宇津保物語を読む9 内侍のかみ#4
兼雅、正頼を訪れ、相撲のことを語り合う
(本文・訳 省略)
ある日、右大将(兼雅)は左大将(正頼)宅を訪問し、来たる相撲の節会についての相談をします。見所のある節会にしようとの朱雀帝の言葉をうけ、二人は知恵を絞ります。どれだけ有力な相撲(選手)を集められるかでお互いに腹を探り合いつつ、やがて話は女性たちからもらった手紙へと移ります。
正頼、兼雅、昔の女の消息文を比べる
訳
盃を何度か酌み交わしては、
右大将(兼雅)「このお屋敷にまいりますと、昔は何やら恥ずかしく思ったものですが、今はすっかりと心がおさまりまして。」
左大将(正頼)「今はもう世話をしたくなるような娘はおらぬと、そうおっしゃりたいのでしょ。」
右大将「いえいえ、不思議にも、またこちらにうかがうのは、居心地がよいと思うのですよ。
(右)婿として通うことなく終わってしまったこの家を見ると
不思議と昔を思い出すのです
とおっしゃると
(左)済んだこととは、思っておりませんよ
これからもぜひ我が家にいらして下さい
とお応えになり、世間話や昔話などに花を咲かせる
左大将「この世で満足のいく瞬間というものは、洗練され趣味のよい女性に、恋文などを送り、相手が困った様子を見せながらもよこす返事を読む時ほど、相手の気遣いを感じるときはありませんね。
昔、嵯峨帝の御代のころ、承香殿の御息所はたいそう優れた女性でした。不思議と優れたお心の方で、私がまだ中将だった時に、その御息所が内宴の陪膳役に当たりまして、仁寿殿に控えていらっしゃったのですが、その時御息所は御簾の中にいらっしゃったのですが、向こうが透けて見えましてね、そのお姿を拝見してしまったのですが、もう魂を奪われる心地がしまして、なんとかして思いを伝えたいものだなあと思っておりましたところ、ちょっとしたきっかけで文のやり取りをするようになり、のちには相手を困らせてしまうような文もつい送ってしまったりもしましたが、それでもお返事をいただきまして、うまく言葉を選びながら綴る文を拝見した時には、配慮の行き届いた方だと思いました。老いた身となりました今も、その文をいただいた時の感動に優るものはありません。そのまま疎遠になってしまいましたが、拒絶されたわけでもありませんので、つい期待してしまって、今でも心奪われる思いです。あれほどの女性は今ではもういないでしょうね。
右大将「すばらしく深いお心をお持ちの女性は、今ですと仁寿殿の女御ではございませんか。お話にあった承香殿の御息所に劣らぬお心です。実際に何かあったというわけではありませんが、畏れ多いことではありますが、以前文を差し上げましたところ、まったく無視されるというわけでもなく、思わせぶりな様子も感じさせながらも、私の懸想文を受けとってくださいましたのは、ありがたいことです。今でもたまに文などを送りますと、以前とは変わらず、近寄りがたいものの、私の好色な手紙などもご覧になってくださいます。」
左大将「さて、それはどなたのことですかな。うちの娘の中にはそんな風流なものなどいましたかなあ。それでも承香殿の御息所は別格。比べものになりませんよ。」
右大将「よろしい。それでは承香殿の文はございますか。私は仁寿殿の文を今も持っていますよ。」
左大将「無いわけないでしょう。いろいろ煩わしいことがある時には、それを見ては世間の嫌なことを忘れる文ですからね。」
右大将は三条殿の自宅に中将を遣わし仁寿殿の女御の文を取りにやらせる。左大将は左衛門佐(連澄)を遣わして、昔の承香殿の文を取りにやらせる。
右大将「あなたの文と私の文と比べる前に、まずものを賭けましょう。」
左大将「何を賭けましょうか。では私は娘をひとり賭けましょう。あなたは何を賭けますかな。」
右大将「では私はそこにいる仲忠を賭けましょう。」
などと、互いに子どもを賭け物にして、やり取りした文のなかでも、特に優れたものを選び出してお持ちになるが、右大将殿は白銀の美しい透箱に上等な敷物などを敷いたものに入れてお出しになる。
左大将は錫の虫食い跡のような細工をしたものに、文模様を削り出した箱で、唐草や取りなどの透かし彫りをしてあるものにいれてお出しになる。
互いに見比べてみると、まったく優劣つけがたい。筆遣い、言葉づかい、いずれも互角である。
左大将「仁寿殿の文字はずいぶんと上手ですなあ。承香殿は、後世まで名を残す嵯峨院の時代を代表する女御ですが、それに劣らぬ筆跡でさらさらと書いている。親の私によこす文はこんな上手じゃありませんよ。」
右大将「かえってこちらの文のほうが当世風な点で、優っている。引き分けですかな。」
と判定を下し、仲忠をこちらからの賭物とし、左大将からは娘をひとり送ることとして、互いに子どもを交換する。
仁寿殿は左大将の娘である。左大将相手にこんな話をする右大将も中々のものだ。あて宮とのこともあったばかりなのに。
女御相手に思わせぶりな文を送り、それを見せ合う男たち。
仁寿殿の女御と兼雅との関係は、#1で朱雀帝がそのことについて疑っていた。
疑うだけの理由があったということだ。
きわどい内容の文のやり取りも、好色な恋愛ゲーム、風流の一つ。
季節の花を愛でるのと同じことなのかもしれない。
そういえば、「忠こそ」の巻にも、忠こそが梅壺の御息所と深い関係にあったと書かれていた。
これを退廃とみるか、文化とみるか。はたまたフィクションだからこそ描けた会話か。
男性週刊誌のノリに似ているかもしれない。