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かばわなくても平気な私でありたくて。

あたしの文章って

なんて、自分をかばってるんだ。

自分をどこまでも正当化したくて

でもそんなことをしたいってのは

それほど、自分を許せない自分がいて。

わたしよわたし。

自分はそんなに駄目ですか?

自分にこんなにも認められない自分が

かわいそうになってくる。

そんなにかばわなくとも、

まぁまぁやるだけやってるよ。

そう言ってやりたい。

証明しなくとも、そこにあるものを

みんな見つけてくれると信じていて。

大丈夫。わかるから。

わかってるのだから。

だから、そんなに怯えないで。

そして、それと共に

私が自分を認められないのは

きっと普段の素行のせいだ。

その乱雑さが、結局あらゆる判断に浸透して

大胆だけど、省略し過ぎてしまう。

プレゼントをもらった時に乱雑に破いて

いち早く中身を取り出すみたいな雑さ。

それが、わたしの生き方の始終に浸透している。

昔からそういう粗雑さがあって

それらを、ひとつ丁寧にやってみよう、

じっくりと。

それは、人や自分のことに取り組む時に

じっくりできる私になる、土台づくりみたいなものなのだろう。

それが分かってきたから

あともう少し、丁寧に

今日はも少しだけ、丁寧に。

そうやって、全部大切にしてみていったら

生きること全部が大切なものになってるってことだ。

そういう生き方したらきっと、

わたしはわたしを取り繕って無理にかばう必要がなくなる。

そのまま、全部大切にしてるわたしは

そのままで、目の前の人の意見も

自分の意見も

それぞれのいのち

ぜんぶ、大切にできるんだろうな。

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