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元町有楽名店街について調べたこと(3) 『阪神理容』有限会社 南理容チェーン 代表取締役・南 富久さん インタビュー
はじめに
南富久さんと初めてお会いしたのは、今年2月のこと。
有楽名店街のスナック『ペペ』で、たまたま同席したのがきっかけでした。
阪神理容は、有楽名店街 西改札方面の端っこにあるお店で、1,150円(昔はもっと安かった)という圧倒的な低価格にも関わらず、カット、顔剃り、シャンプー込みの充実したサービスを提供。特に男性から、根強い人気を誇る散髪屋さんでした。
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有限会社 南理容チェーンは、1970(昭和45)年7月に、南さんのお父様・南富秀さんが立ち上げた会社です。阪神理容自体は、有楽名店街よりも前の阪神メトロ街の時代から営業していて、1949(昭和24)年生まれの南さんは、お父様に連れられて子どもの頃から、元町駅によく足を運ばれていたんだとか。
『ペペ』でお会いした際は時間がなく、少ししかお話できなかったのですが、先日改めて、兵庫区下沢通の事務所にて、お話を伺わせていただくことになりました。
※写真は全て、南さんの許可を得て撮影・掲載しております。また、無断転載・無断使用を固く禁じます。無断転載された場合は、使用料とあわせて損害賠償金を請求させていただく場合もございますのでご了承ください。
阪神メトロ街の時代
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――今日は貴重なお時間を頂き、ありがとうございます。早速ですが、一番最初に始められたお店はどちらになりますでしょうか?
最初は尼崎の杭瀬に店を出したんですよ。うちの親父で、前社長の南富秀ね。そこから元町駅の地下の店を借りて両方やっとったんやけども、親父の弟さんに、杭瀬の方は任せて。それは私が、幼稚園ぐらいの時かな。そやから私も、いつからやりだしたんか、いうのは分からなくて。あやふやなんですよ(笑)。
いつ頃できたとか、あんまり聞かなかったんよ、親父に。そういうことを喋るような親父ではなかった。家族とかそっちのけで、商売ばっかし。
――資料が残ってない、と。
残ってないと思います。ただ私が幼稚園の時(1950年代前半)に元町の地下に行って、その時に感じたのは、戦争中はあそこ、防空壕になってたでしょ。通路にずっと柱があって、真っ暗で、何も無かったように記憶しとるんやけどね。これも定かではないけど…。そやから多分、あの中潰したら、柱が出てくると思うわ。
――そうなんですね。当時の元町駅の様子や阪神メトロ街について、覚えていることはありますか?
その頃の元町駅いうのはね、終点やったんよ。神戸高速にも繋がっとらんし、小さな駅やったんよ。改札なんかでも、ものすごい小さかったからね。
私が物心ついた時には、東口の突き当たりにビリヤードがあって、その手前に雀荘があって、弘済会みたいな売店があって。それは覚えてますね。私が中学生の時に、住む場所が元町から会下山の方に移ったから、そこからのことは詳しくないんですよ。自分とこの店には行ってたけどね。
――当時の新聞記事では、寂れて、浮浪者の溜まり場になっていた、みたいな話が書いてありました。
それは、やっぱりあそこが洞窟みたいになっとったからやろね。そやから、そういう状況を改善するために、店舗を作ったんやと思うわ。
――そこから有楽名店街の開業に繋がるんですね。
阪神にしてみたら、あんまり嬉しいことやないからね、そういう人がおるのは。夜12時に電車が全部止まったら、みんな出てもらいよったからね、あの頃は。でも駅を閉めるシャッターは、まだなかったと思う。
――追い出すようにはしてるけど、一応夜もいられるような感じ、ということでしょうか?
やろうね。その頃の西口は全然知らん。行ったことないから。真っ暗で通られへん。通れるような状態ではなかった。
――そういえば、その頃は東口に阪神理容があったんですよね。
そうそう。東口にあったから、メトロ街から有楽街ができる時に、阪神から場所を変わってくれ、いうことやったと思いますわ。
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阪神メトロ街の時代は、左手に見える駅長室の付近に阪神理容があったそうです。
有限会社 南理容チェーンについて
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――南理容チェーンのホームページを拝見しました。会社案内の沿革に、ダイエーに刺激を受けて方針を転換し、低価格店として再スタート、と書いてありますが、ダイエーに刺激を受けて、というのはどういうことでしょうか?
みんなが気楽に行ける、薄利多売いう形で、やったと思うんですよ。
――安くして、たくさんのお客さんに来てもらって。
そうそう。三宮に主婦の店ダイエーがあって、賑わってたからね。そやからそれを見て、薄利多売を思いついたんやないかと。うちの店、結構広かったでしょ。椅子なんかでも12台あったんですよ。そんなん遊ばしとったら勿体ない、いうことで、それやったらもう動かした方がええと。
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価格は300円にしたんですけど、当時は他の散髪屋さん、700円〜800円やったと思うんですわ。理容組合から突き上げがあったみたいやけどね。その当時の理容組合いうのは、力が強かった。それでもう、色んな嫌がらせを受けましたね。そやけどうちの親父が、そんなんよりもお客さんが喜ぶから、と。職人さんはしんどいやろうけど。今までダラダラしてたんが、ずっとお客さん来るからね。
うちの会社はあんまり儲けないんですわ。全部もう職人さんらに、うちの親父が出してたから。もうずっとそのままやから、会社は未だにあっぷあっぷしてますわ。そやから色んな所に店を出してたんやけどね。
――ミナエン理容は一緒なんですか?
