生き切る、という意味が前よりひとつ、深まった。
25歳
本音でありのままで生きることの素晴らしさを知った。
あらゆることが、こわくなくなった
と思った。
そのありのままは、少し野獣で子供で歪だったけど、
その生き方は
もぎたて5秒!
みたいに、青青として、みずみずしくて
生きているエネルギーみなぎっていた。
26歳
それがだんだんと、荒々しくなって
粗雑な感じが強くなった。
あらゆる大切なものの、何を大切にしていいのかわからなくなって
もがいた。
その中で沢山、人もわたしも傷つけた。
きっとこれは、なにか違うと
思えなかった。
思い切り生きている、そのことを盾にして
横柄になっていく自分を
見てみぬふりしてきてしまった。
岡本太郎がまぶしかった。
だけど、それは岡本太郎の体現するそれとは
違っていた。
真正面、ではなかった。
27歳1日目。
そのことに気がついた。
思い切って、毎日を生き切ったら、
あらゆる瑣末なことを大切にできないと錯覚していたわたし。
ううん、わたしが触れるものひとつひとつ
大切にできる
かもしれない、と。
それは、たぶんわたしが気づいたものくらいは
できる。
沢山本当は取りこぼしているけど、
けれど気がついたものたちくらいはその中の
昨日より、もうひとつ、
大切にしたい。
そうやって生きよう。
27歳1日目。
わたしは、わたしが触れるもの気がついたもの、人、ことを
大切にする
そうしていくと、自分のいのちを大切にするってことだというのが
わかりかけている。
不恰好だけど、26歳までよりはよくて、
そう思ったら踊りがひとつ変化した。
26歳、辛かった。
それに一本足した。
27歳すでに、一本分幸せだ。
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