自分のことを許したら、人生に対して前向きになれた【POSIWILL CAREER体験談】
9月から11月まで、2か月半の間POSIWILL CAREERを受講しました。
POSIWILL CAREERを受講したことで、大きく自己変容し、驚くほど人生に前向きになれました。
私がPOSIWILL CAREERで何を学び、何を考え、どう変わったのか。
それを、この記事で記していきます。
自分に自信がない、自己肯定感が低い、変わりたいのに変われない、という方は、共感いただけるところが多いのではないかなと思います。
POSIWILL CAREERでどういう風に変われるの? と疑問に思われている方には、ひとつの事例として、参考にしていただけるのではないかと思います。
また、全体的にかなり具体的に書いていますので、ご自身のことを考える際の足掛かりにしていただくこともできるかなと思います(私自身、他の方の内省を見ることが自分の内省を深める助けになることが多いので)。
12,000字超えと長い自分語りになりますが、お付き合いいただけるとうれしいです。
私のこれまでの経歴
中規模病院の事務職として働く社会人2年目です。
(余談ですが、仕事の取引先の人に「もっとお若いと思ってました!」と言われたり、大学のOBOG会で在学生に同期だと思われたり、大学2年の春休みに語学研修に行ったニュージーランドでは中高生だと思われたりと、何かと歳を下に見られがちです)
大学では、社会学部で教育と福祉を学んでいました。
就活時は社会に出るのが怖くてかなり病んでいましたが、とにかく「100%人のために仕事がしたい」と非営利だけを受け、最終的に現職に内定、就職し、今に至ります。
仕事の内容は多岐に渡ります。転職エージェントに仕事内容を聞かれた時には本当に答えに困ったし、やっていることを列挙していくと苦笑の末に「メインはどれですか?」と聞かれてしまう始末でした。
簡単には、接客と事務仕事のハイブリッドと言えばいいのでしょうか。
具体的には、課全体の業務として
・窓口業務(受付対応、会計精算)
・電話対応(問い合わせや予約の対応)
・レセプト業務(外来診療の会計計算も含む)
・診療補助業務
・書類業務
・コロナ関連業務(発熱外来、ワクチンの受付・接種券処理)
プラス個人の担当業務として、課内の備品管理や担当分の登録・請求業務や報告書作成など。
そしてこれは詳しくは書けませんがとても責任の重い業務も2022年3月から任されていました。
受講前の状態
まず、とにかく仕事がしんどかったです。
職場の環境として、マルチタスクを求められるとか、ミスも遅れも許されないとか、上司の器が小さいとか、人手不足の上に業務過多とか、毎年のように休職者と退職者を出していながら何も改善されないこととか(私が入ってからPOSIWILL CAREERを受講するまでの1年半で、3人休職・2人退職しています。1年半で課から5人離れたことになります)、そういうストレスが大きいというのがひとつ。
そして、責任の重い担当業務は本当に責任が重く、絶対に失敗できないうえ、好き勝手言う(しかも結構癖の強い)お偉方の間をほとんど孤立無援で渡り歩かなければならないという、およそ2年目の職員にさせる仕事ではない無茶ぶりでした(あと数年経験を積んでからなら、学ぶことの多い業務だったかもしれませんが)。
また、病院における事務というのは地位が低いので、患者さんからの問い合わせなどにも自分では答えられないことが多く、様々なことについて医師や看護師に指示を仰がなければなりません。場合によっては納得できない対応をせざるを得ないこともままあり、フラストレーションでした。
そうした中で、人のために働きたいと思って就職したはずなのに、余裕のなさや体制の問題から必ずしも人のために仕事ができなくなっている、そんな自分に自己嫌悪を抱くようになっていました。
もともとキャリアの行き止まり感のようなものがあり、この仕事を長く続けようとは思えないな、とは感じていました。
しかし、仕事自体にも価値を見出せないことが増えたこと(「この仕事、意味あるのかな?」「この仕事、誰のためになっているんだろう?」)、信頼していた先輩が相次いで退職したこともあり、もう続けられない、と悟りました。
けれど、やりたいこともできることも一切わからない。
そもそも、他に私にできる仕事なんてあるのだろうか?
