カラーとモノクロ 2
縦2.5メートル、横11メートルという巨大な墨絵を見たことがあります。水墨画ではなく、墨絵です。
作者のことを墨さんと呼ぶことにします。
墨さんは普段は洋画家で、色彩はカラフルでタッチは重厚な油彩を描きます。
人物画を得意としますが、私は墨さんの風景画が好きです。額の中から風景が迫ってくるような気がするのです。絵が描かれているその場に自分もいるような気持ちになれるのです。
一方でモノクロの墨絵の世界も持っています。墨の濃淡で花鳥風月を描くのです。墨絵の個展を、初めて訪ねました。
開け放たれた入り口から、その絵の一部が見えていました。迫力があるな、と思いながら会場に入ると、圧倒されました。
普段の油彩画の明るい雰囲気などどこにもないのです。ただ暗く重々しい世界が壁一面を覆っていました。
その絵は人間が現世から旅立ち、苦行の嵐に放り込まれる絵でした。
絵の右側には現世から幽鬼の世界へ落ちていく人々。さまざまな地獄を体験しながら絵の左側に向かって流れていきます。服は裂けボロボロに、苦悶の表情はすでに鬼と化しています。大きな渦に巻き込まれて滞留したり、餓鬼たちに虐げられて極楽浄土に進めません。絵の左上には観音様、蓮の花の咲き乱れる浄土がそこにあるのです。
地獄の責め苦をどれだけ受ければ浄罪できるのか。
もしかしたらどんなに責めを負い続けても、浄土へは行けないのかもしれない。
激しくうねる筆、怒り、混沌。丸木位里・俊の「原爆の図」を想起させました。
この絵をどうして描いたのか、訊ねてみました。
墨さんは、自分と同年代の大人は現在の社会に責任を感じなければいけないと言いました。
団塊の世代として生まれ、高度経済成長期に走って走って、社会を住みやすく便利なところにしたはずだったのに、振り返ればオゾン層破壊、地球温暖化、公害病など、社会に毒をまき散らし、飽食し、楽しんだあげくに未来のこどもたちに残して行くのが環境破壊された未来であること、そのことが辛くて苦しくて仕方がないのだと墨さんは言いました。
私はかける言葉を見つけられませんでした。
人間は常によりよい未来を求めるものです。そうでなければ生きる意味を見失う人もいるでしょう。よかれと思ってしたことが将来に悪影響を及ぼすこともあります。でもよかれと思っているそのときには、その後を予見できないことも多いのです。
少なくとも墨さんひとりだけが世界に害を及ぼしたのではない。
社会の歯車になってしゃかりきになっていただけです。それが普通と思って、便利な社会に向かって夢を抱いていたのです。
そうやって一生懸命働いた人たちが今の社会を作ってくれた。もちろん、全てが善いとは言えないけれど、その努力がなかったら、こんなに便利な世になっていなかったと思います。
どうですか、現在。
壊してしまった地球環境を少しでも取り戻そうとたくさんの人たちが努力しています。呼びかけています。
だけどこれだけ不夜城になってしまった世界を止めるのは至難の業です。
人々はこんなにも電気を使用することに慣れてしまった。今では空気のように必要とされています。医療の現場にも電気は必ず必要です。
水を清潔に供給することも、ガスを安全に使用することも、乗り物を運行することも、現在の世界にはなくてはならないことになっています。だけど資源には限りがあります。
今の勢いを私たちに止められますか?
それでも、未来のこどもたちにこの地球を渡すためには、今すぐできる小さなことから始めるしかありません。
そんなことを墨さんから学びました。
私も制作には電気も水も使います。溶剤も使います。環境に悪いものを自然界に流さないよう気をつけることはできますが、全く使わないようにするなら、制作のやり方を変えなければいけないでしょう。
墨さんは絵を描き、仲間と合唱をするのも大好きなので、苦しいだけの人生ではないことを書き添えます。芸術は人を癒やしてくれる存在だと思います。
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