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第4話 マクンバ ②(無料版)

写真:近所のカポエイラ教室でトレーニングをする著者(右)


 概念の呪縛に苦しめられていた僕は、いよいよ人と正常にコミュニケーションが取れなくなっていた。言葉の裏にある概念ばかりに意識がいくあまり、言葉を信用できなくなったのだ。

 はじめは、僕のポルトガル語が相手に理解されなくても「僕のポルトガル語が下手くそなんだ」くらいにしか思っていなかった。勉強すれば通じるようになる。努力が足りないのだろう。しかし次第に、本当に伝えたいことは心の中にあるため、それを言葉で伝えることは不可能だと思うようになっていった。外国語であるポルトガル語でコミュニケーションを取っていたために、余計にそう思ったのかもしれない。とにかく、言葉がとても上辺のものに感じられたのだ。

 例えば、僕の指している‟リンゴ”は相手の思っている‟リンゴ”と本当に同じものを指しているのだろうか。僕の思う‟コップ”は相手の思う‟コップ”とは全く違うものなのではないか。完璧なコミュニケーションを求めるあまり、徐々に人と共有できるものが少なくなっていった。しまいには‟僕”をどうしたらイメージ上の‟僕”と一致させることができるのかわからなくなってしまい、人と会話するのを避け、孤独な世界に閉じこもるようになった。

 その頃から僕は非言語的な世界を信じるようになった。それはある種の信仰にも近く、何かにすがりたいという精神状態だったともいえる。


 僕は留学中、カポエイラ [注1] のクラスに通っていた。週に3~4日、近くのスポーツジムで行われるレッスンに通い、時にクラスの皆で地方へ遠征に行ったりもした。カポエイラはもともとアフリカから奴隷によって持ち込まれた文化で、アフリカの宗教とも関係が深い。精神性や哲学が求められ、日本の‟道”にも良く似た側面も持つ。ある日、クラスの女の子が同じくクラスに通う老人と会話をしていた。

 「ブラジルのあらゆるもの、メディアとか、政治とか、全てのものがマクンバによって操られているのでしょ?」
 「そうだ。ブラジルはマクンバの国だ。ブラジルとマクンバは切っても切れない縁がある」

 マクンバとは、カポエイラと同様に南米大陸に奴隷として連れてこられたアフリカ人が持ち込んだ宗教のことで、カンドンブレを代表として大小様々なものがある。それらの宗教はブラジルにいた白人たちから恐れられ、禁止されたこともあったが、形を変化させながら脈々と現在まで伝承されている。マクンバは太鼓のリズムでトランス状態に入ってしまうような儀式を行うため、白人にしてみれば黒魔術のような呪術であり、現在でも忌み嫌う人は多い。そのようなバックグラウンドのせいか、白人がマクンバという単語を口にする際は、すでに差別的なニュアンスを含んでいる。

 マクンバの存在は知っていたが、僕はそのような観点からブラジルを捉えたことがなかった。その日を境に僕はマクンバを強く意識するようになったが、具体的に何がマクンバなのかはよくわからなかった。とりあえず、大きな力で人々を操るものがマクンバであると理解し、日常を観察することから始めた。

[注1] カポエイラは舞踊のような対人武術で、手拍子、楽器、歌のリズムの中で繰り広げられる。楽器にはアタバキという太鼓やベリンバウという弦楽器が使用される。黒人奴隷は自衛のため、白人農場主の目を盗んでトレーニングしていた。監視の目を欺くために舞踊として進化を遂げており、現在ではブラジル全土のみならず世界中で人気のエクササイズとなっている。

無料版では本編5話まで無料でお読みになれます。6話以降をお読みになりたい方は有料マガジンでお読みいただけます。統合失調症の知られざる精神世界、ブラジルで起こった数々の神秘体験。服薬に葛藤しながらの回復の中で、導き出した答えとは?有料マガジンはこちらから⇩

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