全部リセットして不確実な場所に飛び込むくらいなら、今の職場でそこそこ評価もされているし、人間関係も悪くないし、騙し騙しやっていった方がいいのではないか?
――いや、もう続けられない!
でも、……
こんな堂々巡りを、何度も何度も繰り返していました。
POSIWILL CAREERとの出会いから無料面談に申し込むまで
出会いは、noteで体験談を読んだことです。就職当初から、仕事が合っていないこと、長く続けようと思えないこと、かといって他に何をすればいいのかわからないことには悩んでおり、キャリア関係の記事を読み漁る中で巡りあいました。
いくつもいくつも体験談を読み、いつか絶対受講しようと心に決め、費用を貯めていきました。
「いつか」としていたのは、当時はすぐに仕事を辞めることは考えていなかったので、転職すると決めてから受講しようと思ったためです。せっかくの機会を無駄なく使いたかったので、開始時期は慎重に検討する予定でした。
しかし、2022年3月から風向きが変わり始めました。
一番信頼していた先輩が退職。その先輩の担当していた責任の重い業務の後任に指名され、その業務の重たさと孤立無援さに消耗すると同時に、3月末から新人が入り、教育やフォローをしなければならなくなったことで、負担が一気に増えたのです。
限界が近いと思い始め、また体験談noteを読み漁りました。でも、まだ仕事は辞められない、だからまだ受講できない、でもしんどくてたまらない。
他社のサービスとの比較記事を読み、無料面談での気づきも多いという口コミも多かったことから、ポジキャリの前哨戦として他社の無料面談に申し込みました。
しかし、この面談では3時間過去に遡ってもそれが仕事にどう結びつくのかわからないままに終わりました。
その後も心身ともに限界の状態が続き、2か月後に別のサービスの無料面談を受けました。そこでは、仕事上のいろんな条件の話をして、結局、今の職場に残る方が無難と言われました。
その場では納得したのですが、やはり仕事に行くとしんどくてやめたくて仕方なくて、めまいや吐き気や体のだるさも一向に良くならず、夏のボーナスでポジキャリの受講費用が貯まったこともあり、意を決してポジキャリの無料面談に申し込んだのでした。
無料面談
担当してくださったのは、廣嶋竜司さんという若い男性でした。大学時代のゼミの先生にどことなく雰囲気が似ていて、zoomで顔を合わせた瞬間からほっと心を許せる感覚がありました。
無料面談では、仕事のどういうところが嫌か、逆に好きなところややりがいを感じる点はあるか、これまでの人生で一番充実していた経験は何か、といったことを掘り下げていきました。
仕事のしんどい部分は前述したように多々あれど、好きなところ、やりがいを感じる瞬間として挙げたのは、日々の些細な「ありがとう」の言葉や、相手の要求や質問の背景まで考えて応対ができた時のことを挙げました。
また、医療事務にはレセプト請求という業務があります。皆さんが保険証または医療券を提示することで負担せずに済んでいる7~10割の医療費を行政に請求する業務です。この際、ルールに沿っていないと支払額が削られたり(査定)請求そのものを差し戻されたり(返戻)するので、そういったことをできるだけ減らすために、ルールに合わせて病名や算定内容を整えていくのです。
この業務について、「これは誰のためになっているのだろうか?」「ただ保険を通すためだけにコメントや病名をつけて、『これは通る』『これは通らない』とやることに意味があるのだろうか?」というもやっとした感じはありながら(いや、病院経営上非常に重要なことなのです、病院の収入はこれによって得られているので)、受付や電話対応に比べて不確定要素の少ない業務であり、自分の持つ知識を使って自分のペースでひとつずつこなしていける感覚は好き、というお話もしました。
