ブッタの時計とクリスマス
ブッタの時計はあるのか
クリスマスに思う
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クリスマスを鎌倉で聖書を
信者以外の人に話して思った
聖書の時間の感覚、流れが
日本、鎌倉では、違う。時間の概念が違う。
創世記から始まるユダヤ王国の崩壊、ユダヤの苦難の歴史、旧約聖書、イエスが生まれる、磔にされ、使徒の時代
そして、世の終わりと再降を書いた黙示録
歴史として順をおって話すとある程度は伝わっているのか
最初から終わりまで流れる時間、日本語の言葉では伝わらないのか、改めて思う。
無常、哀れ、とは違うブッタは時間をどう考えていたのだろう。
ブッタの時計はあるのか
クリスマスに思う
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