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1000年生きたい。
いよわ氏の「1000年生きている」が、今になって心に刺さっています。いよわ氏の曲にハマってから曲自体は聴いては居てその頃から好きな曲のひとつではあったのですが、そのメッセージ性を最近すごく強く感じるようになったように思います。
曲の淡々とした客観性。劣等感も探究心も虚無感も愛も、他人事として扱うその姿勢に乗せた詩は、ある意味で成功者らしい視点であるように思いました。実際、数十万のフォロワーが居るクリエイターというのは僕から見れば雲の上の存在に感じていますし、僕が穿った見方をしていることを含めて、嫉妬や羨望の対象になる数は矮小な自分には想像出来ません。いずれにしても、クリエイターというのは多かれ少なかれ下積みはあるでしょうし、自分の劣等感とは少なからず向き合っていて、それはいよわ氏も例外では無いと解釈しています。
人は、自分の経験を元にしか物を考えられない。創作者もまた、自らの経験を元に作品を作り、人々に寄り添い、共感を得ています。しかし、1000年生きているはある種の突き放し方をしているように思うのです。それは「貴方と同じ目線には立てない」と言っているようにも感じます。その上で貴方の創作が1000年残る何かになって、もしかしたら意思が生き残るかも知れないと締めくくる他人事的な視点が、極めて中立的で精一杯の励ましのように感じているのです。
僕は1000年生きられるのでしょうか?少なくとも、生きられるように努力することは創作の理由になり得るような気にはしてもらえた様な気がします。僕は、何者かになりたいです。