【気まぐれエッセイ】曖昧な正義感と陰口についてのマイルール
私は中高生の頃、潔癖なまでに陰口を嫌っていた。「陰で言うなら本人に面と向かって言う。本人に言えないなら陰でも言わない」このルールを徹底していたのだ。
それは思春期にありがちな、ややウザめの正義感と美学からだった。良いことのような気もするけど、頑なになりすぎて、周りの人たちと上手くいかないこともあった。
今も基本的な考え方は変わらないけれど、昔より柔軟に対応できるようになったと思っている。人が誰かの陰口を言っているのを耳にしても目くじらを立てることなく、空気を壊すこともなく、かと言って加担することもなく、サラッと受け流せるようになった。
今だってあんまり陰口は言いたくないけれど、昔とは違う理由も加わってそう思うのだ。
それは、人の口に戸は立てられないのだと知ったから。そういう部分に関してはあまり他人を信用していないのかも。でも「それが大人になると言うことなのか?」と当時の私に聞かれれば、「そうだよ」とは答えたくない気もする。
ただ、「正しさを追求することが、人を幸せにするとは限らない」ということだけは、あの頃の私に言ってあげたい。『善悪の境目が曖昧になっていくこと、それでいて道を踏み外さず自分なりに地に足をつけて歩いていくことは、大人になること』と言ってもいいんじゃないかと今の私は思っている。
そんなわけで、陰口について私はこんな身勝手なルールを持っている(笑)
●家族、彼氏にだけ聞いてもらうのは独り言と同じ。
●陰口の対象となる人のことを、全く知らない人の前で、匿名でなら言ってもOK。
陰口嫌いなんて言ったって、所詮こんな奴だ(笑)。聖人君子には到底なれない。
人から陰口を聞くときも、私が全く知らない人が対象(知っている人なら話は別)であれば、私は大抵、身贔屓全開で、全面的に目の前の人の味方になる。会ったこともない人のことを、ケチョンケチョンに言っちゃうこともある(笑)。だってこの先も知り合うことがなければ、私にとっては架空の人物と似たようなものだから。愚痴をこぼさずにはいられないときって誰にでもあると思うから。私に心の内を見せてくれた人には、気持ち良くなってもらいたいからね(笑)。スッキリしてほしいの!
でも共通の知り合いの陰口で盛り上がるようなタチの悪いことはしたくないと、やっぱり思う。
そんな曖昧な正義感を今もひっそり胸に持ちつつ、ほんのり周りとも調和して生きていけたらな、と思っている。