見出し画像

第十話 はじまりは花の香り

たった一日。
忙しくしてるうちに明後日がくる。
そう思っていたけれど、その忙しさを甘く見ていた。

「お嬢様、よくお似合いでございます」
「ええ、本当に。ダンスのお誘いも数多できっとお困りにますよ」
「そ、そうですか? ふふ、ありがとうございます」

用意してもらったドレスは淡い藤色をしており、とても上品だった。大人っぽい意匠に気後れしたものの、手放しに褒められれば悪い気はしない。けれど、浮かれていられる時間はそう長くはなかった。
ノックの音と共に綾崎さんが顔を出す。

「……お支度はお済みですか、お嬢様」
「はい」
「まだ開始までは時間がございますが、すでにお客様がお見えですのでこちらへ」
「お客様、ですか?」

パーティーが始まっていないというのにお客様とはどういうことだろう。それも、私が呼ばれたということは私に会いに来てくれた人ということになる。
不思議に思いながら綾崎さんの後についていくと、通された別室で雅な着物に目を奪われた。

「よ、久しぶり」
「怜ニ!」

思わず駆け寄ると、怜ニは苦笑をこぼす。

「見た目だけは立派な華族のお嬢様でも、中身はそのままだな」
「そんな簡単には変われないよ。それより、怪我はもういいの?」
「お前ね、どんくらい前の話してるんだよ。とっくに治ってるから……そんな顔すんな」
「……うん」

遠慮なく頬を引っ張られ、変な顔のままに笑う。どこもなんともない様子に、心からほっとした。
でも……ここに来てしまったら、また危険な目に遭う可能性がある。

「怜ニ、今日は来てくれてありがとう。で──」
「でももしかしもなし。お前が何言っても、俺は帰らない。今日は仕事で来てるんだからな」
「え?」
「そこの執事さんに聞いてみたらいい」
「そう、なんですか?」

後ろに控えていた綾崎さんが、一歩前に出る。

「音羽様からお申し入れがございまして、本日一曲披露していただく予定になっております」
「あ……もしかして」

今日の予定にあった観劇の項目を思い出した。

「そういうこと。だから、帰るわけにはいかないわけ。わかった?」

優しい顔で言われてしまっては何も言い返せず、ただ頷いた。
怜ニは、初めから私が追い返そうとすることを予測していたのだろう。だから、帰れない理由を作ってくれた。綾崎さんも、それを承知で承諾してくれたのだろう。

「……ありがとう、怜ニ」
「礼を言われる覚えはないって。仕事なんだし。そんで、明日は食事会に呼んでくれるんだろ? お前の兄さんから誘われた」
「……うん。怜ニも来てくれる?」
「料理がお前の作ったもんだけじゃないならな」
「ひどいなぁ」

笑い合っていると、ノックと共に上総さんと克己くんが顔を見せる。
怜ニはすぐに居住まいを正し、美しい所作で頭を下げた。

「本日はよろしくお願いいたします」
「どうぞそんなかしこまらないでください。私たちの方が無理をお願いしているのですから」
「ありがとうございます」
「上総さん、色々ありがとうございます」
「僕は何もしていないよ。それよりも千佳、とても綺麗だね。ドレスがよく似合っている。ねぇ、克己?」
「馬子にも衣装」
「克己」
「……似合うのなんてわかってただろ」
「まったく、素直じゃないね、克己は。これでも褒めてるつもりなんだよ」
「ふふ、ありがとうございます」

二人に向かってお礼を言うと、克己くんは拗ねたような顔をして視線を逸らした。

「それで忍、準備は?」
「あとはご来賓の方々を待つばかりでございます」

誰ともなく、柱時計を見上げる。パーティーが始まるまでは、まだ一時間ほど余裕があった。いくら気の早い来賓がいても、さすがにまだ来ないだろう。
始まるまではと歓談していてふと気づく。

