したものです。また、インタビューは複数回に分けて行っており、写真は全て長野さんの許可を得て撮影・掲載しております。
※写真の無断転載・無断使用を固く禁じます。無断転載された場合は、使用料とあわせて損害賠償金を請求させていただく場合もございますのでご了承ください。
阪神メトロ街〜有楽名店街の全盛期
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「僕が来た頃は、『おみき茶屋』、『佳美』さん、『お市』さんもありました。全部知ってますよ。全部行って飲んだことある。これ見てたら知ってるママさんの顔が、何人も浮かんできますわ」
開業当時の広告を見ながら、まるで昨日あった出来事のように話し始めた長野さん。長野さんは1953(昭和28)年、長田区駒ヶ林の出身。阪神メトロ街の時代はまだ幼少だったため、その頃の様子についてはあまり詳しく知らないそうです。
「当初はね、戦後2年ぐらいやったから、ルンペンが屯しとったらしくて。飲食店のゴミ箱漁る人もおったりね。そういう時期を経て、ビリヤードができたり、ダンスホールができたりして、発展していったんですよ」
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15歳で家を飛び出て飲食の道へ進んだ長野さんは、10年の修行期間を経て25歳の時に、有楽名店街で自分の店を開きます。名店街とのつながりは、お母様にあったそうです。
「うちのお袋は旦那がおらんくて、僕ら子ども育てなあかんから、働きに出とったんですよ。たまたまご縁があって、うち手伝うてくれ言われて手伝い始めたんが、名店街の『銀釜』いう所やったんです。Sさんいう人がオーナーで、最初に地下で3軒分のお店を借りて居酒屋したところ、それが当たってね。その頃の有楽名店街は、そりゃもう凄い賑わいでしたよ。毎日、満席満席満席!通路まで椅子があふれて、オーダー通すのに声が通らへんから、女性の店員がみんなワイヤレスマイク使わなあかんかった。銚子が1本150円とか200円の時代に、1日30万円ぐらい現金商売やってて。土日は7、8万しか売れへんけど。やっぱりサラリーマンが多かったからやろうね」
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店の表にお客さんがあふれるほど繁盛したそうです。
※1994年8月16日 神戸新聞 朝刊 24面より
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Sさんは最終的に、17軒分の店舗の権利を購入。その内の1軒を長野さんが借りる形で、1978(昭和53)年、春男の"はる"の字を取って、寿司店『すしはる』を開業しました。
長家・竹葉の開店
『すしはる』の開業から10ヶ月が経った頃、『阪神理容』の横で営業していた『東京そば 正家』が、三宮・北野坂へ移転することに。長野さんはその跡地に、長野の"長"の字を取って『長家』を開店します。
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有楽名店街から撤退後すぐの1978(昭和53)年にオープン。
※筆者撮影
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※筆者撮影
「あの頃は地下鉄の駅ができる前やったから、県庁職員や警察関係者がよう飲みに来てましたね。みんな阪神か国鉄で帰るわけやから、元町まで下りて来なあかんでしょ。通路で肩がぶつかるほど賑わってね。だからもう、一代で大きな財産残した人もいるぐらいですよ」
3年ほど経った頃、長野さんは『長家』を知人に任せ、後年『彩季』となる場所に『竹葉』を開店します。以降、震災が起きるまでの約13年間を、その『竹葉』で過ごされたそうです。
有楽名店会の設立〜震災前後
1989(平成1)年4月、有楽名店街の自治組織、"有楽名店会"が設立します。
「名店街では、出店してる人から共益費を徴収してるんですけど、そろばん弾くのが上手い人とか、4〜5人の有志で管理しとったんですよ。でも、これじゃあかんなという話になって。役員をたてて、きちんと管理するようにしたのが、名店会のはじまりです」
それまで横の繋がりは希薄でしたが、名店会の設立により、店主同士の顔を知る機会が生まれていったといいます。
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1995(平成7)年、阪神・淡路大震災が発生。元町駅周辺は三宮に比べて被害が少なく、普段三宮を利用するお客さんが地下へ流れ込んできたため、有楽名店街は芋を洗うような混雑ぶりだったそうです。それから1年後の1996(平成8)年、長野さんは名店街から地上へ出て、親戚の居酒屋を手伝うことになります。
「忙しくて手が回らへん言うんで、3〜4年やってたんですけど、震災後の復興が済んでから、がたーんと暇なりますやん。そのうち持ち堪えできひんようになって。また名店街に下りてきて始めたのが、『彩季』なんですよ」
彩季の開店から、現在へ
『彩季』の開店時には、既に以前ほどの賑わいはなく、人通りもまばらになっていたそうです。それでも長野さんは、カウンターの目の前にいる馴染みの常連さんとの時間を大切にしてきました。
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「お客さんに恵まれたんや思います。やっぱり真剣にお客さんの顔見て、目見て、耳凝らして、会話して。当たり前の積み重ねが大切なんやと、実感しますね」
閉鎖の宣告から裁判の終結まで、足掛け7年。その間、名店街の店舗はどんどん少なくなっていきました。もちろん移転したお店もありますが、店主の多くがご高齢ということもあり、その数は極僅かです。『彩季』は幸いにも、すぐ近くに移転先を見つけることができました。
「(日国ビルの)『アン』のママさんが、名店街おった頃うちのお客さんでね。ここの情報を逐一もらってたわけなんですよ。名店街から距離が近くて良かったですね。何十年も地下街でやっててもね、遠く離れてしもたら、常連さん行こう思ても行かれへんからね」
店内の広さは、『彩季』の頃と、ほとんど変わらないそうです。
「前を向いて行かなあかんね。『佐賀のがばいばあちゃん』やないけど、"後ろ向きじゃ歩けませんよ"いうやつやね。色んなものを克服して前へ向かって、常日頃そんなことを考えながら仕事してますよ」
夜9時過ぎ。その場にいたお客さんへ、メニューにない汁物が出されました。
「試しに作ってみたんで、感想聞かせてください」
どんなに料理歴が長くても、探究心を忘れない。長野さんの、そんな熱意が伝わってきました。
店舗情報
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【住所】神戸市中央区元町通3丁目12-3 日国ビル地下飲食街
【定休日】日・月
【営業時間】17時〜22時
ZINE『地下街への招待』について
《地下街への招待 / 取り扱い店舗さま一覧(敬称略)》
※9月16日現在、在庫状況が当方で把握できる店舗さまのみ掲載しております。
・北書店 / 〒951-8052 新潟県新潟市中央区下大川前通4ノ町2230
エスカイア大川前プラザ 1F
・甘夏書店 / 〒131-0033 東京都墨田区向島3丁目6-5 一軒家カフェikkA 2F
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・BiblioMania / 〒460-0008 愛知県名古屋市中区栄4丁目14-16 ミワビル 2F
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・まがり書房 / 〒563-0056 大阪府池田市栄町8-1
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・ぽんつく堂 / 〒573-0056 大阪府枚方市桜町4-8-103
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東方産業東方ビル 504号室
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・本は人生のおやつです!! / 〒669-5103 兵庫県朝来市山東町矢名瀬町689
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・広島 蔦屋書店 / 〒733-0831 広島県広島市西区扇2丁目1番45号
その他
・神戸市立中央図書館 / 〒650-0017 兵庫県神戸市中央区楠町7丁目2-1
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・自家通販
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※国立国会図書館へ納本申請中。B1は納本済み。