人生の中で最も充実していた経験は、大学時代に打ち込んでいた、障害のある学生への授業支援活動でした。聴覚に障害のある学生への情報保障の活動を主に行っており、どうすればもっとうまく伝わるのかと考え、信頼できる仲間と支援をブラッシュアップしていく時間が本当に好きでした。また、利用学生(支援制度を利用して支援を受ける学生のこと)が授業の内容を理解できた様子を見せてくれたり、先生が面白いことを言った時に「これは絶対伝えたい!」と思って拾ったのを笑ってくれたりした時は、本当に本当にうれしかったのです。
こうして話を進めていく中で、「自己肯定感の低さ」という、私の根本的な課題に行き当たりました。以前から自覚していることではありましたが、親からも再三改善しろと言われ、自分でも何冊も本を読んでいるのに、なかなかうまくいかない部分でした。この自己肯定感の低さにより、大学3年から4年にかけては体調を崩すほど思い悩み、それ以降生きづらくて仕方なくなっていました。
廣嶋さんから、ここが、仕事にしんどさを感じること、自分の持ち味ややりたいことが見えないこと、未来が描けないこと、他人と比較してしまうこと、どんな選択も100点ではないと感じてしまうところ、そういう人生のブロックにつながっている、すぐに完全に解消する必要はないかもしれないけれど、し始めることは必要だと思う、と言われました。
ここで廣嶋さんに言われたこの言葉が、とてもとても心に響きました。
「2,3年悩むなんて相当ですよ。2,3年もやもやしていたら人生の幸福度も全然変わるし、シンプルにもっと人生楽しくなる。3年前に変えられていたらもっとこの3年楽しかったと思うし、あと2,3年悩んでいたら取り返しがつかなくなると思う。
あと、こんなに人のことを考えられるし、考えること自体も好きで、誰かのために動ける人が、このまま燻っているのは単純にあなたがもったいないです」
私よりも私の可能性を信じてくれているし、私の人生が良くなることを望んでくれている、と思いました。
そして、私自身、もっと自分の人生にまっすぐに生きられるようになりたいと素直に思え、POSIWILL CAREERの受講を決めました。
トレーニングを受けての変化
トレーニングを担当してくださったのは、若山彩香さん。出自がどことなく私と似ていて、医療系の人材業界出身ということで私の現状についてもよく理解してくださいました(医療の世界というのは結構特殊なので……)。
ここでは、面談でどういうことをした、というより、私にとってトレーニングがどういう意味を持ったのかに焦点を当てて記していきたいと思います。内容を列挙していくと取り留めなくなってしまいますし、私にとっても、「私にとっての意味」を再認識・再構築していくことは大きな意味を持つと思うからです。他人の経験を追体験したいという欲求を持つ人が私以外にもいることを信じて、書きます。長い自分語りになってしまいますが、お付き合いいただけると嬉しいです。
さて、トレーニングを受けての変化は大きく2つあります。
(たぶん本当はもっとあるのですが、それは生活の中でふと気づくことなのかなと思います。「前はこうだったけど、そういえば変わったな」と。そういう無意識レベルの変化がもたらされるのがPOSIWILL CAREERのトレーニングだと思います)
①自分を許せるようになった(自己否定癖が和らいだ)
完璧主義傾向が強く、自分の思う「理想」や「当たり前」と異なる部分が許せない人間でした。
また、とにかく自己否定の癖が強く、自己否定する自分をまた責めて否定する、という、もはや自傷に近い自己否定ループに陥っていました。
自己否定は、自分の「できない」ところだけでなく、「望ましくない感情を抱く自分」に対しても強く向けられていました。
私は、子ども時代に勉強が苦手な兄に母がつきっきりになっていた経験から、「私は注意を向けてもらえていない」という感覚を持ってしまい、満たされなさを感じていました。しかし、母も精一杯でそれ以上のことはできなかった、仕方なかったのだから満たされないと感じてはいけない、と、そう感じる自分を何度も否定しました。
