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ミニマリストと老子について思うこと。量も質も根本的には価値はない。

最近、ミニマリストや断捨離などをよく目にして、聞き、また積極的に動画などを見て、シンプルに生きることを生活に体現させることで、時間とお金が増えることを積極的にメリットとして捉えて、意識の変化で生活の質の変化を遂げる可能性を見た。
実際、断捨離的な、部屋のミニマリスト化は気持ち良いものだとおもうし、ある程度の綺麗好きならしてもいいとおもうし、自分もしている。
物も、人も、およそエネルギーやお金や時間がかかるものは、ミニマリスト化の対象になるとおもう。
生きることに最適化できるなら、楽になるならと、魅力に感じる人が増えるのも分かる。

自分は哲学が好きで、老子も最近よく読むようになったけれど、無駄を無駄とも捉えず、欲を満たす欲を増やそうともせず、知識は少なくて良いとした、小さな国を理想としたこの老子に安らぎを感じる。
満足を知るひとが豊かな人である。という有名な言葉。
無用の用を説き、役に立っていないようなものが重要だという。器が意味を為すのは、何もない空間があるから、と。

今はインターネットの時代だから、みんなよく知っている。知る必要のないことまで。たくさん知ることは全くメリットがないと最近おもうようになった。
むしろ知らない方が個性があって面白いと感じるくらい。

知識も自分が使えるように、手入れして、服のように着こなし、ピッタリ合い、その時に対応できればいいし、それ以上の意味は必要ないとおもうようになった。知識の量も質も根本的にはたいして価値はないかなと。
老子に出会ってそうおもったし、知らないことは無限にあるし、知っていることは極僅かだし、その僅かを大切にしていきたい気持ちが強くなった。
これは知識だけじゃなく、ミニマリストや断捨離への自分の捉え方にも影響を与えた。

量も質も、根本的には価値はない。と。

だからミニマリストに出来るし、断捨離できる。
質にこだわる人は、僕の中ではミニマリストとも違うのかなとおもうけれど、そんなのは些細なことでしょう。

自分の好きを大切にしたい気持ちは、ミニマリスト化することで、時間とお金と空間を生み出し、もっと大切に出来るとおもうし、そこにミニマリスト化の真の価値もあるように感じる。

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