19.実子誘拐犯によって奪われた母乳育児

19.実子誘拐犯によって奪われた母乳育児
 
平成25年(2013年)8月10日土曜日にまず1人目の我が子(生後3ヵ月、乳飲み子の長女)が元夫に実子誘拐をされる直前、元夫は明らかになんとか私を怒らせて「騒ぎを起こしてもらおう」と画策をしていた。私は元夫である相手方の「挑発」にまんまと乗っかり、神経質な元夫を逆なでさせようと相手方の靴の中に「チラシの燃えかす」を入れたのだが(このことは相手方自身も当初は認めている)、それがなぜか裁判の途中で 「チラシの燃えカス」 ではなく、いつの間にか「子どもたちや相手方を焼き殺そうと放火」したなどと随分と飛躍した主張にすり替わっている。相手方はここまでして子どもたちを母親と引き離そうとする暴挙に出たわけだが、こうした行為は刑法222条の脅迫罪に問われかねない犯罪行為だ。ところがおかしなことに、これを暴力団関係者が行うと暴対法も相まって重罪でビシビシと締め上げられるのだが、「弁護士」を通して行えばどういうことか正当な業務という事になってしまう。
 
日野SIDS事件や杉並割り箸事件はいずれも医師がその責任を問われたものだ。どちらの事件も医療機関が関与しながら子どもの命を救えなかった痛ましい事件であるが、この日野SIDS事件で病院から金を奪おうと暗躍したのが当事者から依頼を受けた日野市民法律事務所。私の相手方代理人弁護士木村ウソツキ真実の所属していた法律事務所だ。当時の木村ウソツキ真実は司法修習を終えたばかりの駆け出しであるが、この事件を通してこうした脅迫・恐喝紛いの手口を学んだのであろう。
 
そんな木村ウソツキ真実は私の子どもの父親である相手方と結託して、私の子どもを殺そうとした、あるいは命にかかわる状況に陥っても仕方がない罪を犯した。
 
この「私の子どもを殺そうとした、あるいは命にかかわる状況に陥る」と言うのは、別離当時生後3か月であった長女の事である。当然ながらまだ当時は乳児、つまり乳飲み子であり私の母乳を飲んでいた時期である。
 
長女は出生時に新生児黄疸の診断を受け退院後も別の病院にて入院する必要があったため、その病院へは毎日母乳を搾って病院に持って行った。さいわい医師の懸命の医療もあって無事に退院出来ているがその後僅かな期間で相手方による突然の 実子誘拐 で引き離されており、長女と一緒に過ごす事が出来た時間はあまりにも少ない。
 
授乳を通して子どもとのスキンシップが生まれ、一層の愛情を感じるものであるがその事は単に「気持ちの問題」と言うものではない。もちろん、母親によっては身体機能上、十分な母乳が出ないと言う事もあろう。私自身、母親と言うには余りにもつたないのであろうが、
 
 
母乳の方は誰よりも良く出た。特に誰かと比較したという事ではないが、その時の看護師からも褒められた事は私の努力という部分ではないのだが、やはり認められたようでうれしかったものだ。
 
 
昔に比べて育児がラクになったとされる要因に粉ミルクと紙おむつの存在が上げられる。ところが紙おむつのCMはいくらでも流されるのに、粉ミルクのCMを見ることは一切ない。粉ミルクのCMは現在は自粛されているのだ。これは法令で明確に禁止されているものではないが、我が国に限った事ではなくWHO世界保健機関によるWHOコードで国際的な共通事項となっている。
 
近年、粉ミルクだけでなく液体ミルクも認可されたと聞く。また計量などの手間の省けるミルクキューブも登場している。液体ミルク認可に際して、製品には「できるだけ母乳で育てましょう」という事を表示する事が義務付けられている。この事は母乳の出が悪く、粉ミルクなどの母乳代替品に頼る事を余儀なくされる当事者にとって大変つらい事であり、ただでさえ不安定な出産期の母親の精神面に少なからず悪影響を与えるとして嫌忌する動きもあるが、赤ちゃんの事を第一に考えたらどうしても書かざるを得ないものだとされる。
 
