この世界に一人きり。
──受信メール なし
なんの変化も訪れないスマートフォンの電源を落とし、ほんの一秒ほど目を閉じてみる。
そうすると、目の前は暗くなりまるで世界に存在しているのは私一人かのような錯覚に陥った。
誰からのメールも来ない時、私はいつもこんな風だ。
大げさだろうか。
用事がなければメールなんてしない。それは私もわかっている。
けれど、何も家族や友達からのメールが欲しいだなんて贅沢を言っているわけじゃない。誰だっていい。仕事だって、メルマガだって、迷惑メールだって。
そう、誰だっていいのに。
今日も私は一人、一通もメールを届けてくれないスマートフォンを握りしめる。
みんなはどうやって、この孤独を乗り越えているのだろう。それとも、メールが来ないことを孤独だなんて言わないのだろうか。
私はただ、自分という存在を確認したいだけなのに、それが贅沢だということなのだろうか。
たった今、チェックしたばかりのスマートフォンを再び触り、SNSを覗く。
そこにはたくさんの人がいて、私の知らない世界で生きていた。
ああ、よかった。
私は一人残された人類じゃない。
ちゃんと他にも人はいるのだ。
けれど、本当に?
画面の向こう側で楽しげにおしゃべりする人々。
彼らは本当に存在しているのだろうか。
何を馬鹿なと思おうとするのに、一度頭をもたげた不安は私を離さない。
私が手にしているのは小さなスマートフォンだけ。
この人工的な光の向こう側にはあたたかい光がたくさん灯っている。
それに触れたいと、切実に思った。
誰か、誰でもいい。そこにいると言って。
私は、ちゃんと存在(い)ると言って。
何かの感情で震える指が、画面に触れた。
その瞬間、指先が抗いがたい強さで引かれ、あっという間に私は身体ごと引きずり込まれてしまった。
次に目が覚めた時、私はもう一人ではなかった。
そこは明るい窓がたくさんある世界。
「あなたはどこからいらしたの?」
「あの……ここは……?」
「ちょっと聞いて。今日面白いことがあってさ」
「後輩の女の子がしてたことを知ってもう最悪」
「彼の話す内容はいつもきれいごとばかりで本当に嫌になるよ」
「聞いて聞いて。今日すごくいいことがあったんだ」
「あの……?」
おかしい。たくさんの人がいて、たくさんの言葉にあふれているのに、誰一人として私個人に話しかけてはいないのだ。
誰かと共にいれば一人にはならないと思っていたのに、私は一人でいる時以上に一人で、孤独だった。
どうしたらいいかわからなかった。
だから、必死に声を上げた。
「誰か、聞いてください!」
しん、と静まり返った空間。
誰も私を見ていなかったのに、今はみんなが私の声に耳を傾けていた。自分の鼓動が、耳に痛い。
「どうしたの?」
「何かあった?」
「……大丈夫?」
ああ、そうか。私はきっと……
目が覚めた。
私はすっかり充電の切れたスマートフォンを握りしめたまま、絨毯の上で眠っていたらしい。
ため息を一つつき、充電器をつなぐ。するとすぐに、小さな機械が震えた。
メールではなく、着信だ。
「……はい、もしもし」
『あんた、早く電話に出なさいよ』
母の声に涙が頬をぽろりと伝う。
この広い世界に一人きり。
そう思わないと、自分が可哀想な気がしていたのかもしれない。
自分から誰にも連絡しなかったくせに、随分と勝手なものだと苦笑が漏れた。
だから、この電話が終わったらメールをしてみようと思う。
『今日、無事に引っ越しました。よかったら遊びに来てください』
ああでもその前に、電球を買いに行こう。
引っ越したマンションに電球がないなんて、とんだ誤算だ。
早く電気を灯して、暗い部屋とはさよならをしよう。そうしないとまた……
世界に一人きりの時間がやってくる。
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