『マッチ売りの少女』座談会(5)–稽古するということ–
1月に『マッチ売りの少女』を上演しようということで動いてきた本プロジェクトですが、covid-19の感染拡大に伴い上演を中止せざるを得なくなりました。しかし、そのような状況の中で11月22日まで「稽古」を続けました。これはその記録の総括の座談会です。稽古を通して、いまの状況のこと、戯曲のこと、役のことなど多岐に渡って思考/試行してきたことを参加者に語ってもらいました。第五回は、様々な方法を試してみた「稽古」についてみんなに感じたこと、考えたことを語ってもらいました。
田村 今回、色々稽古をしたけど、それがどうだったかを知りたいな。まず覚士から。
石田 僕としてはやっぱり公演したかったですね。やっぱりモチベーションが下がっちゃう。でも、公演をしないと、無駄なことというか回り道ができるんですよね。それはいいことだと思う。他の戯曲を読んでみたりとか、スズキトレーニングメソッドの真似事をしてみたりとか、ひたすら話し合いをしたりとか。そういうのって公演を目的にしていると実際なかなかできないと思うんです。今回そういうことが演劇の経験として、自分に蓄積されたなと思ってます。僕はいろんなことを経験したくて演劇をやってるんで。まあ、批判としては、戯曲が長くて、読むのに時間がかかる。つながりがあるから、あまり細切れにもできない。それで1日に二回しかできないとかあって、それじゃああまり上達した気にならないなあって。
田村 じゃあ次は悠梨。
悠梨 反省になるんですけど、こういう状況で上演ができなくなったときに、長いwsのような感じで稽古をしようってなった。でも、私の中では上演を目的にする稽古と一緒だったなって思って。それは、私の意識の問題なんですけど。記録をするっていうことをもっと重要視しないといけなくって、でも、それも難しかった。何をやって、どう感じてみたいなことが、いろんなことをやったから、目まぐるしくて十分な記録ができなかった気がするんですよね。過程を記録しきれなかった。
田村 台本にすごくメモしてたもんね。でもあれだけのものを整理するのって実際大変だよね…。次、しばいぬこさん。
しば 個人的に今回の稽古は好きだった。今まで参加してきた稽古って、もちろん上演を目的にしたもので、上演っていう締め切りがあった。そのために、それまでにとりあえず「それっぽく」しなくちゃいけなかった。役に入り込めてなくても、台本を理解できてなくても、それっぽくしないといけなかった。今回、その必要がなかったから、「それっぽさ」、上っ面を考えずに、役について深めることができた。それは今後、いろんな現場で「上っ面だけでやってないか」っていう意識に繋げられると思う。
田村 面白かった稽古とかある?
しば 役をシャッフルするやつ。お互い、自分以外の役のことを知っているので、ただ役を変えるというだけじゃなくて、解釈に対する個人の表現の違いを見れて面白かったかな。それで、同じ台詞でも個人で変わるから、そうすると自分の返しも違ってくる。
田村 あれはね〜、僕もいいことやったなあと思った(笑)。次、片山さん。
片山 上演を目的にした稽古をしていると、シーンごとのばらつきがある時に、演出家は下手なシーンばかりを稽古して、いわば穴を埋めるような状況になっちゃうんですね。
しば わかる、わかる。
片山 できてないシーンばかり稽古していると、できているシーンの俳優たちは何も得られない感があるんですよね。自分たちだって、できてないシーンに比べてできてるってだけだし。今回みたいに、時間に余裕があると、みんなちゃんと考えられていいなって思いました。他劇団の人にあって色々話を聞いたりして、上演を作るだけが演劇の面白さじゃないっていうことも感じましたね。新しい演劇とか、新しい人に出会うことって、新しい世界に出会うことと同じだから、上演がゴールとしてなくても十分楽しかった。もっとこういう感じの空間というか、企画とかあってもいいのかなって思いましたね。読み合わせカフェみたいな。一個反省は、役者側から稽古方法とかの提案がもっとあってもよかったのかなって思いましたね。
田村 ありがとうございます。じゃあ、次はりこ。
森田 上演をやるために最も効率的なのは決まった稽古をやることじゃないですか。とりあえずこれをやっとけみたいな。今回はそういうのがなくて、その分試行錯誤できたなと思います。みんな余裕がある感じで、高校時代の上演がない時期の稽古を思い出しました。
田村 はいはいはい。楽しく発声練習して、行き当たりばったりで過去の台本を読んだりしてたあれね。
森田 そういうのは大学入ってからなかったので、楽しいなと思いました。ただ、愚痴になるんですけど、ものすごく雑談が多くないか?と思った。上演がない分、色々なことが話せるんですけど、ちょっと多くないか?って。劇を作る上で、大事なんでしょうけど、楽しめていない私がいたのも事実。
田村 僕もね〜、多くないかあと思うこともあったんだけどね〜、止められない性格なの…。
森田 だからって私が止めるのもなあって…。回り回って劇の役に立ちそうなんですよ。それは頭ではわかってるんですけど、心は乗らないみたいな。でもゆっくり戯曲を咀嚼できたのはよかったです。
田村 雑談の割合はもっと考えないとなあって感じですね。僕は、演出兼俳優っていう立場が初めてで、最初はそれがすごく楽しかったですね。俳優として、舞台の上から色んなことを感じられる。例えば、コロスのシークエンスのときに、何を感じてどう振る舞うかとか、お客さんをどういう風に想定すればいいんだろうとか。そうやって一俳優として感じたことを参照しながら、演出家として発言できる。参照事項が単純に一個増えた。それが楽しかったですね。ただ、その俳優として感じたことっていう参照事項は、取扱注意でもあって、一歩間違うと自分の感覚をみんなに押し付けちゃうことになる。そのバランスは難しくて、ずっと葛藤してましたね。ただ、最後の方は俳優兼演出家ではなくて、俳優として稽古してた感があって、それは単純に2つの視点を使い分けるのができなくて、俳優の方に絞ったって感じですね。それも、稽古を主体にするプロジェクトだったからできたことだと思うんです。僕は、すっごく緊張するタイプで本番にきっと耐えられないので俳優をやらないんですが、こういう機会に、俳優を体験するとか、演出兼俳優を体験するっていうのはいいなあと思いました。