"塔と井戸"始動
2020.11.22.
11月が終わる。仕事を始めてもう1年と5ヶ月が経ち、この街で二度目の冬を迎えようとしている。
僕は、いまいち「慣れる」という感覚がわからない。
中学も高校も大学も、気がつけば全て卒業していたけれど、その時期にしか味わうことのできない感情や経験というものを、果たして自分はしてきたのかと、ひとりでに不安になることがある。だから、学校というものにほとんど慣れを覚えることなく、働き始めることになった。
仕事だってそうだ。たかが1年半で何ができるようになるのだと、誰かからお叱りの言葉を受けてしまうような気がするが、本当にできるようになったことなど何一つなく、今の職場に慣れたなんて感覚はまるでない。
ただ、その何もできないということに甘えてはいけないと、24歳になって考えるようになった。
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2020年11月3日、僕がかれこれ15年ほど聴いている、いきものがかりが結成21周年を迎えた。コロナウイルスの感染拡大の影響もあり、結成20周年イヤーだった今年は、2つのツアーを中止することを余儀なくされた。ファンとしては、非常に残念なことであった。
ただ、そんな状況下でも、3人は今できることを考え続けてくれた。9月半ばにはオンラインフェスの開催、そして本日はファンが選んだ過去のライブ映像がYouTubeで配信された。
もちろん、生で聴くに越したことはないが、3人の聞き手を第一に考える姿勢、そして何よりこの20年で作り上げてきた楽曲の数々に、あらためて感極まり、不覚にも画面の前で涙を流してしまった。
20年歌を作り続け、そして歌い続けるということの孤独や葛藤・挫折を、いちリスナーである僕が理解できるはずがない。
けれど、彼らの物づくりへのひたむきな思いと、誰にも真似することのできない技術によって生まれた歌が、今僕のポケットから耳を通り、心に届いていることにこの上ない喜びと幸せを感じることはできる。
水野良樹・吉岡聖恵・山下穂尊
多感な10代の、誰ともつながれなかった時代に、3人がいてくれたことは、僕の唯一の支えだった。それは24歳になった今でも変わっていないのかもしれない。
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ここ最近、サッカーをやっていた小学生の頃を思い返すことが多い。
今ではその面影は全くないと自分でも思ってしまうが、僕は肌を真っ黒に焼くほど、毎日公園でボールを蹴るサッカー少年だった。
僕が小学4年だった2006年、ドイツW杯があった。当時の日本代表は「歴代最強」と謳われながらも、グループリーグを1分2敗という結果で大会から去ることになってしまった。
その最後の試合となったブラジル戦のことを今でもよく覚えている。たしか、キックオフが日本時間で明け方くらいだった。眠い目を擦って、まだ寝ている家族が起きないように音量を下げ、ブルーのユニフォームに袖を通す選手たちをテレビの前で応援した。
結果について、僕が何かを語るまでもないだろう。
スポーツを見て涙を流したのは、人生でこの試合が始めてだった。
それくらいこの幕切れは、10歳の僕にとって悲しい現実だった。
そして、何より心に深く刻まれたのは、試合後にピッチ上に倒れ込む中田英寿の姿だった。あの試合、誰よりもグラウンドを駆け回り、誰よりもチームのためにプレーしてきた―これまで、クールだと思われていた―中田が、溢れてくる思いを抑えることができず涙を流していたことに、心を動かされないはずがなかった。
中田英寿は、そのプレー以上に見ている者を魅了させる人間性があった。
チームの誰とも分かり合えず、代表でプレーをしていた彼の孤独を、僕は10歳ながらに画面を通して感じ取った。
引退発表、大会期間の中田を追ったドキュメンタリーを、僕はDVDに焼いて繰り返し再生した。その番組のインタビューで、中田は何度も”覚悟”という言葉を口にしていた。
14年経った今、少しはその覚悟に近づくことができたのだろうか。
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先日、友人が自分の団体の今後の方針をnoteに投稿していた。
それは、単に一人の学生が運営する団体に関する方針というよりは、
25歳の彼が、今等身大として思う自分の生きていきたい姿を伝えているように感じた。
「ああ、決意したんだな」と率直に思った。
ぜひ、こちらも読んでいただきたい。
彼と話していていつも話題に出るのは、一人の人間の無力さだった。
けれど、それは悲観的な意味では決してなく、僕らはそれをある種の運命(さだめ)として捉えていた。
僕たちは脈々と流れている大河の中で、あらゆる恩恵を受けながら生きている。一人の人間など、その河のほんの一滴に過ぎず、世界に対しても、あるいは他者に対しても、できることなんてまるでないということを、僕らは常に意識していた。
僕らが介入するには、世界はあまりに複雑で不可解で神秘的であるということ。
世界で起きている問題、いや、自分の中にある問題だって、どうこうすることのできないものばかりだ。自分が問題を解決できるとか、人を変えることができるなんて、あまりに稚拙で傲慢な考えだと思う。
そうか。そうやって、誰もが自分の足りなさ、空っぽさというものに向き合いながら、生きているんだな。
