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ジョグジャカルタ思い出し日記⑧|西田有里

 ジョグジャカルタ名物のアンクリンガン。車輪付きの小型の移動型屋台で作り置きのおかずや軽食などを売っています。人々の集いの場でもあるアンクリンガンはジョグジャカルタには欠かせない文化。もちろんルジャール爺さんの家のご近所にも馴染みのアンクリンガンがありました。

屋台のインスタントラーメンと家の冷蔵庫

 ジョグジャカルタの街中には軽食や飲み物を出してくれるアンクリンガンと呼ばれる屋台がたくさんあることは以前にも触れたけど、マタラム通りの道端にはアンクリンガンがいくつも営業していた。だいたいどこも似たようなサービスのお店ではあるけれど、営業時間が違ったりメニューが違ったりとそれぞれにちょっとした特徴があって、似たような店が目と鼻の先にいくつもあるにも関わらず競争が激化することもなく、それぞれにうまく棲み分けられているようだった。 ルジャールじいさんの家の道路を挟んだ斜向かいに、当時ポパイというカセットテープやCDやVCDを売っている店があって、ちょうどその前あたりにも夕方から深夜にかけて営業しているアンクリンガンがあった。お名前は忘れてしまったけど小太りで元気で声が大きい女性が旦那さんと切り盛りしている店で、インスタントのラーメンや焼きそばを作ってくれるのが人気だった。どこにでも売っているインスタントの袋麺を使っているが、卵や野菜だけでなく唐辛子や乾燥させた小魚などを味の好みに合わせて足してくれるので、家で自分で作るよりずっと美味しく感じる。ご飯とインスタント焼きそばを上手に混ぜてそば飯も作ってくれる。
 夜にお腹がすいて、でもわざわざ出かけるのも面倒な時などに、みんなでここのインスタントラーメンをよく食べた。道路のこちら側から「おーい!」とルジャールじいさんが手を叩いて呼ぶと、道路のあちら側から「おじいちゃん、なに―?」ととても大きい声が返ってきて、しばらくすると店主の彼女が「なに食べたいのー?」と言いながら道路をこちら側に渡って来る。こちら側に渡ってきても、声の大きさは大きいまま。「とうがらし何個―?」などと大きな声で細かく注文を確認して、道路を渡って戻っていく。そして、ラーメンができあがったら、大きなお盆を持ってまた道路を渡って家まで持ってきてくれるので、私たちは道路のこちら側でただ座って待っているだけ。雨の日でも大きな傘をさして道路を渡ってきてくれるので、とても助かる。
 家の外にあるお店なのに、呼びかけたらすぐに来てくれて、まるで自分の家にいるような近さ。お店で調理された料理ではあるけど、インスタントラーメンだからなのかもっと気軽な感じ。ルジャールじいさんの店の前の道路にあるベンチに座って、道路の向こう側から運ばれてきたインスタントラーメンを美味しくいただいていると、道路脇のこのベンチも、さらには道路の向こう側の屋台も家の延長のような感覚になってくる。

 ところで、この大きな声の店主の女性、よほど仕事が忙しい時以外は、道路を渡ってラーメンを届けたついでに、ルジャールじいさんやルジャールじいさんの姪のラストゥリさんと世間話して帰るのだが、ちょっと変わった癖があった。彼女はいつも大きな声で「今日は何食べたん?」「今日は何を買い物したん?」などと聞きながら、ラストゥリさんの家にずかずかと入っていくのだが、それだけではなくて、必ず勝手に家の冷蔵庫を開けてすみずみまで真剣にチェックするのだ。私が見る限り冷蔵庫チェックは、ラーメンを届けたら毎回行われていたが、あれはなんだったんだろう。
 毎日顔を見かけるとはいえ、ルジャールじいさんやラストゥリさんとそこまで深い個人的付き合いがあるとは思えない彼女のこの勢いと距離感の近さに、私はなかなか慣れることができなくて、彼女が勝手に冷蔵庫を開ける度にいつも面食らってぎょっとしてしまった。たとえば、今住んでいる大阪の家で、近所の人が家に入ってきて冷蔵庫を勝手に開けるなんてことを想像すると、やはりかなりの違和感を感じてしまうと思う。でも、ジョグジャカルタのマタラム通りのこの家では、毎度ぎょっとしているのはもちろん私だけで、ラストゥリさんも家族も彼女のこの行動について誰も全く気にしていない。ラストゥリさんなんて、隣の部屋の床にごろりと寝転がったままで、冷蔵庫チェックをしている彼女に「今日は空心菜をたくさん買ってさー」と大声で会話している。
 ここでは、ご近所さんとの関係は、家の扉だけでなく冷蔵庫の扉もいつでもオープンにしているような関係なのだろうか。それとも、私が冷蔵庫の扉にこだわり過ぎているのだろうか。私が道路の向こう側から届けられたインスタントラーメンを、道路のベンチに座って自宅にいるような気楽さで食べている一方で、屋台の店主の彼女は道路を挟んで向かいの家の冷蔵庫を自分の家の冷蔵庫みたいに思っていたのだろうか。

アンクリンガンに集うジョグジャカルタの人々

「ジョグジャカルタ思い出し日記」の連載は来月お休みです。次回更新は12/16(土)を予定しています。ご了承ください。


著者プロフィール

西田有里 Yuri Nishida
ジャワガムランの演奏家。2007 年〜2010 年インドネシア政府奨学生としてインドネシア国立芸術大学ジョルジャカルタ校伝統音楽学科に留学し、ガムラン演奏と歌を学ぶ。2010年からガムラン演奏家として関西を中心に複数のグループで活動。ガムランとピアノと歌のユニット「ナリモ」にて、CDアルバム「うぶ毛」を発表。現在はインドネシア人の夫と共に結成したマギカマメジカにて、インドネシアの影絵人形芝居ワヤンを基にした活動を展開している。
https://magica-mamejika.tumblr.com

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