「あの、鳴海さんはどちらに……?」

そういえば、朝から一度も姿を見ていない。高橋さんも。
それに、今日来ると聞いていた彰雄さんの姿も見えない。

「鳴海さんは屋敷の周りを見て回ると言って朝から出ているよ」
「珍しく探偵らしいことをしてるな」
「克己、失礼だよ」
「そうは言っても、助手の方がよっぽど真面目に調べてただろ」
「克己様、事実を申し上げるのが正論とは限りません」
「……なぁ、どんだけ信用ないの、その探偵」
「……う、うん。ちょっとやる気のわかりにくい人で」
「とにかく、高橋さんも一緒じゃないかな」
「そうだったんですね。そうすると……」

なんとなく室内を見回して、違和感を感じた。
上総さん、克己くん、綾崎さん、怜ニそして私。けれど室内にはもう一人いた。
あまりに静かで気づかなかったけれど、給仕姿のその人は先ほどから部屋のドアを開けたりとさりげなく働いてくれている。かなり長身の男性で、眼鏡をかけた顔は精悍で……というより、

「夏目さん!?」

大分印象は変わっているけれど、夏目さんに違いない。

「……話してなかったのか、上総」
「ふふ、いつ気づくかなぁと思って。思ったよりも早かったね。驚いたかい?」
「驚きますよ!」
「驚かせてすまない」
「あ、いえ、夏目さんが謝ることでは……」
「そうだよ、彰雄。驚かせようとしたのは僕なのだから」
「……上総は謝らないのか?」
「うん。わざとだからね」

悪びれた様子のない上総さんに、夏目さんは小さくと息を落とした。その慣れた様子から、小さい頃からのやりとりなのだとわかる。上総さんは、夏目さんといる時、少しだけいたずらっ子のようになる。

「でも、どうして来賓ではなく……?」

てっきり、来賓の一人として来てくれるのだとばかり思っていた。ただ私を驚かせるためだけだとも思えない。
夏目さんはしばらく考えるような素振りをした後、

「色々と問題があってな」

とてもざっくりとした説明をしてくれた。
聞かない方がいいことなのかなと頷くと、綾崎さんにこっそりと手招きをされた。そう広くない室内で内緒話もない気もしたけれど、部屋の片隅に行く。

「九条家と夏目家には少々口にしづらい確執がございます。総一郎様にご許可をいただくこともできましたが、夏目様の方からお気遣いいただき、来賓ではなく給仕として……ご参加いただくことになりました」
「……確執、ですか」

ちらりと夏目さんたちの方を伺うと、ほんの少しだけ、夏目さんが苦笑しているように見えた。上総さんと夏目さんの様子を見る限り、その確執は二人とは関係なく、家同士のものなのだろう。

「なぁ、それより外がなんか騒がしくないか?」

窓の近くにいた怜ニが、下を見下ろしながら言う。反射的に時計を見上げたけれど、まだ開始三十分前だ。

「早くお着きになった方がいらっしゃるのかもしれません」
「僕も行こう」

綾崎さんが部屋を出ると、上総さんがその後に続いた。そしてさらにため息をつきながら克己くんも向かおうとする。

「……あんたも来い。出迎えはしておいた方が後が楽だから」
「あ、うん。楽って……?」
「後でわかる」
「? じゃあ、怜ニ、夏目さん、また後で……」

頷き返す二人に見送られ、私たちは玄関へと急いだ。
玄関の扉は大きく開かれており、辿り着く前に赤と緑の鮮やかなドレスが目につく。
それを見た途端、隣から「げ」という声が聞こえた。それに、どうしたのと聞くよりも早く、

「克己さま!」

赤いドレスを来た方の女性が高い声を上げた。緑のドレスの方の女性は、すでに出迎えている上総さまと歓談している。
中御門家のご息女、あやめさんとぼたんさんだ。
写真で見た時も西洋人形のように愛らしいと思っていたけれど、実物はそれ以上だった。
あやめさんは私のようにはしたなく駆けつけるようなことはせず、期待に満ちた目をしたまま、克己くんが来てくれるのを待っている。けれど、克己くんの足取りは非常に重い。