水野良樹は、時に人畜無害と揶揄されながらも、人々に歌を届けることを決して止めなかった。
中田英寿は、覚悟を決めた現役最後の試合で、絶望的なスコアの中、笛が鳴るまで走ることを決して止めなかった。
僕から見たら偉大な二人でさえ、きっと自分の無力さを感じながら、それでも懸命に生きているはずだ。
そして、大学時代最も時間をともにしてきた親友の彼だってそうなのだと思った。
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話は冒頭に戻るが、僕は得意なことが何もない。人前で見せられる芸があるわけでもない。
けれど、今書いたように多くのことから影響を受けて生きてきた。
それだけは間違いなく言える。これを長所と言っていいのかはわからないが、同時代であれ、過去であれ、直接でも、画面越しでも、本を通してでも、出会ってきた人間や作品に影響を受け、少しずつ変容しながら生きてきたのだと思う。
そういった人や作品から受けた影響を、誰かに伝えることはできないのだろうか。
僕は、仕事ができない。勉強ができない。人前に立つことができない。上手く話すことができない。行動力がない。集団の中で上手く振る舞うことができない。それでいて、特質した能力や思想を持っているわけでも、強烈なパーソナリティがあるわけでもない。平々凡々どころか、平均以下。
だとしたら、「受け取る」「聞く」ということに覚悟を持って、生きてもいいのではないか。
鋭利な武器を持たない僕が、世界、風土、生命、文化、芸術、そして人間から受け取ったことを他者に伝えていくことは、誰かにとって意味のあることになるのではないだろうか。
何かを受け取るということは、他者とつながるということだ。
日々、繰り返されていく他者との関わりの中で生まれる、自分の心の中に広がっていく感動や、自分を深い海の底まで追い詰めていく孤独は、個人の内側のみで閉ざされて起こるものではないと、小林康夫と大澤真幸の対話の中から学んだ。
小林は著書の中で、個人がそれぞれ掘っている井戸はつながっていないが、その井戸を通っている水、あるいはその井戸が作られる土壌は、他者と共有できるのではないかと述べていた。
だとしたら、僕は水を流していきたい。世界の奥底で流れている水を自分の元で留めておきたくない。
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やることは単純だ。
僕が、生きている中で出会った、多くの人や作品・出来事との出会いを描いていく。自分の心を動かしてくれた他者とのあらゆる交流を、自分の拙い表現方法でなんとか丁寧に描いていく。
それは、取材と言うほど大それたものではないかもしれないし、雑談と言うには物足りないものかもしれない。何かにカテゴライズすることも、対立軸を使って分析することもしなくていい。思うままに受け取ったことを描きたい。
ただ、こうしたことを始めるからには、少しは意図的に人に会いに行ってみようと思う。出会ったことのない人はもちろん、かつて僕に影響を与えてくれた人とも、会って話してみようと思う。
内に篭りがちな自分だ。この機会に、人との関係の結び方ということをもう一度見直してみたいと思う。
また、このnoteで文章を書くということにこだわりがあるわけでもない。この場が適切ではないと感じたら、別の表現方法を探していけばいい。金銭的・時間的・空間的に縛りはあるのかもしれないが、表現方法になるべく制約はかけたくない。もっと自由でいいはずだ。
そして、この企画を通して出会った人と、また別の何かを始めるのも悪くないだろう。
どれくらいのペースになるかはわからないが、できるだけ長く続けたいと思っている。
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企画名は、”塔と井戸”。
先ほども取り上げた、小林康夫の著書『君自身の哲学へ』(2015、大和書房)の中で、人間の根源的な欲求は、塔を建てることと、井戸を掘ることであると書かれていました。
何かを目指していくことと、自分の中を掘り下げていくこと。
一見すると対照的なその営みは、きっとどこかで繋がっているのだと思います。この企画を通して、2つの営みを実践していきたいと考えています。
※この"塔と井戸"を、noteのアカウント名にします。
さらに、形態として2つのマガジンを作成します。
一つは、"ダイアローグ"。もう一つは、"モノローグ"。
ダイアローグでは、実際にお話しした人とのやり取りを、できるだけそのままの形で載せていきます。
モノローグでは、僕が出会った作品のことや、普段生活していて感じたことを、飾らずに書いていきます。
まだ未定ではありますが、別の枠で誰かに文章を書いてもらうのも面白いかなと思っています。
とはいえ、最初はできる範囲で始めます。
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受け容れていくことに、覚悟を持って生きていきたい。
世界・人間の複雑さ、不可解さ、神秘さ、醜さ、そして美しさ。それらを少しでも受け容れることができたとき、今よりもっと豊かに生きていけると信じています。
そして、受け取ったものを誰かに紡いでいきたい。
この"塔と井戸"がそんな企画になることを願っています。
では、よろしくお願いします。
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