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シャガール-調和を知る
日曜日(2018年6月のこと)に、オットーネーベルの美術展に行ってきた。
お馴染みの京都文化博物館。
期間が割と長いからか、日曜日の昼でも混み具合は大したことなかった。
今回、久々に絵を見ながらメモをした。
ふいに気がつくことが多くあった。
たとえば、これはシャガールの絵になるけれど、家や人が逆さになって描かれているものがある。
彩色も多彩で、人の肌色が緑だったり、家の色も実に見事な塗り方、バリエーションだ。
”ちゃんと”塗られていなかったりする。
しかし!
これらの絵の世界の中では、これこそが調和であって、自然なのだ。
何も不思議なことはない。
そういう世界観だ、というだけだ。
しばらく見続けていると、だんだんとその世界観に順応していく自分に気がつく。
シャガールというひとりの画家から生まれたそれぞれの作品の世界観は、
シャガールという基軸に忠実である。
心に忠実である。
そしてシャガール自身が、彼の心に忠実であった。
だからこそ、彼は絵に自然を与えることができた。
調和と、さらには彼の人間性を乗せることができた。と思う。
自分の中にあるイメージを、そっくりそのまま持ってきたのであるから、この作品と対峙することはすなわちシャガール自身と対峙することに等しい。
私たちは普段、誰かと向き合ったときにその存在を否定することはできない。
相手が宇宙人でもない限りは、その人が今ここにいて自分の前に立っていることに物理的論理的整合性が必ずあって、それを事実として受け入れるほかない。
*個人の好みの問題は別です。
シャガールに戻る。
彼の作品内部の部品ごとには大なり小なりの違和感があろうとも、一歩引いて一枚の絵として俯瞰してみると、シャガールの温かな人間性を感じられる。(個人の感想)
シャガールのスゴいところは、不思議な世界を描くのにも関わらず、それらの絵の中の一つひとつに対して、論理的な意味づけがちゃんとあること。
まあこれは多くの画家が、というか芸術家がそうなんだろうけども、歴史に名を残す人たちの偉大さを思い知る。
思い知るのであった…。
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