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カラーとモノクロ 24

LINEについて話したこと

先日、同年代の作家たちと話をする機会があり、話題に出たのがLINEの使い方のこと。
最近は大人も大半の人がスマートフォンを持っていて、ひとと会っている時でさえ通知が鳴ったら画面を見ずにいられない。仕事中だったら控えるのだろうとは思うけれど気楽な関係だから、話の最中でも情報に気持ちを持っていかれる。
 
LINEの画面を開かなくても画面上の通知を見るだけで内容を知ることができるから、アプリを開かないで済ませるひとがいて、それだと既読がつかないのだそうだ。つまり読んだことが相手に伝わらない。
既読という文字がつくのは一部の人には良いことで、相手がそれを読んだとわかるだけで(返信はなくても)安心するという利点がある。「伝えられた」という安心感がある。特に相手が家族など親しい人で、電話に出ないが無事を確かめたいとき、既読がつくだけでほっとする。大事な連絡をしたいときに、それが「伝わっているのか・伝わっていないのか」がわかることは、送った方には重要である。
 
他方で読んだのに返事を返さないと苛立ちを募らせる人もいる。そういう人は既読がついたら返事が書かれるのを待っている。そうして返事が書かれたら、すぐにまた書き込む。そうやって1時間もLINEをする人がいて、私はそれに辟易した。それなら電話で話した方が早い。でも電話は嫌だという。理由はたぶんLINEの向こうで起こっているなにかしらの作業が電話であったら中断されるからで、LINEは生活の気配なく会話ができる便利なツールだから。電話なら気兼ねして、会話の途中でトイレに行ったり宅配を受け取ったりできない。
返事を待つ間に検索したり、ほかのアプリを使っても、その時間を相手に待たせておける便利さがLINEにはある。
 
そして「既読したのに返事がない」という怒りよりもさらに怖いのは、書いてある内容で傷ついたという点だ。
LINEには気軽さがあり、メールほどの重要性を感じさせない。メールは始まった時からビジネスライクなツールであった。だからメールの文章は割と固く、気遣いがあるが、LINEにその固さと気遣いを求めるひとはどれくらいいるのだろう。
だからといって普段のことをよく知らないのに余計なことは書けない。ちょっとした言葉の綾が相手の心に刺さったりする。こちらは傷つけるつもりなど毛頭ないのに、相手からみたら禁止ワードだったということがある。だったらしつこくLINEを書かなければよいのに、なんとなく続けて、かまってほしいというひとが多いのも困りものだ。
 
声として発される時、音のニュアンスできつく聞こえない事柄も、文字で見るときつく感じてしまうことがあるとかなりのひとから聞く。
だからスタンプなんてあいまいで便利なものが登場したのだろう。そして忙しいときの返事や、ニュアンスが難しいときの返事として大いに使用されている。文字を書くより楽だし、スタンプを見て察してと思っていることだろう。
文字で伝えるということはかなり難しいから、大切な話のときは会って話すのがいい。
 
ひとによって波長が合うひと、タイミングが合うひとがいて、逆のひともいるわけだから、簡単にLINEで繋がって、そこから親しくなろうなんて思わない。
これらの理由で、私はLINEを普段使いしたいと思えない。
 
しかし、これらを踏まえた上で、LINEの必要性も感じている。今までのどの時代よりも「個」で生きる社会になろうとしているからだ。誰かと繋がるということをやめたら、ひとは生きていけないからだ。
 
高齢化が進んで、文化が盛んだった時代に影が差してきた。長く続いてきたサークルや教室などが閉じてきて、コミュニティを大切にしていた時代から個の時代に移ろうとしている。「個」は楽だけれど、ひとりでは行き詰ったり、世間から離れてしまう。同じ文化圏にありながら互いを見ずに自分のことばかり考えていると「個」は栄えず、文化も衰退する。別に文化も社会も関係ないよと思うひともいるだろうが、住んでいる地方の文化的な活動がなくなっていくと寂しいと思う。文化的なものは突然ひょこっと台頭してくるものではなくて(スポーツや音楽なら才能があるひとが一人現れたら変わるかもしれない)、長く続けて育てていくものだ。
 
ちいさな集まりを持とうと努力しているひとびともいる。そこには自分のことをわかってもらいたいひとや、成長したいひとが集まってくる。ところが集まりを続けようとするなら、連絡を取る手段が必要だが、この頃は家を知られたくない、連絡先を教えたくないひとが多くなっている。個人情報保護法が施行されたあと長く時間がたって、いまや個人の情報を知られないようにするのが普通になっているので、一緒になにかをしようとしても連絡先を教えてもらえないことが多い。若い方に多く「連絡はLINEで」と言われる。これが不思議なのは電話番号を知らなくてもLINEで連絡が取れる。友達登録もいらない。
「オープンチャットにみんなで入れば、そこで連絡できるから」
聞いたときはびっくりした。
万が一LINEが繋がらなかったときに、急な連絡をどうしたいいのか、と聞いても「大丈夫」という。大丈夫とはどういうことなのか、と聞きたかった。
 
搬入日に来なかったり、搬出日にこなかったりすると、忘れていて来ないのか、用事なのか体調不良なのか気になる。
作品をどうするのか、預かってよいのか聞きたくても、LINEに既読がつかなかったらどうしたらよいのか……。
昔なら電話して「忘れてませんか」と聞けばよかった。でも現代はLINEに既読がつくのを待たなければならないのだ。
 
個展を開催できるなら心配しない。でも、まだひとりで作品展を開けないがやる気はあって、仕事を持ちながら文化的な活動を続けようとしているひとを応援したいから、LINEでもいい。今は繋がっていて。
 
 


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