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物件選びを狂わせた旧居の「住めば都」:住宅購入記 番外編
今まで語ってきた「相場」とか「エリア」とか「物件情報」のこと以外に、物件の内見をしているときに、僕らの判断を狂わせた意外なことがあった。
それは、旧居、つまり、その時住んでいた賃貸マンションの勘違いした印象を基準に考えてしまうことだった。
どうせ買うなら、今の家の方よりもいい家を探そうとするのは当たり前
「家を買おう」もしくは「家を借りよう」と思った場合、あえて別の目的がある場合は除いて、ほとんどの場合は、
「今より新しい家」
「今より広い家」
「今より住みやすい家」
を探したいと思うだろう。
もちろん、僕らも「いい家に住みたいとは思っていない」とは以前書いたが、せっかく買うのであれば、今の家より良くはなくても、悪くなる、つまり、不便になったり、狭くなったり、古くなったりするのはイヤだなと思っていた。
だって、それなら買わずに、今の家で賃貸のままでいいもの。
だから、当然、「今の家と比べてどうか?」というのは、常に、無意識にしろ意識的にしろ、気にしていた。
今の家の方が開放感があるよね?
僕らが最初に引っかかったのが、これだった。
そもそも、僕らの賃貸マンションが建っているエリアが高台で、前面道路が広く、日当たりが良かったというのもあったのかもしれない。
内見して自宅に帰ってくると、
「あれっ、この家の方が開放感があるように思わない?」
「いや、絶対、この家の方が開放感があるよ」
「あぶねー、買わなくてよかったあ。あの時、気づかなかったよね」
「うん、帰ってきて、あれ?って、はじめて思った」
と妻と話すことが何度もあった。
今の家はもちろん荷物があり、内見したお宅は空き家で荷物がなくても、今の家の方がスッと空間が抜けていて、広々しているように感じた。
「ちょっとこの開放感以下だと、イヤだな」とそれが様々な条件と同じくらいの条件になっていたような気もする。
「内見したら、自宅に戻り、それを確かめたい」ということから、内見した後は、なるべく直帰し、家に帰った時の印象をテストしてみるということもやっていた。
だけど、「開放感が同じくらい」の家はあったが、今の家以上の家はなかなかなかった。
「こんないい家から引っ越すのか・・・」
「今まで気づかなかったけど、この家、とってもいい家だったんだな」
なんて思い、家の購入をやめようかなと思ったこともある。
ただ、ある時、なにかの拍子に、思い出になるという「家の記念」のためだったか、物件選びのために今の家にある生活に必要なモノを撮影しておこうと思ったのか忘れてしまったが、家の写真を撮影したことがあった。
それで写真を見ると、これはもうなんというか、ゴミ屋敷寸前というか、モノがごちゃごちゃ置いてあって、開放感どころの騒ぎじゃない。
一瞬、「なにこれ」と思い、自分の家だと思わなかったほどだ。
物件情報で「入居中」の写真を見たりすると、「おいおい、せめて、少しは片付けておけよ」と思う物件もあるのだが、それの2倍くらいはひどい。
妻に「これ、どう思う?」と写真を見せると、「えっ、なにこれ、汚い。これ、うちなの?ゴミ屋敷じゃん」と驚いていた。
そうなのだ。
意識していないものは見えない。
こんなに普段、モノが見えていないんだ・・・と驚愕した。
今の家の方が住みやすい
「どう考えても、今の家の方が住みやすいわ」
「そうだねー」
なんて会話もよく妻とした。
「寝ぼけててもトイレに行けるし」
「えっ、2Fがあるということは、いつパンツ取りに行くの?お風呂に入る前に1Fにいたら、2Fにパンツ取りに行って、また降りてくるの?それとも、裸のまま2Fにパンツ取りに行くの?」
「ここで飲んでて、そのままベッドにバーンと寝られる」
「ここでこうして、流れるようにゴミを集めて捨てられる」
等など、考えれば考えるほど、今の家の方が住みやすく思える。
だけど、これは結局のところ、「今の生活が今の家に最適化されているだけ」で、新しい家になったら、新しい家で住むやり方を考案するはずなのだ。
これは上の開放感と違って、早い段階で気付いていた。
けど、「大丈夫。最適化するから」と考えていて、実際に最適化できなかったら、めちゃくちゃ不便になるので、見極めは大事。
ある程度はシミュレーションしておかないといけないなと思う。
今の家の方が広い
平米数で比べて、どう見ても物件の方が広いのに、今の家の方が広く感じる、ということがあった。
内見時、どの物件も、どうもせまく感じる。
妻と話したら、「人数が多いからじゃない?」という仮説だったが、確かに僕らと仲介さんはいるわけだし、時には売主さんもいるわけだから、それはありそう。
だけど、それを差し引いても、荷物のあるなしがあるだろう。
人が余計にいるとはいえ、荷物があるのに、荷物がない空き家と比べて、今の家の方が広く感じる。
これはおかしくないだろうか?
「部屋じゃなくて、廊下とかそういうところが広いんじゃない?でも、部屋の畳数とかも広いのにおかしいな」
「壁芯面積か内法面積か、とかの違いなのか?」
などと色々な想像をめぐらしたが、「平米数が広いのであれば、広いはずだ」と本能を抑え込む形で解決していた。
が、引っ越しのときに、旧居から荷物がすべて運び出されたときに、僕は妻にこう呟いた。
「なんかせまくない?」
妻は、「だからさ、言ったじゃん?こっちもせまいって。私はそう思ってたよ。だけど、自分、ずっと言ってたよね」とか言っていた。
なんだろうね、自分もせまいって言ってなかったっけ?
なんか急に裏切られた気分だったよ。
僕の空間認識能力の問題なのか、それとも、あるあるなのかは分からないけど、平米数・畳数が正しい、というのは以後、肝に銘じることにしたい。
実際に新居に荷物を入れてみれば、ゴミ屋敷だった我が家の荷物がキレイに収まり、余裕があるのだから、平米数が正しいという証明にもなった。
住めば都
要するに、住めば都ということなのだろう。
慣れていれば、見なくていいものは必要のない限り見ないし、そこで暮らしやすいように工夫して暮らしていく。
だから、勘違いした状態で、旧居をアンカーにしてしまうと、間違えてしまう。単純なことだけど、盲点だったなと思う。
実際、はるかに今の家(新居)の方が暮らしやすい。
広い上に、設備も新しい。
前の家なんて、めちゃくちゃ吸い込んでいる轟音はするけど、換気扇が全然吸い込まなかったし、よく考えてみると、他にも色々不便なところがあったっけ。
だから、引っ越してみて、思った。
「前の家、さほど良くなかったんだな」って。