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何も無い日記:2周年らしい

今日でnoteを始めて2年が経ったのだそうです。この2年本当に色んなことが有った…わけではありません。僕の人生は本当に、本当に退屈で苦しい日々ばかりがずっと続いているような気がします。勿論何も無かった訳では有りません。友達とはあちこち行ってみたり、ファッションの楽しみを覚えてみたり、酒とカフェインに溺れてみたり。おおよそ当たり前をこなして当たり前に生きている人が発生するであろう程度のイベントには巡り会えているとは思います。だからといって、それで満たされはしません。それは僕が贅沢な事を求めているからかも知れませんし、或いは求める物では無いからなのかも知れません。

いずれにしても、です。僕はこの2年がもたらした物にさしたる意味も価値も見出せず、心に抱えた虚しさも絶望も肥大化させるばかりなのです。最近、それがすごく怖いです。後回しにせざるを得ないような未来の話は迫るばかりで、さりとてそれに対処する為の準備を整えるにはあまりにもスタートラインに立てていない。みっともない話なのですが、僕は家族に依存しています。自分で自分の事が出来ない。恐らく一人で生きている能力が欠けているのです。部屋は散らかしちらし、金は娯楽に費やし、そして真に反省できない。出来ない理由も対処すべき事項も理解できているはずなのに、そこに向き合っていないのです。ワガママな子供のように。気持ちが悪い。吐き気がするほどの嫌悪感、それを改善する気が無いことを何より軽蔑しています。弱者は救いたい姿をしていないと言いますが、まさしく僕は救いたいとは到底思えない醜い肉だなと心底思います。

別に2周年だからって訳でも有りませんが、あの頃死に損なった入り江に行ってみました。釣り人がチラホラ見えて、居場所にするには些か心地が悪い。気分も少しは晴れるかと思ったのですが、あてが外れました。人目を気にするには、少々余裕がありません。まあいいです、それでも多少は落ち着きました。何かをグチャグチャ考えられるほどではないなってだけ。
とりあえず、書けることは相変わらず書いてみます。ネタはもう尽きていますし、無名のメンヘラ自分語りに何の意味が有るのかは正直分からないですけれど、きっと何か意味を持つんじゃないかと、取り敢えず3年目も続けてみようと思います。


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