第10回W選考委員版「小説でもどうぞ」応募作品:うたうたい
第10回W選考委員版「小説でもどうぞ」の応募作品です。
テーマは「さだめ」です。
どうにもイメージをつかみづらいお題でしたが、なんとかがんばりました。
供養しますので楽しんでいただければさいわい。
うたうたい
コンサートホールの舞台に立つ。目の前にはたくさんの観客がいる。
あの人達はみんな、僕の歌を聞きに来たんだ。
ちいさな頃から音楽教室に通っていた。通うと自分で言い出したのか、通うようにと親が言い出したのか、今となってはどっちかわからない。
けれども、音楽教室でのレッスンはたのしくて、僕はピアノとバイオリンと、それから歌に夢中になった。
幼稚園の頃から中学に入ってからも音楽教室に通い続けた。そのことになんの疑問も抱かなかった。
そうしているうちに、僕は音楽で身を立てたいと思うようになっていた。音楽に関わって生きていきたいと強く願うようになったのだ。
だから、高校は音楽科に入った。元々女子校だったところが共学になったところらしく、周りは女子ばかりで少し肩身が狭かったけれど、それでも退学したりせずに通い続けた。
大学も音大に入った。音大の中では飛び抜けて出来のいい学生ではなかったけれども、必死でレッスンを続けた。もちろん、一般教養の単位もおろそかにはしなかった。一見無関係に見える一般教養も、音楽を続ける上では必要だとわかっていたから。
なんとか単位を落とすことなく学年があがって、卒業公演の日を迎えた。僕は合唱の公演に出た。テノールパートの片隅に立っていた僕は、舞台前面に出てソロパートを歌う生徒を、少し悔しく思いながら見ていたっけ。
卒業するまで、僕は凡庸な一学生だった。卒業式でも舞台に上がる首席と次席の学生を見ていた。あのふたりは音楽家として輝かしい未来を送るのだろうなと思いながら。
卒業後の僕は、なんとかちいさな楽団に入り、合唱の歌手として生活していけることになった。
ちいさな楽団とはいえ、歌手として生きていけるなら本望だ。そう思ったけれども、順調にはいかなかった。
給料が少ないので掛け持ちでバイトをしなくてはいけなかったし、楽団の中での雑用もだいぶやった。歌手なのに舞台に出ることもできず、舞台裏で働くこともたくさんあった。
それでも、僕は歌うことをやめられなかったし、あきらめられなかった。
舞台に立てないことがあってくやしくても、それでもまた舞台に立てるかもしれないという希望や可能性を捨てられなかった。
ちいさな楽団の中で、他の歌手や演奏家がやめていくのを見ながら、僕は歌うことにしがみついた。ここで歌うことから離れてしまうのが、どうしても受け入れられなかった。
歌うことをやめた自分というのが、全く想像できなかった。
そうしているうちに、音大を首席と次席で卒業したふたりが、今では企業の事務をやっているという知らせを聞いた。その方が生きていくのに都合が良いからだそうだ。
そんなのはわかっている。それでも僕は歌うのをやめたくなかった。意固地になって楽団にしがみついた。歌から離れるくらいなら死んだ方がいいとまで思った。
僕は歌い続けたんだ。合唱の一部に混じって歌って、そのうちにソロパートを任されるようになって、最終的に独唱歌手になるまで、歌い続けたんだ。
僕はまだ、音楽の舞台に立っている。舞台袖に引き下がったりしなかった。
独唱歌手として大手楽団からも声がかかるようになって、僕は今、大きな舞台の上に立っている。
舞台の上から席を埋め尽くす大勢の観客を見る。
学生時代、凡庸だった僕が独唱歌手になって、僕の歌を求めてこれだけの人が集まるようになった。
才能のたまものだとか、努力の結晶だとかいう人がたくさんいる。たぶんどっちも当たっていて、どちらも外れているのだろう。
僕を評する観客たちの視線が僕に集中する。楽器の演奏に合わせて歌い出す。
観客たちが聞き入っているのが見える。
でもきっと、僕は目の前の観客がたとえひとりだったとしても、いや、ひとりもいなかったとしても歌い続けるのだと思う。
僕が今この舞台に立っているのは、才能や努力のおかげもあるかもしれないけれど、それ以上にさだめなのだ。
僕はきっと、生まれてくる前からずっと、歌い続けることをさだめられているのだ。
一曲歌い終わると、コンサートホールを揺るがすような拍手が沸き起こる。
まるで僕のさだめを祝福しているかのようだ。