ジョグジャカルタ思い出し日記③|西田有里
深夜の屋台の焼鳥
ジョグジャカルタの町は24時間何かしらの食べ物の屋台が出ている。特にアンクリンガンと呼ばれる、揚げ物や焼き鳥などのお惣菜、バナナの葉っぱにくるまれたご飯、飲み物などを出す屋台が至る所にあって、深夜でも早朝でも小腹を満たすのには困らない。イスラム教徒が多い国だからアルコール類の提供は無いけど、甘いジャワティーやコーヒーを飲みながら長時間居座ってお喋りしている人もいる。
ルジャールじいさんの店からマタラム通りを北に100mほど歩いた三叉路にあるアンクリンガンは、店主交代制で24時間いつ行っても営業している。当時ルジャールじいさんと私のお気に入りはアグンさんが店番している深夜の時間帯で、何が好きかと言うと焼き鳥を七輪であぶって温め直してくれるのがとてもおいしかったのだ。夜12時前になると、「そろそろやな。」とルジャールじいさんが言う。家に誰か遊びに来ていたらみんなの注文を聞いて、ルジャールじいさんと私は二人で屋台に向かう。鶏レバーが人気で、いつも必ず何本か買って帰った。ついでに飲み物も買う。温かい飲み物もビニール袋にいれてテイクアウトできる。ルジャールじいさんはウティばあちゃんのためにいつもさつまいもの天ぷらを一つ買っていた。小さな電球一つだけの目立たない薄暗い屋台だが、深夜でもお客さんが途切れることは無くて、焼き鳥を待っている間に他のお客さんと無駄話をする。この時間にここでたむろしているちょっとガラの悪そうな兄さんたちは、地元の人よりも他所の地方からやってきている人が多かった。ルジャールじいさんはそんな兄さんたちとも顔なじみで、みんなに声をかけられていた。
焼き鳥や揚げ物とビニール袋に入った飲み物をもって、またマタラム通りをゆっくり歩いて家に戻る。帰り道いつもルジャールじいさんはスポーツ用品店のゴミ箱の前で立ち止まり、捨ててあったテニスラケットのガットを拾った。影絵人形の部品に使えるのだそうだ。昼間は車やバイクがひっきりなしに通行する賑やかなこの通りも、深夜はさすがに静かだ。焼き鳥を食べてまた仕事の続きをすることもあれば、集まっている芸能関係の友人たちと夜中の2~3時まで話が盛り上がることもあり、食べてすぐ寝る夜もある。
深夜のたった100mの散歩の時間がとても好きだったけれど、この三叉路にあったこの屋台はジョグジャカルタの道が整備されたときに立ち退きを求められて、今はもうない。
物売りいろいろ
マタラム通りのルジャールじいさんの家の前は、毎日朝から晩までいろんな種類の物売りが通る。特に食べ物は種類が豊富で、家から全く出なくても暮らしていけそうなくらいだ。午前中は、ソト・アヤムという鶏スープの屋台からどんぶりをスプーンで叩く音がティティティン、ティンと聞こえてくると嬉しくなる。小さなどんぶりにご飯をいれて鶏肉と薬味をのせてスープをかけたものに、唐辛子ソースとライムを入れて自分好みの味に調節したのをさらさらっと食べる。毎日でも食べたい味。
午後には、プトゥ・ブンブン売りのおじさんが道端にしゃがんで道具を広げる。プトゥ・ブンブンは親指くらいの大きさの小さなお菓子で、米粉と椰子砂糖を小さな竹筒に詰めたものを蒸気がでる専用の道具にセットしてしばらく蒸すと完成する。蒸気の音がピーッと鳴っているところに学校から帰った子供たちが群がっているのを見ると、ついつい私も食べたくなる。同じくらいの時間に、鍋の蓋をカンカンカンと叩いて通るのは、パパイヤやパイナップルやキュウリなどに椰子砂糖でできたソースをかけて食べるフルーツサラダの屋台で、暑さでぐったりした体に水分と酸味がとても美味しい。
