見出し画像

純粋に誰かを応援できる人になりたい

あるコミュニティの交流会で、高校2年生の女の子に出逢った。

はつらつとしていて、とても魅力的な学生さんだった。

自分の考えを持ちつつも、他者の声を素直に受け取り、自分の中に咀嚼していける力を持っていた。


彼女なりに感じている教育への課題をテーマに進んだ今回の交流会には、すでに大学で学んでいたり、社会で活躍している(のかな?)大人とかが参加していた。

ただ、彼らにどこかつまらなさを感じてしまった自分が居た。


彼女が今まさに肌で感じている課題を挙げ、自分なりにどう向き合うか、必死に向き合い、挑戦している姿を、素直に応援できていないような気がした。

「教育格差が~」とか「僕は高校生の時に起業したけど~」とか、たしかに言いたいことはわかる。

でも、正直どっちでもいい。


大切なのは、彼女が感じている課題や、沸々と湧いている「想い」に対して、ヒントになりうる「素材」を渡したり、数歩先に居るからこそ持っている「経験」を伝えることなんだと思う。

それが、彼女への応援だと思う。


人は大人になるにつれて、自分の意見や考えを押し付けたり、さも正解かのように伝えてしまう時がある。
しかも大体の場合は無意識的だからタチが悪い。

おそらく僕のなかにも、そんなタチの悪い僕がいるんだと思う。


「仕事として」の目線なら、批判的に捉えたり、ディスカッションすることも必要かもしれない。

でも、誰かを応援したり、一緒に挑戦する時には、純粋に応援できる人の方がカッコいい。


みんながみんな批判的に、価値観をぶつけ合うような関わりをしてしまったら、誰も等心大ではいられない。
そんな関係性で満ちた社会は、生きづらくてたまらない。


僕は、等心大の自分で、純粋に誰かを応援できる僕であり続けたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?