【気まぐれエッセイ】良い子の脱皮・目覚める女の本能
人から褒められるって、嬉しい。
きっと、誰だってそう。
でも"良い子だね"って褒められると、どうしてだか息が詰まる。
”悪い子だね”と言いながら愛されたら、私はきっと、泣いてしまうだろう。
10代~20代、ずっと私は、男の人にそんな風に愛されたいと、心のどこかで望んでいた。もしかすると今もそうなのかもしれない。
だけど私を好きになってくれる男の人は、大体私を「優しい」とか「良い子」だとか言ったし、私はそれにいつもうんざりし、がっかりした。私を気に入ってくれるお客さんは、皆口を揃えて「君にはこの世界は向かない」と言った。
唯一私に「水商売が向いている」と言った男の人は、18歳の頃、上京して初めて勤めた赤坂のお店で知り合ったお客さんだった。彼は横浜か、たぶんその辺りでフィリピンパブをいくつか経営していて、お酒を一滴も飲まない人だった。もう何曜日だったか忘れてしまったけど、毎週決まった曜日に横浜から赤坂まで車で来て、オープンからラストまでいて、指名している三人の女の子をアフターに連れ出すというのが、お決まりの流れだった。私はその三人のうちの一人で、大人の世界を、そのお客さんと、二人のお姉さんたちに教わった。当時はおじさんだと思っていたけれど、今振り返ってみえると、たぶんそんなに年はいっていなかったと思う。40代だったんじゃないだろうか。
私の中でその人は、最後まで単なるお客さん(もちろん良いお客さんではあった)だったけど、彼の目に映る「私」が、今までの私とは違っているようで、それが新鮮だったのを覚えている。彼が教えてくれる私の姿こそが、本当の私なんじゃないだろうか、とも思った。もっと剥き出しに生きてみたいとも。
あのときもっと振り切って生きてみたら、今何か違っていたのだろうか。
「それ触ったらダメよ」と言われれば嬉しそうに触る。「避けて通りなさい」と言われた水溜りでは、必ず水遊びをする。幼い頃の私は、そんな子どもらしい悪戯心をちゃんと持っていた。人として本当にダメなこと以外なら、大抵のことは許されるって、たぶん知っていたんだ。あの頃はまだ。
いつからだろう。叱られることが怖くなってしまったのは。
つまらない、良い子になってしまったのは。
一度身に付けてしまった当たり障りのない振る舞いは、そう簡単に変えることが出来ない。
だけどこのままじゃ、死ぬとき後悔すると思うんだよね。だから今からでも、もっと剥き出しに生きてみようと思うんだ。
"良い子だね"って褒められるより
”悪い子だね”と言いながら愛されたい。
これってきっと、女の本能なんじゃないだろうか。少なくとも、私の。
だけど……
"綺麗じゃなくても愛している"と言われるより
"綺麗だね"って言われた方が、やっぱり、絶対の絶対に嬉しい。
それだけは昔から変わらない。これもきっと、女の本能、なのだと思う。