めちゃくちゃな10代

紡績工場に行ってからの私は
自由でした。
自分の身ひとつ、
誰からも搾取されることなく、
誰からも守られることもなく、
私は、自由でした。

生活が荒れて、
自分が嫌いだった、いわゆる不良のような
生活をしました。
知り合いもたくさんできて、
遊び歩きました。
よく年齢を重ねてから
10代の話を武勇伝のように語る人がいますが
私には、それはできません。
未成年でお酒を飲み、
年をごまかして夜の仕事をし、
暴走の仲間に入ったり、
淫らな行為をしたり、
犯罪すれすれのことをして、
毎日笑っていましたが、
心の中は
砂漠のようでした。

苦しくて、悲しくて、さみしくて、
砂漠の砂のように
潤うことはなく、ただ渇いていました。

周りの人たちは
私を恐れていました。
何をするかわからない、いつ死んでもいいように見える、と。
実際、その通りでした。
私が死んだところで
誰も悲しみません。
誰も、私を悼むことはないのです。

私の心は、愛情を求めていました。
何を言っても、しても、
味方になってくれるような、
無償の愛情のようなものを求めていました。
本来、そのような無償の愛とは
子供の頃に、親から与えられるのかもしれません。
そして、その関係性により
人を信じたり、信じてもらったり、
愛情を与えあったりするのでしょう。
私には、その部分が欠落していました。

私は、さ迷っていました。
どこにも居場所はなく、安心もできず、
何をすればいいのか、話せばいいのか、
生きてていいのかさえも
わかりませんでした。

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