カラーとモノクロ 13
「カラーとモノクロ12」に書いた、球体関節人形作家の作家性や生き方などを尊敬しています。
この作家が、個展のときにお客様から言われたことについて、私は未だに考えています。
メイン展示の人形を見たお客様が「(人形が)美しすぎる。人が作ったとは思えない。そこまでする必要があるのか」と仰いました。
それを聞いて作家は衝撃を受けたそうです。衝撃とは、悪い意味ではありません。ビビビ、と来たのです。
そういう考え方もあるのか、ではどうすれば良いのか。
やりすぎてしまったのかしら。手を抜くということではなく、人の手(が作ったこと)を感じさせるためには、何が必要なんだろう。
その考え方が、私には衝撃でした。
私は、こう作りたいと思ったように出来上がって作家本人が気に入ったなら、他の人の意見は意見として聞いておいても、自分の好きなように作ればいいじゃないか、と思いました。
お客様の言うことをひとつひとつ聞いていたら、自分の作品らしくないものになってしまう。設計上も考え抜かれて、技術も磨き抜かれて完成した作品。作家自身も満足していたはずなのに。
でも、お客様の意見を聞くと完璧ではないように感じてしまう。
作家は常に次の作品へ向かって設計を練るものだから。
技術は上がっていくので、完成した作品については物足りなく思ったりすることもある。
それはそれで彼女らしいと思った。
人の手が作ったことを感じさせるとは、どういうことだろう。
それが人の手によって作られたことは明らかである。
でも、見た目でそう感じさせるには?
「それはたとえば、きれいに作りすぎないということ?」
「美しく磨かれた肌にしないで、ザラザラした肌で終わらせるの?」
「たとえば指の跡を残すの?」
「離れ目にするとか、だんごっ鼻にするとか?」
私の質問に、彼女は「そういうことではないんだなあ」と言いました。
そのことを、私は何ヶ月も考えているんです。
たとえば、自分が今作っているものがいまひとつ気に入らなくて、どうしたら思うとおりの作品ができるのか考えることは、誰でも経験があるでしょう。
そのときに、他人から言われたことがヒントになることはあります。
意見を聞いておいて良かったと思うこともあります。それは自分では思いつかなかったことだったり、そちらがいいかもしれないと思いながら作る途中で採りいれなかったやり方だったりします。それだと納得できるのです。
でも、美しく作りたいと思って、その通りに出来たなら、そのやり方を変える必要があるのか。あるいは、作者である彼女はまだ満足などしていなかったのかもしれませんね。
それは作家としては大切なことで、満足してしまったらそこで終わってしまうと言う人もいます。
作家は、自分が満足できる作品を作ることを、ずっと求め続けるのでしょう。
美しすぎないで人が作った手の跡、ぬくもりと言っていいのかどうか・・・・・・を、残した人形を作る。指の跡が残っているという意味ではない。造作が歪んでいるわけでもない。
アートとハンドメイド、芸術性と親しみやすさ。
ファンである私は彼女の人形を前にしたとき、ただその造形に魅了される。彼女が作っただけで好きになるなら、目がくらんでいるでしょうか。
なぜそのことがこんなに気にかかったのかと言うと、私自身が作品展をしたときにお客様からご意見をいただく身であり、その意見に左右されたくないと思っているからです。
意見は拝聴します。でも、なんでも言われたことを受け入れると、それは私の意図することと違ってしまうと感じるのです。
こう作りたいという思いがあって、取りかかり、その道をたどって完成に至ります。出来上がったものを見て、意見を持つ人がいるのは当たり前で、こうしたらいい、ここが良くなかったと、言ってくださるだけ真剣に見てくださったのがわかります。どうでもいいのなら意見は言わないで通り過ぎるでしょう。
その意見の中に、学ぶことはたくさんあります。それは今後の参考になります。ただ、制作の根本的な部分、特徴や色使い、形に至るまで変えろと言われたら、それは自分らしい作品にはなりませんし、それを自分らしい作品と言うまでに引き上げるのは至難の業です。
はじめはよそよそしく出来上がるでしょうし、満足いく出来にはならないでしょうし。作らされているという気持ちが抜けないでしょう。
でも、そうやって学ばないと、本当にいいものはできないのかもしれませんね。
私は他の作家さんの個展などをよく拝見します。
そういうときに、素晴らしいと思うだけでなく、やはりここはこうしたほうがもっと良かったのかも、と思うことはあります。だけど、作家が自分なりの理由があって、そうやって完成させたんだろうと考えます。だって、作家は自身の作品とは並々ならぬ向き合い方をして完成させて観客に見せているので・・・・・・。こんなんじゃ駄目だと思っていたら、発表しないものだからです。だって出来が悪いと自分で思っている作品を世に出すのは非常に恥ずかしいからです。
それが子供さんでも、勝手に解釈してここをこうしたいいよ、とは言いにくい。ただ、相手が良くなるためにはどうしたらいいのかと問えば、私なりの意見は言います。でも、それは私の意見ですから、それを受け入れようと思うかは相手の方の自由なんです。
なんだか堂々巡りみたいな話ですね。
これが正しいよね、と言う意見を素直に聞いて、良い作品になるとして、それをみんながやったら世の中には同じようなものばかり溢れてしまうでしょう。それを流行と言っていいかわかりませんが、同じようなものばかり溢れていると、ありふれたものになってしまい価値が下がってくる。そして今度は全く方向性を変えたものが登場してくる。そうやって世界は回ってきたような気がします。
人形作家とのやりとりから、いろいろ考えさせられました。
まとまらない話を最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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