銀杏並木で出会う
今日は晴天。
大掃除のついでにごみを分別した。洗剤の詰め替えパックをリサイクル回収場所まで届けに行こうと家を出た。
銀杏並木が陽を受けて金色にきらめき、風にはらはら葉を落とす。もうそんな季節になったのだ。足元には降り積もる銀杏の葉、それは枝につながっていた頃よりは数段色彩を落としていた。レモンイエローからカーキまでの段階的変化。そういうことを見つめるのは好きだ。
横断歩道を渡るとき、向かい側から素敵なマダムがやってきた。八十歳は過ぎていると思われるが、顔が輝いている。
私とすれ違わずに立ち止まり「なんて素晴らしい紅葉でしょう!あの辺りなんか、ほら!みてごらんなさい」と指さす。しかし信号は美しいものを愛でる時間をくれない。歩行者信号が点滅を始めたのだ。
私は「こんにちは。いいお天気ですね」と言いながらマダムの腕をとった。
「信号が変わってしまいますから」と、彼女が渡ろうとしていた方向へ導いたら「あら、そうだわね」と屈託ない笑みが返って来る。
彼女はマダム(もしかしたらマドモアゼルかもしれない)という言い方が似合ういでたちだ。日本語では表現できないお洒落さだ。この辺りにこんな素敵な方がいらっしゃるとは……。
私は大掃除の最中に出て来たので作業着のような格好。なんだかマドモアゼルと園丁みたいに思えてしまう。
「あら、あなたは向こうへ渡るんでしたのに、ごめんなさいね」と微笑み、「私はもう少し楽しんでいくわね。上(坂の上)の方もきれいだからごらんになってね」と、彼女は銀杏の下に立った。
しばらく坂を上ってから振り向くと、彼女はまだ同じ木の下にいる。先ほどの夢見るようなまなざし、信号を気にしない風情から、もしや認知が……? とも感じた。もう一度下りていって、一緒にいた方がいいかしら。でも、せっかく秋の美しい日を楽しみに出かけてきたようなのに、そんなことをしたら失礼かもしれない。もう少し上ってから振り返って見てみると、彼女はもうそこにはいなかった。
なぜか、以前にも会ったことがあるような、不思議な余韻があるひとだった。
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