【気まぐれエッセイ】綺麗になることが好き
私はずっと、自分の執拗な美意識を滑稽だと思ってきた。結果が満足に伴っていないから余計に。だから、友人やエステのお姉さんから「美意識が高い」と言われることがすごく嫌だった。
相手は褒め言葉のつもりなのだろうけど、それなら断然「綺麗」だと褒めてほしい。
分野によっては、頑張りを認められると嬉しいこともある。私の場合、人生という大きなくくりでなら、「よく頑張ってきたね」と褒められたら、嬉しくて泣いてしまうだろう。
でも、こと美に関しては、努力を褒められたところでちっとも嬉しくなんかない。むしろ妬まれたっていいから「何にもしてないのに綺麗でいいよね」と言われたい。
ずっとそんな風に思ってきた。今でも基本的には変わらないけど、あることに気づいてから私は、綺麗になるためにあれやこれやと工夫する自分も、人からそれをストイックだとか美意識が高いだとか、努力家だとか言われることも、前ほど嫌ではなくなった。
そのあることとは、単純に、私は綺麗になることが好きということだった。
例えばそれは誰かが、釣りや野球や、お絵描きや読書、歌うことが好きなように、私はただただ、綺麗になることが好きなのだ。
その混じり気のない「好き」という気持ちに、「綺麗になって優遇されたい、一目置かれたい、ちやほやされたい」なんていう承認欲求が、いつからかこびりついてしまっていたから、こじれていただけのこと。
私が嫌悪していたのは、長年抱えてきたその不純な動機だったのだ。
今だって、承認欲求が完全に消えたわけではないし、この先完全になくなることはないのだろうけど、そのことに気づけただけで、心がスッと軽くなったし、綺麗になるためにあれやこれやと工夫する自分を、好きでいてあげられるようになった。
理想の姿を目指す自分を「綺麗になるために必死で可哀想」なんて非難するのはもうやめようと思う。満足いく容姿でおしゃれを満喫することが、私はただただ、たまらなく好きなのだから。飽きるまでやればいいのだ。