11月22日はいい夫婦の日、結構いろんな方が知ってる日ですよね。 前日は私の二次元の推しの誕生日でした。 息子と共に体調不良でケーキを買いに行けなかったのが悔しいので近いうちに勝手に誕生日お祝いすると思う。 それはそれとして、いい夫婦の日は亡き両親の結婚記念日です。 入籍した日か式を挙げた日かは教えてもらえなかったけど、「いい夫婦の日は結婚記念日なんだよ。お祝いなんて何年もしてないけどね。」なんてぼやいてた母のことは覚えてるんだよなぁ… もう顔も写真見なきゃ思い出せないし、
谷川俊太郎という人が詩を書く人だと認識したのは「春に」という合唱曲を知ってからだったな。 まだ小学生の私は少し年上の近所のお兄さんが好きだった。 兄の幼馴染でその当時中学生だったお兄さんに学校の合唱コンで歌った曲だと教わったのが春にという曲。 その曲を私も中学生になったら歌うのだと息巻いて一生懸命覚えたものの、3年間とも多数決に負けて歌えずじまいだったのは悔しかった。隣のクラスの子達が春にを歌って学年優秀だったのも悔しかった。そんな思い出のある曲。 かっぱの詩も好きだけど
初めてハイジの白いパンを焼いた翌日にレシピ動画を見てリベンジしてました。 しっかり時間を測ってこねこねした分おいしくなったように感じました。 やっぱりパン作りは沼ですね、他にも作ってみたくなる… 昨日も思い立って黒豆の消費ついでに息子のおやつとして黒豆パンを作りました。 レシピによって中に詰めたり、のばした生地に黒豆を置いてロールしたりと色々あって初心者なのにロールする方を試そうとしたのが失敗でした。 黒豆を欲張りすぎてうまく巻けないのなんのって。 端っこも黒豆の水分が邪
ハイジの白いパンと呼ばれるパン、幼稚園小学校中学校と給食ではソフトフランスという名で献立に載っていたパン。 アラフォーに差し掛かった今でも大好きなものの1つだ。 たぶん初めましては『北欧』(今は琴似にしか店舗が残ってないパン屋さん)で売ってた白いパンだったと思う。 幼少期に病院の最寄駅でご褒美として買ってもらっていた記憶が強くある。 給食で出る度に普段少食なのが嘘みたいな勢いで完食し、おかわりじゃんけんに参戦するくらいには大好き。 行儀は悪いのだけどポタージュとかシチューに
編み物の話してて思い出したのは幼馴染のおばあちゃんのこと。 先日訃報を知ったのはそのおばあちゃんの連れ合いだったおじいちゃんの方だったのだけど、苗字が少し変わっていたので日課のお悔やみ欄チェック(疎遠になった親戚でも不義理するの良くないよなって思ってなんとなく見てる感じです)で気付いたのです。 そこんちのおばあちゃんは小豆でお赤飯を炊く派の人でなんかしらあると赤飯炊いて届けてくれてました。 入学祝いにも赤飯、合格祝いにも赤飯、初潮が来た時も赤飯が届けられてそこの筒抜け感が嫌
性格が大雑把ゆえに編み物は好きだけど、細かいレース編みは挫折して極太の毛糸でザッカザカ編んでいくのが大好きな私です。 初めて編み物に触れたのは小4の時、母親が肩こりがひどくなるとか文句言いながらも棒針でベストを編んでた時に興味を持ったのがファーストコンタクトでした。 その時はひたすら棒針で表編みをしていってマフラーのなり損ないを錬成したのがやっとだったかな。 もう少し大きくなってかぎ針はやらないのって言われて母親に教えてもらったけれど、当時は鎖編みすら形に出来ず挫折しました
幼少の頃からアレルギー持ちで花粉のあれこれに反応してしまう体で生きてますが、北の大地の南っかわに引っ越してきてからはなりをひそめつつあります。 道端の林も天敵の白樺でなくて杉らしいのできっとそのおかげかも。 それでもススキやブタクサや猫じゃらしのあの草とか鼻水ぐじぐじになる奴らは家の周りの草っ原に居るので油断大敵ですね。 エンドレス鼻水にならないだけ幸せだとおもうけども、アレルギーと無縁の体に生まれたかったなぁ。
