「投資」への誤解を考える
「投資」という言葉には様々な誤解がつきまといます。例えば、
・投資は利己的である
・投資は危険である
・投資は騙し合いである
・投資は社会で貧富の差を作り出す
のような認識でしょうか。私も昔は、幾分かはそう思っていましたし、多くの方は潜在的にそう感じているのではないかとも思います。一方で、社会やお金のことを学べば学ぶほど、私の認識は以下のように変わっていきました。
・投資は利他的である
・投資の危険は受け入れるべきもの
・投資は共栄である
・投資は社会の豊かさを増やす
前者の4つのような投資には(例え儲かりそうであっても)近寄らず、後者の4つのような投資のみと付き合うようになった、とも言えます。
投資に限らず、何かの活動や行動には、本作用と副作用がつきものですが、その結末は扱う当人の使い方、つまりリテラシーによって大きく変わってきます。例えば刃物を考えてみましょう。石器時代に刃物(当時は石器)が発明されたことで、狩猟をすること、猛獣から自分達の身を守ること、料理を作ったり布を切ったりすること、ができるようになりました。劇的な進歩です。一方で、刃物は危険です。上手に使えなければ、自分の手を切ってしまいますし、人を殺める道具にもなりえます。ただし、副作用があるからといって刃物を使わないかと言われれば、そんなことはありません。我々は刃物を毎日のように賢く扱っています。そして刃物(石器)を使わなかった社会は発展せず貧しいままで、刃物を使った社会は豊かになるのだと思います。
欧米では中学生ぐらいの男子へ、父から子にキャンプ用品的な「刃物」を送る習慣がありそうです。その刃物では、キャンプでサバイバル生活を覚えることも、人を傷つけることも、家族を守ることもできます。この贈り物には、「自分で判断をして道具を使える大人になれ」、というメッセージが込められているのでしょう。
これらは投資であっても同じでと思います。投資を上手に扱えた社会は豊かになりますし、目を背けたり扱いを誤った社会は貧しくなります。そして、お金のリテラシーを高め、自分の経済的なことに責任を持つ練習をするのは、青少年が大人になるためのステップとも思います。
さて、そんなこんなで「投資とは利己なのか、利他なのか?」などの哲学を、私は常々、考えているのですが、先日、大変に良い本に出会いました。ミャンマー、カンボジア、ラオスなどで国際医療ボランティアを手掛けているJapan Heartの創設者の吉岡さんの最も最近の本です。吉岡さんは1995年から外科医として海外で活動されており、JapanHeartは現在まで30万件の手術を行っています。特に先進国では8割が治ると言われている小児がんは、これらの国では2割の子供しか助かっておらず、同組織はその支援では絶大な功績を上げてこられました。(実は、今、このJapanHeartのカンボジアの田舎の街で働く友人を訪ねに行っており、カンボジアを車で5時間移動中です)
書籍はこれです「最後の講義 完全版 吉岡秀人
人のために生きることは自分のために生きること」
この書籍は吉岡さんの20歳前後の若者に対しての講演を書き起こしたものなのですが、このブログのテーマである投資を考える上で、皆さんの投資のトビラを開ける上でも本当に素晴らしかったので、複数回に分けて紹介しておきます。(いや、本当に素晴らしかったです。どっかで聞いたような表現ではなく、自分の言葉で全て語られているメッセージは響きます)
まずこれ。
・「わずかな時空のずれが人生を翻弄する」
ほんの数十年、数百キロ離れたところに生まれただけで、人生の土台が激変する事実を、1940年代の第二次大戦、1950年代の朝鮮戦争、1970年代のカンボジアのポルポト派の大虐殺前後のカンボジア、1990年代のミャンマーの軍事政権下など、自分の人生で触れた事象から分かり易く紹介していました。そのメッセージは、外部環境は変わるだろうし、辛いこともあるだろうが、それを乗り越えるのは今の置かれた環境を相対化して冷静にみることが大事、という趣旨です。まあ、本当にその通りですね。
私は常々思っていますが、「社会や世の中はそもそも不安定である」、しかも「その道のプロであっても全く予測がつかないほど不安定である」という前提を持つことが、投資リテラシーの土台として極めて大切です。不安定で先が読めないのが世の常なので、私自身は様々な投資をしてきた、現在もしていると振り返れます(それを分散投資と呼ぶとも言えます)。金融投資も不動産投資もやりますし、外国資産への分散投資も、自分や子供へのユニークな教育投資も、事業投資もやります。全ては「世の中は不安定が当たり前」と捉えているからなのだと思います。
また、私は金融のプロとして「金融市場の予想や分析を商売にしている人」達と一緒に、長く働いてきました。東京丸の内、ロンドンのシティー、アメリカのウォールストリートで合わせて20年ぐらい。彼らは、主に証券会社や投資銀行に居ますが、「来年の株価はこうなる、為替はこう動く」などを予想する人達で、実際に彼らの意見の変化で市場は動いています。皆さん、素晴らしい肩書きをお持ちだし、勉強家でハードワーカー、また真剣に先々の予想に向き合っています。これらの友人も多くいます。
ただし、そのような金融市場の予想のプロであっても、金融市場の先半年や1年は高い確率で「全く」当てられません。彼らの言っている事は3ヵ月もすれば、予告なく、ガラッと変わります。理由は、政治、戦争、疫病など、その時は予想もしなかったような変化が世界でどんどん起きるから。それぐらい「世の中は不安定」なのです。彼らにとっても、当てることは無理で、何かのイベントに対して受け身に予想を見なおし続けることがプロとしての真摯な対応なのです。
ここ10年ぐらいで、誰も予想できなかったこと、もしくは世の中の一般的な事前予想の真逆なことが起きたことを上げてみましょう。東日本で地震が起きることを、イギリスがEUから離脱することを、トランプ氏が当選することを、コロナ禍で世界がロックダウンされることを、ウクライナ戦争が起きることを、数か月前や直前でも世間は予想はできていませんでした。そうなるとこれらのイベント以前での金融市場の見通しなど、まったく意味を失います。何にせよ、何かの先々が高確率で予測できるほど社会は安定的ではないし、単純ではなく複雑なのです。
だからと言って、思考をストップしてよいという事ではありません。彼らの話からは、社会的な事象を事実として理解すること、金融市場の動きについての頭の整理に役立てることには、極めて有用です。ただ個人や社会にとってもっと大事なのは、不安定で予想が効かないという前提の上で、その不安定さに如何に備えていくのか、だと思います。それこそが投資リテラシーともいえるでしょう。
吉岡氏の本は、投資を考えるにあたって紹介したいことが山ほどあるので、また後日、続きを書いていきます。
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