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ジョグジャカルタ思い出し日記②|西田有里

2000年代終わりのジョグジャカルタ。マタラム通りの路地裏にはワヤン作家のルジャールじいさんの家がありました。長屋のようなその家に通うことになった著者はジョグジャカルタの芸術と様々な人々の暮らしに出会います。ガムラン演奏家の西田有里が綴る思い出し日記の第2回目。

お茶

 ナナンのおじいさんであるルジャールじいさんは、影絵芝居ワヤンの人形を作る作家だ。影絵芝居ワヤンの人形は、水牛の皮でできていて、一つの人形が出来上がるまでには材料の皮の加工・透かし彫り・彩色など様々な工程があるが、ルジャールじいさんは影絵人形のデザイン画作成と、出来上がった人形への彩色の工程を家で行っている。地元ではなかなかの有名人で、外国からの注文も多く、オランダの歴史上の人物とか、オバマ大統領とか、動物とか部屋にはいろいろな作りかけの影絵人形がぶら下がっている。20~30㎡くらいのスペースを二部屋に仕切ってある片方が応接間で、片方がルジャールじいさんの寝室兼作業場だ。

 だいたい朝10時くらいから作業を始めるけれど、気が乗らなければしないし、誰かが訪ねてきたら作業をほったらかして長時間話し込んだりする。でも気分がのってきたら深夜まで作業することもある。疲れたら、お店の前のベンチか家の中の古くて写りの悪いテレビの前の椅子に座って煙草を吸いながらぼーっとしている。

 写りの悪いテレビの前にある小さなテーブルには、ビール中ジョッキくらいの大きな蓋つきグラスに入った甘いジャワティーがいつも置いてあった。ルジャールじいさんは休憩のたびにそれをちょっと飲む。そのお茶は、ルジャール爺さんのお店から30歩くらい歩いた場所、マタラム通り沿いで飲み物や軽食やたばこを売る屋台を出しているヘリさんが毎朝作ってグラスごと届けていた。ルジャールじいさんの小さな家にキッチンは無いが、狭い通路を挟んだ向かいの長屋の一室にはルジャール爺さんの姪にあたるラストゥリさんが子供たちと住んでいて、こちらの家にはキッチンがあるからここでお茶を煎れることはできる。それでも毎日ヘリさんは朝8時くらいに大きなグラスになみなみと温かいジャワティーを入れて運んできて、15時くらいに空のグラスを引き取りにきていた。お支払いは気が向いたときにまとめてするスタイルのようだ。聞けば、ヘリさんは2代目でヘリさんのお父さんの代からこうして毎朝お茶を運んでいるらしい。屋台のお茶も家でいれるお茶も同じような茶葉を使っていて味はきっとそんなに変わらないし、家で煎れる方が安く済むのにと思いつつも、ルジャールじいさんの大きなグラスにたっぷり入っているお茶は特別おいしそうに見えた。

ワヤン人形を作るルジャールじいさん

長屋の住人 バゴンさん

 ルジャールじいさんの家の向かいの長屋には3世帯が暮らしていて、手前がルジャールじいさんの姪のラストゥリさんと子供たち、真ん中が小さい子供のいるギトさん家族、一番奥がバゴンさんたち。みんなそれぞれ20㎡くらいの一間に家族で暮らしている。特にバゴンさんの家はその小さなスペースにいったい何人住んでいるのかよく分からない。世帯主はバゴンさんではなくミンさんとミさんというご夫婦らしいが、いつも朝早くからマリオボロ通りで新聞や雑誌を売る仕事に出かけていて日中はほとんど家にはいない。ミンさんミさん夫婦には息子がいてマリオボロモールで働いていると聞いたけれど、何日も姿を見ない日が続くと思えば平日の昼間から家の前に座ってギターを弾きながら歌っていたりする。ずっとこの家にいるのがミンさんミさん夫婦の遠縁の親戚らしるバゴンさんで、バゴンさんは家で近隣のホテルなどから請け負ったソファーや椅子の張替えの仕事をしている。

 バゴンさんは30代~40代くらいの寡黙な男性で、私が挨拶してもいつも特に表情を変えることなくちらっとこちらを見るぐらいの反応しか返ってこなかった。腕のいい職人さんらしいが酒飲みなのが困りものとルジャールじいさんが言っていた。その日の仕事を終えた夕方に、ルジャールじいさんと並んでマタラム通り沿いのベンチに座って煙草を吸っているのをよく見かけた。仕上がった椅子がマタラム通り沿いに並べてあることもよくあって、発送されるのを待つ大きなソファーでルジャールじいさんが気持ちよさそうに昼寝をしてることも時々あった。ここの家はとても狭いけれど、道路や家と家の間のちょっとしたスペースが時には居間になったり応接間になったりしているみたいで、家の前の道でこれだけ寛げるんだったら案外快適なのかもしれないと思う。

 バゴンさんと一度だけ会話したことがある。ある日、私は大学のクラスメートからガムランの演奏会に参加する時に正座椅子として使う小さな腰掛をもらった。ビロードでできた専用カバーの中に風呂場の腰掛のようなプラスチック製の小さな椅子を入れて使うもので、女性歌手たちは皆そのような腰掛を手作りして演奏会に持参している。もらった腰掛がどうも硬くて座り心地があまりよくないので、プラスチックの椅子と布のカバーの間にスポンジか何かを挟んでカスタマイズしようと思いつき、バゴンさんの所なら材料もたくさんあるだろうと聞いてみることにした。もらった腰掛を持って行って、材料が余ってたらスポンジを挟みたいので分けてくださいと伝えると、バゴンさんは任せろと頼もしくうなずいたので、ひとまずプラスチック製の椅子をバゴンさんに預けた。

 翌日、バゴンさんが持ってきてくれたものを見てびっくりした。私はてっきり、預けたプラスチック製の椅子に合わせてスポンジなどの材料をカットして持ってきてくれるのかと思っていたのだけれど、私が預けたプラスチック製の小さな風呂椅子はクッションがしっかりきいた人工皮革の座面が丁寧に貼られて返ってきたのだ。プラスチック製の安い風呂椅子に高級ソファーみたいな分厚く立派な座面がのって、ちぐはぐだがとても完成度の高い不思議な腰掛が出来上がっていた。このプラスチック椅子の部分はカバーで見えなくなるということが、私のつたないインドネシア語では伝わっていなかったのかもしれない。でも、バゴンさんは仕上がりに満足そうだったのでそのまま黙っておくことにした。

バゴンさんが修理し終えたソファーで昼寝するルジャールじいさん

「ジョグジャカルタ思い出し日記」は月1回連載です。次回の更新は5/13(土)を予定しています。


著者プロフィール

西田有里 Yuri Nishida
ジャワガムランの演奏家。2007 年〜2010 年インドネシア政府奨学生としてインドネシア国立芸術大学ジョルジャカルタ校伝統音楽学科に留学し、ガムラン演奏と歌を学ぶ。2010年からガムラン演奏家として関西を中心に複数のグループで活動。ガムランとピアノと歌のユニット「ナリモ」にて、CDアルバム「うぶ毛」を発表。現在はインドネシア人の夫と共に結成したマギカマメジカにて、インドネシアの影絵人形芝居ワヤンを基にした活動を展開している。
https://magica-mamejika.tumblr.com


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