「文句を言うな」は建設的か?

最近友人から「他人の課題に口を出すな」と狂ったように言われるのだが、そっくりそのまま「俺の課題に口を出すな」と言って流している。

そもそも何を言ってるのかわからないのが普通のことだと思うが、友人曰く、人生で出会う課題には「自分の課題」と「他人の課題」とがあって、自分の課題は明日どうするだとか、自分の裁量で決められるもの。他人の課題は職場の雰囲気が悪いとか、誰々の振る舞いが悪いとか、そういう、自分の裁量で決められないもの。

そういう他人の課題に思い悩む暇があったら、自分の課題に集中しろというのが友人の意見なのだ。実際素晴らしい考え方だと思うし、実際そういう考えで生きている部分もあるのだが、思い悩むというのはそういうことではないだろう?と思う。

つまるところ、「代案を出さないなら文句を言うな」という人に対して、「文句を言えなければ代案も思いつかねーよ」という話で、今、まずは何が起こっていて何が問題なのかを言語化して発信する能力すら無かったら、それを他者と共有して集団として課題の克服につとめることは不可能なのであって、文句自体を封印してしまえばマジで誰も事態を改善できない。他人の課題だろうと自分に害が及ぶなら文句を言う権利があるし義務もある。と思っている。愚痴や嘆きもたとえチラシの裏に書くのだとしても、そうした課題克服のためのコミュニケーション能力の延長、というか負の側面であるかもしれないが善と一体の裏返しの部分なのであるから、僕はやめようとは思わない。

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