「……克己くん?」
「……わかってる」

大仰なため息をついた後、ゆっくりと、それはもうそれ以上ないくらいゆっくりと歩き出した。よほど、行きたくないらしい。

「ああ、来てくれたね。ご紹介しよう。こちらは……」

上総さんの言葉をやんわりと遮り、赤色のドレスを来た女性が優雅に一歩進み出る。

「中御門あやめにございます。本日はお招きいただきましてありがとうございます」
「中御門ぼたんにございます。お久しぶりでございます、克己さま」

ぴったりと揃った動作で一礼され、私も慌てて、けれど綾崎さんに習った通りの精一杯の気品を持ってお辞儀を返した。

「本日はご足労いただきましてありがとうございます。……九条、千佳と申します」
「克己さまとご一緒でらっしゃるからまさかとは思いましたが、あなたが……」

さりげなく克己くんの腕に手をかけながら、あやめさんが口端を引き上げる。

「それではこの方が妹さまでいらっしゃるの?」

ぼたんさんの方は私にではなく、やはり腕をかけている上総さんを見上げながら聞く。何故だろう。初対面のはずなのに、敵意のようなものをびしばしと感じた。
何か失礼なことを早速してしまったのかと焦っていると、移し鏡のように二人はくすくすと笑う。

「可愛らしい方ですのね。お育ちを聞いてましたのでてっきり……」
「あら、ぼたんさん。そんなこと言うものではありませんわ。たとえ庶民の出でも、血統は素晴らしいのですから」
「その話で行くと、俺は庶民の出で血も庶民だ」
「ま、まぁ! 克己さまは違いますわよ!」
「違わないだろ。つか、手を離してくれ」
「相変わらずつれないですわ……許嫁ですのに」
「え……」

あまりに自然に言われた言葉に、驚いたのは私だけで。
けれど、あやめさんは驚いた私よりもさらに驚いたような顔をしていた。

「聞いてらっしゃらないんですの?」
「上総さま、お話してくださらなかったのですか?」
「……まだ正式に決まったことではありませんから」
「いやですわ、わたくし上総さまとでなければ生涯結婚なんていたしません!」
「あたくしも、この身を捧げるのは克己さまお一人と決めておりますの」
「親が勝手に進めようとしてるだけだろ。俺は了承してない」

上総さんは困った顔で、克己くんはあからさまにうんざりした顔でそっと女性陣の腕から抜け出る。
二人が嫌がっているのは目に見えてあきらかなだけに何か言いそうになるけれど、後ろに静かに控えていた綾崎さんの目が何も言わないように、と光っていたので口をどうにかつぐんだ。

「つまり、千佳さんはあたくしたちの妹になりますの」
「まぁ、素敵! どうか仲良くしてくださいましね」
「だから、決まってないって言ってるだろ」
「あら、でも千佳さんは上総さまの妹であり、克己さまの姉。それだけは間違いございませんわよ。その方と仲良くしたいというのは悪いことですの?」

妹、姉、とわざとらしく強調されたことで、ようやくわかった。どうやらこの二人は私を牽制しているらしい。
それに気づいてしまうと、途端に二人の行動が可愛らしいものに見える。
将来的に二人の妹や姉になるかはわからないけれど、私が上総さんの妹であり、克己くんの姉であることは変わらないのだからそんな牽制なんて本当は全く必要ないのに。
笑おうとして胸がちくりと痛んだことに首を傾げる。

「仲良くしていただく分には問題なんてありませんよ。どうぞ妹をよろしくお願いします」

上総さんが取り持ってくれたのを受けて、私も努めて笑みを深くした。
たぶん、緊張しているだけだ。
急に敵意を向けられて驚いたのだということにしておく。
そう立ち話をしている間に、門の辺りがにわかに騒がしくなっていた。おそらく、他の招待客も集まり始めているのだろう。
それに気づいた綾崎さんが室内へ、と二人を案内しようとした時、給仕係の男性が大きな花束を抱えて外から歩いて来るのが見えた。

