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ジョグジャカルタ思い出し日記⑨|西田有里

日本では服の仕立てはとても贅沢。しかし、ジョグジャカルタではオーダーメイドの服を作り着ることは然程特別ではありません。著者もガムラン演奏会の衣装などを仕立てていたのですが、中々お気に入りの仕立て屋さんが見つからずにいました。2000年代終わりのジョグジャカルタを思い出し綴る連載第9回目。

仕立て屋さん

 ジョグジャには仕立て屋さんがたくさんいる。布地を売る店もたくさんあって、ちょっと余所行きの服を仕立てたり、何かの行事があるときに参加者全員でお揃いの服を仕立てたり、ということが日常的に行われている。立派な店舗を構えているお店もあれば、近所の知り合いの奥さんが自宅で他の仕事の合間にやっているような仕立て屋さんもあり、金額もクオリティーも様々とはいえ、よほど特殊なオーダーでない限り既製品の服を買うのと大差ない値段で気軽に自分の体形や好みにあった服をオーダーメイドで作れるのはとてもありがたい。私もガムランの演奏会や影絵芝居ワヤン公演に出演する時の衣装になるクバヤというブラウスのような服をいくつも作った。でも、自分の好みがなかなか伝わらなかったり、デザインはよいけど粗が目立ったり、丁寧だけど納期を守ってくれなかったり、自分にとってパーフェクトな仕立て屋さんに出会うのはなかなか難しくて、より良い仕立て屋さんの情報を得るために、ご近所さんやクラスメートにお気に入りの仕立て屋さんについて質問したりするなど常にアンテナを張っていた。
 ある日、マタラム通りの住人でルジャールじいさんの姪にあたるラストゥリさんが、来月夫の田舎で親戚の結婚式に親族として出席するからクバヤを作らなくちゃ、と言い出した。結婚式の際に、お客さんをお迎えする親族皆で同じ布地を買って仕立てて衣装を揃えることはよくあることだ。結婚式の衣装と言えば、最近はムスリムスタイルのロングドレスとスカーフの衣装が主流のようだけど、当時はクバヤを着て下半身にはバティック布を巻き、サングルという伝統的な結い髪をするジャワ式の正装の方がまだ一般的だった。ラストゥリさんが昔から馴染みの仕立て屋さんに頼みに行くから一緒に行かないかと誘ってくれたので、私も試しに何か作ってもらうことにした。ラストゥリさん曰く、仕立て屋さんの彼女はジャカルタで長く働きとても優秀でいつもきっちり仕立ててくれる、とのこと。ジャカルタで修業した優秀な人、と聞いて若干不安がよぎったけれど(「出張美容師」の回参照)、あまり期待せずに興味本位で付いていくことにした。
 マタラム通りのルジャールさんの家から南側のメリアプロサニホテルの方まで歩き、チョデ川にかかる橋の方へ向かう。マタラム通りの東側にあたる川沿いのこの辺りも、小さな住宅が狭い路地にひしめき合っている地域だ。橋を渡る手前あたりで、ラストゥリさんの知り合いに親しげに声をかけられた。スリムなジーンズにおへそが見えるくらい短い丈のぴったりしたTシャツを着た女性で、髪を赤く染め、青いカラーコンタクトレンズを入れて目を強調した派手なメイク。グラマーな体の線が目立ってとてもセクシーで、ヒジャブを被ったムスリムの女性が多い街中でとても目立っている。ふくよかで下町の肝っ玉母さん風情なラストゥリさんとは対照的な出で立ちだけれど、ふたりは同年代なのか昔からの仲良しのようで、煙草を片手に少し立ち話。外国人の私が珍しいようで、彼女に頭の先からつま先までジロジロ見られて、ふーん、日本人なの、日本人は肌が白くてうらやましいわ、と言われる。甘く強い香水の香りが彼女から漂ってくる。ラストゥリさんは彼女のカラーコンタクトレンズに興味津々で、猫みたいな目、私もやってみようかしら、などと言っている。
 橋を渡るとすぐ左手に日本のアパートのような4階たての集合住宅があり、ラストゥリさんの馴染みの仕立て屋さんはこの建物の一室を自宅兼作業場にしていた。ジョグジャでこのような集合住宅は珍しいのかなと思ったが、後から聞くところによるとここは公営住宅のような建物ということだった。部屋に入ると日本の古いアパートの1DKのような間取りの住居で、殺風景な部屋の真ん中に大きな机だけがどんと置いてあって、その前で小柄で華奢な眼鏡をかけた40~50代の女性が姿勢よく座ってテキパキとミシンを踏んでいる。その大きな作業机以外には家具と言っていいものは何も無く、この家の中で他に目に入る物と言えば床に直置きしたマットレス一つと、少しの食器が洗って伏せてあるプラスチック製のカゴだけ。マットレスの片隅には赤ん坊が寝かされていて、その横にはまだ10代後半に見える若い女性が携帯電話をいじりながら寝転がっている。
 仕立て屋の彼女の作業がひと段落着くまで部屋の冷たい床に座って待つことになった。若い女性は誰かから電話がかかってきて赤ん坊を置いてさっさと外へでてしまった。ラストゥリさんと仕立て屋さんはもともとご近所さんだったとのことで、二人は近況報告や噂話など会話が尽きることが無いが、ジャワ語の会話なので私にはほとんど内容が分からない。ラストゥリさんによると、仕立て屋の彼女は夫と離婚した後、仕立て屋の仕事をしながら女手一つで子どもを育てたという話だったので、さっきの若い女性は彼女の娘で赤ん坊は彼女の孫なのだろうかとぼんやり考えた。ここの常連客になれば、彼女の身の上話なども聞けるようになったりするのだろうか。
 その後、仕立て屋さんの彼女はテキパキと私たちの採寸をして、希望のデザインを細かく聞いてくれた。彼女の落ち着いた口調やきびきびとした立ち振る舞いは、驚くほど殺風景なこの部屋に不釣り合いに思えるくらい何故かとてもエレガントに感じられた。外国人の私を見ても必要以上に詮索せず穏やかに会話してくれる様子にも好感を持った。私は伝統的なバティック柄の布でスカートを注文して、数日後取りにくる約束をしてその日はそこを後にした。
 またここを訪れることを密かに楽しみにしていたのだけど、数日後ラストゥリさんが出来上がった服をまとめて取りに行ってくれたため、行く必要がなくなってしまった。出来上がったスカートはとても丁寧な縫製で、こんなに安い値段で作ってもらうのが申し訳ないようなくらいだった。スカートはその後何度も着ていたけど、私の体重が増えてサイズアウトして今はもう手元にない。とても満足のいく仕立てだったのにもかかわらず、その後は何故かそこで注文する機会が一度もなかったことを今でもちょっと後悔している。


「ジョグジャカルタ思い出し日記」は月1回連載です。次回の更新は2024年1/13(
土)を予定しています。


著者プロフィール

西田有里 Yuri Nishida
ジャワガムランの演奏家。2007 年〜2010 年インドネシア政府奨学生としてインドネシア国立芸術大学ジョルジャカルタ校伝統音楽学科に留学し、ガムラン演奏と歌を学ぶ。2010年からガムラン演奏家として関西を中心に複数のグループで活動。ガムランとピアノと歌のユニット「ナリモ」にて、CDアルバム「うぶ毛」を発表。現在はインドネシア人の夫と共に結成したマギカマメジカにて、インドネシアの影絵人形芝居ワヤンを基にした活動を展開している。

https://magica-mamejika.tumblr.com


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