発症のきっかけ①(保健師時代)
高卒後看護大に行き、まあまあ楽しい日々を送っていました。勉強もそこそこでき、吹奏楽サークルの副部長、学生団体の広報もやって友達もたくさんいて充実してました。
公衆衛生の授業で子育て支援、地域支援に興味を持ち保健師を志すようになりました。
地獄の実習、卒論、国試勉強、公務員試験など怒涛のスケジュールをこなし、無事12月に第2志望の市から内定を頂きました。
3月に2つの国試に合格。
念願の保健師になれて、人生薔薇色✨だと
思ってたら現実は違いました…。
勤務先は実家から片道2時間、同期は10人ほどいましたが、保健師は私1人。
心細い気持ちで念願の子育て支援をやる地域支援係というところに配属されました。
1ヶ月は見学、同期との合同研修、外部研修ばかりだったのですが、
5月から母子手帳の発行、電話対応、先輩と問題のある家庭に訪問などするようになり忙しくなりました。
あがり症のためかまともに窓口で話せず、電話も緊張で早口、固定電話の使い方よくわからず切ってしまう、相手の名前を聞き間違えるなどしょっちゅうやらかし、怒られてばかりでした。
なにせ1度もあったことの無い部長から「○○だけど???」って名乗られ、「すみませんOOという方からお電話です」と取り次ぎ、あなた部長の名前知らないの???と大恥をかいたことも。
ゴールデン明けには、いきなり別の部署から訪問に行く家庭についての情報を聞かれ、なんて答えたらいいか分からないので教育係の人に聞いたら
「自分でどうにかして」
と言われ、ほとんどなにも教わってないのに投げ出されたような気持ちになりそこから仕事に行く時毎日身体が重く感じるようになりました。ただでさえ朝早いのできつかったです。「行きたくない」が口癖になってました。
分からない事聞いてと言われても相談業務について何を聞いたらいいかわからず…。だんだん萎縮するようになりました。
6月の訪問がある日、気持ちが重すぎて気持ち悪くなり職場に着いた途端過呼吸を起こしました。
次の週に心療内科にいき、はっきりと診断はつきませんでしたが、ストレスでしょうといわれ抗うつ薬と漢方を処方されました。
薬を服用し、上司に相談して問題のある家庭の訪問や相談業務は減らしてもらい、ストレスから解消された私はみるみる体調がよくなり、普通に出勤出来るようになりました。
気分転換にと就職説明会の手伝いもさせて頂き、そこではあがらず就職希望者の質疑にも答えられました。
夏祭りの救護の仕事も楽しかったです。
しかし安心したのもつかのま
8月私はあることを言い渡されるのでした。
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