現代的な風潮として「男だから」とか「女だから」といったジェンダーへの配慮に欠いた事を言えば袋叩きにされるような傾向がある。もちろん性別による不当な扱いは厳に慎むべきものであろうが、母乳を赤ちゃんに与えると言う事は女性でなければ絶対に不可能な事だ。
 
粉ミルクのCM自粛の契機とされるのがネスレボイコットと言われるものだ。我が国でも明治や森永、和光堂と言った乳業・飲料の大手メーカーが粉ミルク製造では良く知られるが、世界的に言えば我が国でも飲料メーカーとして知られるネスレが最大手である。我が国に限らず先進国の多くは少子化という課題を抱えるが、それは即ち出産数の減少、赤ちゃんの数の減少であり、ひいては粉ミルク需要の減少を意味する。
 
そこでネスレでは販促の一環として発展途上国に於いて試供品を潤沢に提供する事で粉ミルクの良さを知ってもらい、売上をカバーしようとしたのだ。
 
もちろん、それは悪い事ではない。母親としても授乳が絶対であればその期間に仕事に重視する事などが制限されるが、粉ミルクを使えば時間的な制約から逃れることも可能になる。そしてやはり母乳の出が悪いという、それこそ自分ではどうにもならない事に苦悩する必要もなくなる。
 
ネスレボイコットの背景は発展途上国では粉ミルクを十分に買える経済的余裕がそれほどない事、そして必ずしも安全な水が手に入るとは限らないという事情がある。安全ではない水で溶解された粉ミルクに拠る赤ちゃんの被害も生じ、それがボイコットへつながったというのだが、
 
 
母乳にはスキンシップだけでなく赤ちゃんの生命を守るための有用な機能が備わっている事を忘れてはならない。
 
 
免疫もその一つであるが、もちろんそれだけではない。如何に技術が進化しようと粉ミルクは母乳とは異なるものだ。牛乳由来のたんぱく質を母乳と同じものにするという技術は今もない。人に拠ってアレルギーを起こす物質は異なるし、消化できるものも異なる。
 
赤ちゃんにとって最も安全なもの、それが母乳だ。赤ちゃんは母親のおなかの中で生まれるまで育つ。両親由来のアレルギーなどがあったとしても、
 
その成分があれば先に母親の方で異常を感知し、赤ちゃんに届く前に排除が可能だ。粉ミルクの各メーカーの努力で安全性などは担保されているのだろうが、赤ちゃんのためにそれこそ母親が自らの体内でオーダーメイドされる母乳に勝るものではない。
 
特に免疫の問題は深刻だ。昨今の未曽有の感染症。その収束は言い換えれば人類がその免疫を獲得する事でしかありえない。新型コロナでなくとも、その辺でいくらでも存在する例えば大腸菌などでも、時としてO157のような変異で凶悪な病原性を示す事もあり得るのだ。
 
ちょっと調べればいくらでも出てくるが先のSIDSのリスクは母乳育児と比べて粉ミルク育児のリスクは2~5倍。胃腸炎など消化器系の病気は更にリスクが高い事を厚労省が公式の見解として公表している。
 
 
母子手帳について、相手方が「返せない」とする根拠を未だに返答しないのであるが、その母子手帳に記載がある項目について、その子が母乳で育ったか、粉ミルクを補助的に使ったか、そして何らかの事情で粉ミルクに頼らざるを得なかったのかという部分がある。
 
 
平成8年(1996年)7月12日、大阪で学校給食を原因とする大規模な食中毒事故が起こった。被害児童の数は1万人に迫り、3名の命が失われた。この時に真っ先に調べられたのが乳児期の栄養が母乳か粉ミルクかという事だ。現在の新型コロナウイルス感染症も人に拠って症状が出ない事もあれば、基礎疾患を要因とする重症化まで個別の差は大きい。
 
大阪の食中毒事故も「回復して終わり」という事ではない。重篤な後遺症と戦いながら20年近い歳月を経て4人目の犠牲者まで出ているのだ。
 
母乳がなくとも粉ミルクで良いという根拠を医学の素人である私に、自らの都合で 親子を引き離した自称・子どもの人権派 木村ウソツキ真実 (自らの嘘については 「記憶にない」 とのこと)や元夫である相手方(小山田隆志)は分かるように答えらえるのだろうか。私は問いたい。

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