夕方には、サテ・アヤム売りが勢いのある声で「テー!サテー!」と言いながら通ることが多い。サテ・アヤムは焼き鳥で、こちらも道端にしゃがんで道具を広げてその場で焼いてくれるので、煙と共にあたりに香ばしいいい匂いが広がる。焼けたら甘いピーナッツソースをたっぷりかけてバナナの葉っぱにくるんでもらったのを持って帰る。他には、バクソという肉団子スープの屋台もどんぶりをスプーンでティン、ティン、ティンと叩きながら通る。家にお客さんが来ているときなど、ルジャール爺さんはよくこのバクソの屋台を呼び止めてみんなにふるまっていた。お腹いっぱいにはならないけど、小腹を満たすのにちょうどよい量。
日が暮れるとナシ・ゴレン(焼き飯)とバッ・ミー(焼きそば)を作ってくれる屋台が竹筒をコンコンコンと叩いて通るのが楽しみだ。ご飯と麺を半分ずつにしたソバ飯みたいなメニューもあって人気がある。各家庭に残っているご飯を持ち込んで作ってもらうことも可能で、誰かがこの屋台を呼び止めると、長屋の住人たちがそれぞれに家からお皿に白飯を盛って出てきて順番待ちになることもあった。
私が好きだったのはトゥルブスという近所の中華系の飲食店からやってくる物売り。伝統衣装の制服を着たおばちゃんが甘いお菓子や、春巻きや、焼きそばを小分けに紙に包んだものなど様々な種類の軽食が入った大きなカゴを2~3段に重ねて背負って「ブース、ブース」と言いながら売りに来る。毎回カゴの中身は違うので見るだけでも楽しくて、おばちゃんをみかけるとつい呼び止めてしまう。市場で売っているのと比べるとちょっと割高だけどどれもとても美味しい。ルジャール爺さんの家族とは昔から顔なじみのようで、家の軒先に売り物を広げたついでにおばちゃんはゆっくり世間話していった。
これらの物売りは皆、どういった周期で家の前の道路を通っていたのかはよくわからない。それほどお腹がすいてなくても見かけたら何となく食べたくなるということもあれば、待ち構えてる日に限ってお目当ての物売りが通らないこともある。お目当てにありつけなかったとしても、しょうがない、また今度といった感じで、同じメニューを他所に探しに行ったりはしない。
食べ物の他にも、ちょっとした日用品、洋服、竹製の音が鳴るおもちゃなどの物売りもよく通る。大きな市場も近くにあってそこへ行けば大体なんでも揃うので、このような移動販売をどれくらいの人が利用して、どれくらい儲かってるのか疑問ではある。もしかしたら決まった場所に店を構えられない事情があって仕方なく移動販売している人もいるのかもしれない。
多種多様な物売りの中でも私が一番驚いたのは、大人が寝転がれるくらいの竹製の大きなベンチを背負って売り歩いていた物売りだ。竹製なのでそこまで重くはないとはいえ、日差しがきつく人通りも多い日中のマタラム通りを大きなベンチを担いで歩いている姿は、かなり大変そうで目立っていた。はじめ見た時は物売りだと思わず、誰かが購入したベンチを届ける人なのかと思って、家の前を通り過ぎマタラム通りを北へ歩いていくその人を見送った。しかし、しばらくして同じ人がベンチを背負ったままマタラム通りを南へ引き返してくるのが見えてこれは物売りだと気づいた。この人は既にマタラム通りを何往復してるんだろうか、そもそもこんな大きなものを彼から買う人はいるんだろうか、いやさすがにベンチを急に思いついて買う人はいないだろう、と勝手に心配になってきて、またゆっくりと家の方へ近付いてくるその人から目が離せなくなってしまった。
ドキドキしながら見守っている私の前を、まるで何かの修行のように大きな物体を背負ってゆっくり歩くその人が通過しようとしたとき、ルジャールじいさんが家の中からふらっと出てきた。そして、特に驚く様子もなくその物売りを呼び止め、いつも買っている煙草を買うみたいな感じのラフさでその大きなベンチを買った。私は荒唐無稽に思えたビジネスが目の前で今まさに成立したことに驚愕すると同時に、その物売りがやっと重荷を背負って歩く苦行から解放されたことにほっとした。そのベンチは二軒の長屋の間の通路に置かれ、住人たちがちょっと休憩したり、訪ねてきた友人たちが寛ぐ場所として、今でも重宝している。
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