おにぎり

「お母さん、今日の朝ご飯なあに?」

朝の眩しい光を浴びた娘の髪に、きれいな天使の輪ができていた。
それをなんとはなしに見つめながら、「あじの開きよ」と口が勝手に動く。

──お母さん。

そう自分が呼ばれるようになって、どれくらい経っただろう。
実家を出てからもう十年以上が経ち、今の主人と一緒になってからは八年。
娘ももう七歳になる。
女の子は口が達者だというけれど、うちの子もその例に漏れず随分とおしゃまな口をきくようになった。
今も、「マナ、フレンチトーストがよかった」などと唇を尖らせている。

炊飯器を開けると炊きたてのお米のやわらかい香りがした。
水で濡らしたしゃもじを入れると、頬にしっとりとした蒸気が当たる。
3人家族で3号は少し炊きすぎたかもしれない。
残ったご飯はおにぎりにしよう。

ふと、母が握ってくれたおにぎりを持って海に行った時のことを思い出した。
潮風の中、アルミホイルに巻かれたしんなり海苔のおにぎり。
海ではしゃいでお腹ぺこぺこになった子どもには、何よりのご馳走だった。
海の時だけじゃない。
友達とプールに行った時も、帰りに食べなさいと握ってくれた。
友達たちはコンビニで買ったパンを食べていたけれど、私はちっとも羨ましくなかった。それどころか、おにぎりが誇らしくさえあった。
いつから、母のおにぎりを食べていないのだろう。
大学に入ってひとり暮らしを始めた時からかもしれない。
それを思うと、もう十年以上も食べていないことになる。

「お母さん、ご飯まだあ?」

娘の甘ったるい声で、現実に引き戻された。

「ごめんね。すぐご飯よそうから」

粒の立ったご飯を、お茶碗にこんもりとよそう。
その白いお米がぼんやりと滲んで見えた。
どうしてだろう、今とても、母に会いたい。
早くにできた子どもだったから、母は今だってぴんぴんしている。
会おうと思えばすぐにでも会えるのに、急に母に会いたくて泣きたくなる時があった。
こんな大人になってから何をと自分でも思うのに、母に会いたくて仕方がない。
母の握ったおにぎりが、食べたい。

いつ、私はこんなにも大人になってしまったのだろう。

もう自分が子どもではないという現実に、たまに途方に暮れる。
母に抱き締めてもらうことも、父におんぶされることももうないのだ。
大人になった時、自分がもらった愛情を自分の子どもにまた注いでやればいいのだと、誰かがコラムか何かで書いていたのを見たことがある。
言っている意味はわかる。
もちろん、娘にも愛情を注いでいるつもりだ。
でも、私はもう、子どもには戻れない。

髪を結ってもらわなくても自分でできるようになって、
お化粧を覚えて、料理も掃除もひとりでできるようになった。
自立は比較的早い方だったと思う。
それなのに、ふとした瞬間に母に泣きつきたい衝動に駆られる。
母は……他の大人たちは、こんなことはないのだろうか。
ただ単に、私が甘ったれなだけなのだろうか。

「……お母さん?」

娘が、心配気に私の服の裾を引っ張った。
それはそうだろう。
ご飯をよそっている途中で母親が泣き出せば、子どもは不安にもなる。
無理やり涙を飲み込んで、娘へと笑いかけた。

「目にゴミが入っちゃった」

大人相手だったらすぐにバレただろううそに、娘がほっとしたように笑う。

「朝ご飯、おにぎりにしてもいい?」
「えー? だってお魚だよ?」
「おにぎりとお魚、美味しいよ」
「ん~……おかかも入れてくれる?」
「もちろん」

予定を変更して、3号のご飯はすべて、おにぎりにすることにした。
たくさん握って、食べきれないほど握って、アルミホイルでくるもう。
そしてそれを持って、母に会いに行こうと思う。
でもたぶん──……

おにぎりなんていくらでも握ってあげるわよ。

そう言って、母は笑うのだろう。

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