夏場に手湿疹がひどくなったのでいつぞやTwitter(私は最後までXとは呼ばない←)で見かけた綿100%の靴下にしたら良くなったよってツイートを思い出して、タビオさんの綿100%靴下をゲットして2ヶ月ほど。 他の綿混だったり化繊の靴下よりフィット感がイマイチなのはタイッツーの方でタビオさんのタイーツを読んで理解していたので、そこは別にマイナスポイントにならなかった。 シンプルゆえに出先で靴を脱いだ時に靴下に埃とかついてると目立つのはちょっと悲しい。 住んでるのが古い社宅な
息子が人生&今年2回目の手足口病になって4日目です。 前回はまだ症状が軽かったのだけど、息子本人が喉痛くて飲み物も飲めずパニック泣きしまくってこちらも疲弊した1週間でした。 今回は前回よりプツプツが出た範囲が大きく痒みや痛みが出ていても、まだ自分で何なら飲めるか食べられるかを考える余裕があるみたいで、こちらも精神的な余裕はあるのが救いです。 でも旦那が珍しく出張で不在になる時に具合悪くなって小児科に駆け込むのは肝が冷えるのでやめてほしい。 子供の体調不良ってそういうもの
炊き立てのご飯にバターととろろ昆布と鮭をほぐしたのを乗っけてお湯をヒタヒタになるまでかけて最後に醤油をお好みで回しかける。 それが実家でよく食べてたお茶漬けのレシピ レシピってほどのものではないけど、美味しいに美味しいが合わさった結果美味しくてあったまるご飯だったので進学で実家を離れてからもよく作っていました。 もう一つ覚えてるのは母方の祖父母の家に行くと出してもらってた、冷やご飯にきゅうりの味噌漬けをみじん切りにしたのを乗っけて麦茶をかけていただくパターンのお茶漬け。
物心ついた頃には大好物で今もふとした時に買って食べてしまう二つの商品 チキチキボーンは1987年生まれで、堅あげポテトは1993年生まれらしい 他のおやつでもブラックペッパー味出たら買いに走るし、料理に使うのもテーブルコショーよりブラックペッパーなレベルでブラックペッパーが好きだ もう根っからのブラックペッパー好きなのだと自覚してる 今も小腹が空いたので冷蔵庫にこっそり保管してたチキチキボーンをレンジで温めて食べたあとだったりする 息子が2度目の手足口病になり、前回よ
母方の祖母は祖父が亡くなってから悠々自適に一人暮らしを満喫してた。 近所の馴染みの店で小物を買っては母や私の元へ寄越し、そしてまた新しく買ってとその頃に流行ってた民芸品に始まりバスタオルや半纏、羽毛布団までかなり気前よく与えてくれたもので。 そのお金はどこからきたかといえば亡くなった祖父が質素倹約して貯めた老後資金だったから、まぁ一人娘である母は死ぬまでに使い果たしたりしないでよなんてヤキモキしてたのを見てる。 祖父は本当に無駄を好まない人だったので生きてた頃は、遠くに出か
単純に自分の居住地と兄の居住地の気温差に戦慄してるだけの話なんですが。 自分は北の大地の端っこに住んでおりましてニュースサイトを見ると今日の最高予想気温は19度、かたやうちの兄は愛知県に住んでおりまして今日の予想最高気温は29度って出てるんですよ。 10度の差はやばい。自分が愛知に行ったら溶けて消えるわってレベル。 念の為にYahoo!の防災速報の地点登録も自分のとこと兄のとこの2カ所登録してるので、いまだに熱中症警戒情報の通知が来て毎日のようにひええってなってます。 気
子供の頃、一周忌は丸1年なのになんで三回忌は2年なの?と不思議に思ってました。 たしか小二の時に亡くなった父方の祖母の法事でなんでなのって祖父に聞いた覚えがあります。 そんな祖父も5年前に亡くなり、今日三回忌なのはその息子である父です。 法事をやるにしても兄と私と旦那と息子くらいしか集まらないので、各々拝んでおくべっと決めたのは四十九日の繰上げ法要が終わって実家にお骨を安置した時だったか。 父が亡くなってから二年経ちようやく実家の処分も終わって、今は実家のあった土地を買わ