あれも一緒!一緒やけども、うちの先代の社長が作ったんやけど、親父が死んで。私と妹がおるから、妹にミナエンと尼崎を渡して、うちが元町とメトロと、分けたんよ。そやから基本的なことは全部一緒。
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価格を850円に改定したのが1987(昭和62)年なので、1980年代前半の価格かと思われます。
よく見ると"75"の文字は塗り重ねた跡があるので、看板自体はもっと古いはず。
今あるのは元町、メトロ、ミナエンと尼崎。昔は長田、西明石、ほんで飾磨。美容が花隈、元町にあって、ミナエンにもあったんやけどね。うちの親父は、美容の方は下手くそやったんで、全部あかんようになりました。飾磨はやっぱし、人が少ない。飾磨やったら、うちの親父の計算では、網干の方から電車がちょうど来ますやん。それで来ると思ったんやろうけど、お客さんは少なかった。西明石のお店は昔、川崎重工の寮があったんやけど、あそこが閉まってもうたでしょ。ほんで人がおらんようになって、お客さんもおらんくなって。
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阪神理容の最盛期
――阪神理容でいうと、一番賑わってた頃の1日のお客さんの数はどれぐらいですか?
多い時で千人ぐらい。
――1日で!
年末や正月ね。今では信じられんかもやけど。12人で、フル活用で。
――列がずらっとできてたような。
ずっと店の前にお客さん待ってましたね。
――いつ頃の話ですか?
最初の頃やと思うけどね。昔は西口の改札使う人に、うちの店がよく見えてたと思うんですよ。今はあそこ通られへんけど、階段の横に通路があるでしょ。
――入れないのに看板が光ってる、あそこですか?
そうそう、昔はあそこ通れとったんよ。角っこにあめんぼう(サインポール)を立ててね。だからお客さんも、入りやすかったんやと思います。
――なるほど。
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現在は柵で通行止めになっていますが、昔はこの場所から直接、阪神理容へ行くことができました。
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元町駅自体はものすごい小さかったんですよ。切符をもらうところがあって、パンチする改札があって、何でもアナログの時代。せやけどうちの親父はその頃、みんなまだ手渡しで切符を売りよった時代に、券売機を注文して、それで全部やりよったんですよ。
――切符の自動券売機よりも先に!
いうても、ちゃちなもんよ。お金入れたら紙がぴょっと出て、スタンプ押して、もぎって。ほんで100円玉しか使われへん。そやから券売機は表に出しとったんよ。んで、両替機も置いといて。500円入れて、ぽんと押したら100円玉5枚出るとかね。そんなんしてました。そやから券売機が普及する前に、やってましたわ。
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――当時としては最先端ですよね。
大したもんやと思いますわ、うちの前の社長は。
――その時はおいくつぐらいですか?
私が高校やから18ぐらいかな、それぐらいからあったかと。60年代半ばかな。
――すごい話ですね。
その当時は時間がね、朝の7時ぐらいから開けてましたわ。んで晩の12時ぐらいまで。一人にかける時間は10分ぐらいかな。散髪屋さんいうのは、職人さんを斡旋してくれるところがあるんですわ。紹介所が。そこの紹介所の親父さんも、南さんとこ行く人は、選ばな行かせられへん。普通の見習いみたいな人いうのはね。免許あって、ある程度習得できても、紹介できへんって言うてたらしいですよ。
――やっぱり忙しくて手際よくやらないといけないから。
もうその頃から人手不足やったからね、嫌がるから。そやけど給料はもう、普通の店の倍ぐらい。その頃から歩合制にしてたから、何人したらなんぼや、って。そやからその頃からおる人なんかは家建てて、辞めて独立して、自分の家で商売してる人もおりますわ。逃げる人もいましたけどね。
閉店後について
――阪神理容の閉店後はどうなるんでしょうか?
店はもう、コロナでものすごく悪くなったからね。新しい店いうのは考えづらいかな。メトロだけになるね。
――職人さんたちはどうなるんでしょう。
今5人おるんやけど、2人は尼崎の店と、メトロと振り分けて。あとの3人は辞めるって言ってる。しょうがないね。
――閉鎖のお話が出た時に、阪神理容で切ってた人はどこに行ったらええんやろ、みたいな話もあったと思うのですが。
せやけどね、コロナでものすごく減りました。半分以上減りました。なんでいうたら、男の人いうのは一度他の店行きだしたら、もうずっとそこに行きよるねん。もとに戻るいうことが少ないんよ、男の人は。あんまり浮気せえへん。女の人はあっち行ったりこっち行ったりすることもあるけど、男はそれがないんよ。んで最初、コロナになって、みんな外出禁止になったでしょ。そやからみんな、近くのところに行って、一度使ってしまうと、みんなそこに定着するんですよ。
――なるほど…。
そやから、なかなか戻ってこないですね。
――職人さんは、一番長い方だと何年ぐらい働かれてるんでしょうか?
50年ぐらいかな。うちの職人さんは、定年決めてないんで。職人さんいうのは、自分があかん思ったら自分で辞めますわ。せやから手と足と口が動いたら、何年でも。はっきり言うて、90歳になっても。できる人やったらそのままおってもらういう方針で、親父の代からそうやからね。その人は今、70代半ばかな。まだ現役でやってます。
※南さんは次の用事があったので、ここでインタビューは終了となりました。
――今日はお忙しい中、ありがとうございました。
いえいえ。ご苦労さまです。また、何かあれば。
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いよいよ明日、9月30日。有楽名店街が長い歴史に幕を下ろします。
前に阪神理容で散髪してもらったのが9月初旬。
髪もいい具合に伸びてきたので、明日は最後の散髪に行こうと思っています。
長い間、本当にお疲れ様でした。
ZINE『地下街への招待』について
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