「まぁ! なんてきれいなお花!」
「美しいですわ!」

はしゃいだ声を上げ、ぼたんさんとあやめさんがひらりとドレスの裾を翻す。突然美女二人に挟まれてしまった給仕の男性は顔を赤くしながらも、

「お祝いの品を預かりまして……」

と中に入ろうとした。
その背を追いかけるような足音が聞こえて顔を向けると、鳴海さんが走って来る姿が見える。

「おい、今外に止まってた車……それっ!? 貸せ!!」
「え、な、何をっ!?」
「きゃあ!」
「なんですの!?」
「いいから早く!」

鳴海さんは花を見るや否や、ひったくるようにして奪うと誰もいない庭に向かって思い切り放り投げた。次の瞬間、大きな音を立てて、花束が空中で砕け散る。

「おい、これを渡したのは!?」
「あ、東家ご当主からと……」
「東家ってのはなんだ!?」

まくし立てる鳴海さんに、綾崎さんが取り乱す様子もなく淡々と口を開いた。

「東直久様からは先日すでに祝辞の品はいただいております」
「ってことは、やっぱりあの車か!」
「忍、すぐに父に連絡を」
「かしこまりました」
「克己、中御門家のお二人を……」

何が起こったのか、よくわからなかった。ただ、背を支えてくれている克己くんの手があたたかいことしか、わからない。
庭にはさっきまで美しく咲いていた花が花びらとなって散り、火薬の匂いが微かにしていた。鳴海さんの姿はもうない。
幸い、この場にいた人たち以外はまだ何が起こったのか理解せずに音の正体を探すように辺りを見回している。目の前で爆発を見てしまったぼたんさんとあやめさんは、二人で抱き合うようにしてまだ庭を見つめて固まったままだ。
悲鳴をあげられなくてよかったと、どこか冷静な自分がいる。
何もなく、明日を迎えることなんてできない。そうあざ笑われたような気がして、震える腕を自分で強く抱きしめた。
ここまではっきりと悪意を突きつけられてしまった以上、外聞を気にして中止しないも何もない。来賓に怪我などさせれば、中傷どころではないのだから。

「大丈夫か?」
「私は……それより、ぼたんさんとあやめさんを……」
「そうだな」

パーティーを中止にするにしても、室内の安全な場所に二人を誘導しなければならない。
とにかく急いで、と動き出そうとした時、最悪な事態が起こった。ぼたんさんが悲鳴を上げたのだ。

「きゃぁあああああ!!」

これで、何一つ誤摩化せなくなった。
ぎょっとしたように外にいた来賓たちが室内に顔を向ける。それを待っていたかのように、あやめさんまでもが……。

「きゃぁあああああ!! なんて素敵ですの!」
「……はい?」
「あやめさん、見まして? わたくしこんなに驚いたセレモニーは初めてですわ!」
「ええ、あたくしも心臓が止まるかと。さすがは九条家。最先端の技術を持ってあたくしたちを歓迎してくださいましたのね!」
「えっ」
「少しお時間より早いようですけど、今のが始まりの合図ですの?」
「きっとそうですわ。わたくしたちしか見られなくて本当に残念です」
「あら、ぼたんさん、それは違いますわ。上総さまと克己さまが、あたくしたちのために、ご用意くださったのよ」
「まぁ! そうでしたの?」
「そうですわよね、克己さま?」
「いや……」

克己くんが返答に困ったように口ごもっている間にも、外から玄関へと集まっていた来賓たちは口々に安堵の言葉を漏らして笑顔に戻っていく。

「パーティーの始まりですわ!」

ぼたんさんの無邪気な声に、どこからか拍手が鳴り始め、最後には大きな波のようになっていた。
もう、誰にも止められはしない。

「……上総様、ご指示を」

席を外そうとしていた綾崎さんが、低く問う。

「……忍は父に報告後、配置に」
「かしこまりました」
「克己、千佳、おいで」
「はい」
「どうすんだよ」
「どうもしない。……来賓たちを出迎えよう」

こうして。悪意の花束によってパーティーは無理矢理、幕を開いた。

つづく


#小説 #長編小説

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?