稽古録15~幽かな者たちの強かさ~
日時 2020/11/21・17:00~20:00
場所 早稲田小劇場どらま館
参加者 田村、片山、森田、石田、U-5(演出部)
文責 U-5
稽古内容
読み合わせ
開始早々に読み合わせを行った。「弟」が本日のメインであったが、結果的に姉(女)の考察も深まったように思う。
以下、読み合わせ後の感想、考察である。
弟が「神経痛」についてやたら長々と喋るが、あのシーンは何なのか?何を思ってしゃべっているのか?に関して
あれは、弟なりの助け舟なのではないか。男も妻も女が娘だと信じていないが、女からすれば信じてもらうより他ない。信じてもらえなければ自己の存在が否定されるうえ、雪の降る外に放り出されてしまうのである。弟は姉の力になりたくて、具体的な証拠、つまり夫婦との思い出(と、自分が信じているもの)を話したのではないか。
男に殴られてできた(と、本人が思っている)痣を見せるために服を脱ごうとしたのも悪意が理由ではなく、身体に残っている物理的な痕跡を見せて、あくまでも「姉の話を信じてもらおうとしただけ」なのではないか。
弟登場のシーンから最後まで読み合わせてみて(女は森田代役)
・弟はかなり内向的で、話すのが苦手な弱い存在なのではないか。そんな彼にとって自分たちの主張(「夫婦の子供である」)が否定されるのは、存在をかき消されるのと同じくらいの恐怖だろう。しかし、彼は姉の「事実」を証明せねばならない。だから頑張らなくてはならない。頑張って、その場で必死に言葉を探しては繰り出すイメージで読む。
逆に弟がどっしりしすぎていると違和感がある。これまでの弟の読み方だと「女の切り札」的な安定感が出てしまっていたが、本来弟は女と同じくらいの強さのはずである。最終兵器にはなり得ない。
・妻の位置からは弟の姿が見えないため、妻は弟の言葉だけを聞くことになる。後ろから声だけ響いてくるのは妻的には怖いからやめてほしい。
しかし妻は違和感をのみ込むタイプの人間で、その不快感をあらわにする場面は少ない。「女と弟の記憶は事実でない」「これは絶対におかしい」という否定に足る何かがあったとき、妻は激しく拒絶反応を起こす。
・女は、弟が来てからどんどんあざとくなっていくように見える。弟を押し出して自分の立ち位置を確保している感じ。これは「女が悪女である」ということではなく、彼女たちは生き延びるためにそうするしかないのである。
※田村はこれを、柳田国男が唱えた「妹(いも)の力」に似ている気がする、と言った。非常に雑に説明すると「女性が男性を動かすための力」である。古来より、女性は社会的な実権を握るために、時には陰から男性を操るポジションに着く場合が多かった。その時に発揮されるのが「妹の力」である(卑弥呼も「妹の力」を持つ女性の一例と言われる)。『マッチ売りの少女』において女が操る男性が弟なのではないか。
・女が図々しさを増すと同時に、弟も段々自発的に夫婦の家に侵入してくる。弟が女からビスケットを食べるよう促される場面が複数あるが、それが「いただきなさい(命令)」→「いただきます」から「いただきますか?(意思確認)」→「いただきます」に変化していることから、弟が自らの意思で「夫婦の家の」食糧を消費し始めたのが分かる。
明日は本プロジェクトのまとめ会のため、稽古を行うのは本日が最後である。記録者として稽古で出た言葉を全て掬い上げられたとは言えず歯痒い限りだが、少しでも残す価値のある稽古録になっていれば嬉しい。