44.思考停止民族

誰しもが自らの意識、つまりは顕在化するもの以上に「潜在意識」と言うものを持っている。

個人(人)であれば自らの内面だけで消化すれば良いだけの事だが、社会や集団となると全く異なった視点が肝要となってくる。

これらを「集合的無意識」と言うが、限定的に解釈すれば「社会規範」や「公序良俗」、「社会通念」と言うものになる。

無論、これらも個人の意識の中で許容・寛容される部分と忌避される「限度」と言うのは異なってくる。
そこで社会合意としての「最低限度」や「受忍の限度」と言うものが示される。

しかしここで最もややこしいものが、最近でも話題の「宗教」あるいは「信仰」というヤツである。

キリストの絵や像を足で踏んだところで何か問題があるという科学的エビデンスは当然にない。
ところが有名な「踏み絵」はキリスト教信者の炙り出しに使われた事は歴史的にも明白。

処刑という生命を失う御刑より信仰というのは他の者からは常識を疑うが、信者にすれば当然。
言うなればもはや「思考停止」である。

何が問題かと言うと、追い込まれてしまえば誤った判断をしてしまう可能性が誰にでもあると言う事だ。
これは宗教に限った事では当然にない。

この日本という能面国家において、学校という名の「ロボット生産工場」で続々と「生産」される子どもたちが大人になり思考停止したまま画一化された社会の中で埋没していく。

そして能面ロボットどもは、お上に言われた通りにひたすら「偽装」、「隠蔽」、「捏造」、「改ざん」などを繰り返す。そこには社会通念など一切 存在しない。

誠に残念ではあるが、生まれてくる国や人種、民族は選べない。


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