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個体と個体の話

ここに一つの個体がある。

彼がそう話し始めたので、これは長くなるなと私はお茶をいれにかかった。
片手間に聞いているのが見るからにわかっただろうに、彼は気にした様子もなく台所の椅子を引いてお茶が入るのを待つ体勢だ。
ようは、長くなることは確定しているということだろう。
かといって、ここで話を聞かないと途端にむくれる。
ゆえに付き合うことは必死なので、やはり私はお茶をいれるしかなかった。

「どうぞ」
「何茶?」
「見てわかるでしょ」
「君はそう言うけど、これは緑色をした玄米茶である可能性だってあるでしょう」
「……ありますか」
「あるんです」

あまりに真面目に言うものだから、思わずお茶っ葉の容器を手に取ってしまった。もちろん、そこには『煎茶』の文字。

「それで、何茶?」
「……煎茶」
「ではいただきます」
「はぁ、どうぞ」

この人はいちいちお茶の種類がわからないと飲めない人種なのだろうか。
……そんなはずはない。もしそうだとしたら、冷蔵庫の中の牛乳がすでに賞味期限を一週間こえていることに関してなんらかの文句が出てくるというものだ。
それとも、牛乳は気にならないがお茶にはめっぽううるさい質だったとか?
それもまた、初耳だ。
どうやら、彼は平素の彼ではないようだ。

彼との付き合いはかれこれ一年ほどになる。付き合うと同時に同棲を始めたので、同棲歴もまた一年。
他人と暮らすのはさぞ窮屈だろうと身構えていたが、彼との暮らしはおそろしく快適だった。これも彼が一回りも年上のせいだろうか。
そうして一年目の今日、彼は個体の話をし始めた。

ずず、と二人して熱いお茶を一口二口すする。
このまま話が流れてくれないだろうかと期待したけれど、彼もそこまで忘れっぽくはない。

「それでだ、個体の話に戻ろう」
「その話、重要?」
「すごく」
「……わかりました」

どうぞと手で促すと、彼は背筋をきちんと伸ばした。そうやって姿勢をよくするといつもの3割り増しくらいで男前に見える。
そう、この人の容姿は何かと私の目を引く。
切れ長の瞳は色っぽいし、癖のない真っ直ぐな髪も好きだ。少し骨張った指は爪が小さくて爪が当たらないのがいい。特に気に入っているのは背中なのだけれど、それは本人に言ったことはない。
別に容姿が好みだから惚れたというわけではないが、毎日一緒にいるのだから見た目だって好きにこしたことはない。
そういえば、彼は私の見た目についてどう思っているのだろう。
付き合う時に一度だけ、「君の虹彩はとてもいいね」と言われたことがある。ちょっと褒めるところが細かすぎやしませんか。
せめて瞳が綺麗など言ってくれれば私も照れるくらいできただろう。

「……ちょっと、聞いてますか」

不満そうな声で話しかけられ、すっかり聞いていないことに気がついた。
さすがに申し訳なくなって謝ると、彼は慣れている様子でまた頭から話始めた。ここははしょってくれていいところなのだけれど。

「だから、強い個体は一つだけでも生きていけるけど、弱い個体は一つでは生きていけない」
「はぁ」
「その強い個体だって、他の個体から攻撃を受ければ弱い個体になる可能性を秘めている。しかし、この強い個体と弱い個体をくっつけたとしよう。どうなると思う?」
「何でくっつけるんです?」
「え?」
「瞬間接着剤?」
「……そこはおいといて、結果だけ見てくれないか」
「はぁ。じゃあ、くっついたら一つの強い個体になる、ですか」
「惜しい。外れではないけど、ちょっと違う」

彼は嬉しそうに目を細めた。なんとなく、言いたいことはわかっている。
つまり彼は、強い個体が自分で、弱い個体が私だと言いたいのだろう。
そしてその二つは一緒にあった方がいいと、こう結論付けるのだと予測した。

「二つの個体は一つになってしまうのではなく、二つで支え合う共同体になるんだ」
「その心は」
「え?」
「共同体になるとどうなるのかな、と」

彼は困ったように目を伏せ、お茶をすすった。
オチくらい考えておいてほしい。

「えっと、つまりは君は強い個体だけど……」
「私がそっちですか」
「え?」
「いーえ、それで続きは?」
「強い個体も時として弱くなることがあると思うから、弱い個体と一緒になっておくのもいいと思う、わけです」
「そうですか」
「……はい」

何故か肩を落とした彼に、お茶菓子の乗ったお皿をそっと差し出してやる。
そのお皿には彼が好きなセロファンで一つずつ飴のように包まれたゼリーがあった。それを見つけると、彼はいそいそと口に運ぶ。
その仕草だけ見ていると子供みたいで少し可愛い。

彼を弱い個体だと思ったことはない。
いつも何かと私に面倒をかけさせようとする彼だけれど、本当はなんでも一人でできることを私は知っている。
掃除も、料理も、洗濯も。
自分で全部できるくせに、「僕の仕事は君をいいこいいこすることだから」と笑って私を抱きしめる。
それは大切な仕事だと納得してしまう私も私だろう。いい年をした大人が2人で何をしてるのだかと少し笑う。

「一つ言いたいんだけど、いいですか」
「……まぁ、どうぞ」
「私、一度も嫌だなんて言ってないと思いますが」
「ん?」
「だから、あなたの嫁になるのを嫌だと言ったことはありません」
「え」
「聞いてます?」
「いや、ちょっと待って。今照れてるから」
「……わかりました。それじゃああと3年くらいは待ってます」
「僕がそんなに待てません」
「どっちなんですか」

笑い合う声が重なった途端、ほらと彼が目を輝かす。

「これが二つの個体が一つになるということだよ」
「それで、共同体になるとどうなるんです?」
「それはだから……」

彼は口ごもり、誤摩化すように私の手を取り唇を落とす。
オチくらい考えておくか、もう少し素直にプロポーズするか、どっちかにしてください。

けれど、そんな弱い個体と一緒になってどうなるのか、これからが楽しみです。


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