また、ずっと抱えているどうしようもない生きづらさも、恵まれた環境(経済的にも、両親からの愛情も、友人関係や教育環境も)で育ったのだから、生きづらいと感じてはいけない、と思っていました。そして、それでも生きづらさを感じてしまう自分を責めていました。
大学3年の時の日記に、これをよく表している一節があります。
このように、私は自分の感じることに対し、そう思ってはいけない、そう感じてはいけない、と否定し、とことん責める癖がありました。
トレーニングの中で、こう言われました。
「言葉で納得させる力が強いからこそ、感情を置き去りにしてしまう。その感情を受け止めてあげてほしい」
インナーチャイルドワークと呼ばれるワークに取り組むことで、この課題にアプローチしていきました。このワークは他の方の体験談を読んでいてもほとんどの方が取り組まれているようです。幼少期の満たされなかった気持ちを大人になった自分が満たしてあげるというワークです。
しかしこのワーク、自分だけでは「でもそれは仕方なかったし」「そう感じてしまう私の問題だし」と、どうしても自分の感じ方のほうを否定してしまいます。
トレーニングの中で、「仕方なくないですよ」「そう感じても無理ないですよ」と繰り返し言葉をかけてもらうことで、徐々に、周囲の状況とか事情とか、それはそれとして、私はそう感じてつらかったのだ、ということを、良いも悪いもなく認められるようになっていきました。
これをきっかけとして、劇的に自己否定癖が和らいでいきました。
自分の感じ方を許せるようになったし、自分のできない部分を許せるようになりました。
気持ちが落ちた時、ネガティブな気持ちを抱いた時、自分を責めてどんどん下まで落ちてしまっていたのが、落ちても「無理ない」「そういうもの」と置いておけるようになったことで、落ち幅が浅くなり、上がってくるまでの時間も短くなりました。
完璧主義や不安など、まだまだ課題はありますが、すべてについて「そう思うことをいったん受け入れましょう」とディレクションしてもらい、少しずつ、自分自身について良いも悪いもなく「そういうもの」と思えるようになったことで、自分の存在の土台となる“感じ”を得ることができました。
自己肯定というより、自分に対して意味づけをすることが少なくなりました。(肯定という言葉には、「いい」という意味づけをするニュアンスが感じられるような気がします)
自分はここに「ある」ということが腑に落ちた、本では読んでいたけれど、そう「感じられる」ようになったと思います。
何のために生きているのか、私がここに生きている意味はあるのか、と悶々と考えていた期間は長かったけれど、いつの間にかそういった問いを発すること自体がほとんどなくなっていました。
②「かわいそうな自分」「苦しい自分」を手放せるようになった
前述のように、私は「注意を向けてもらえていない」という満たされなさを抱えていました。
私の兄は苦労人です。父に厳しくされ、苦手な学校の勉強を頑張らねばならず、ストレスで体調を崩すこともよくありました。そしてそんな兄を母はとても気にかけていました(少なくとも私にはそう見えました)。
この経験から、「かわいそう」になれば注意を向けてもらえる、心配してもらえる、だからかわいそうになりたいと思うようになりました。
また、兄がこれまで苦労してきたということを家族の中で取り沙汰されることが多く、世の中的にも苦労している人が持ち上げられる風潮もあり、自分には苦しみが足りない、楽に生きてはいけない、と思っていました。
しかし、家族の中での生存戦略として、私は兄と対照的な心配のいらない存在になる(=「大丈夫」でいる)という方略を取っており、それがそのまま自分の行動原理として染みついていました。そのため、家の中でも外でも、心配して注意を向けてもらいたいのに、大丈夫に振舞ってしまうという矛盾が起きていました。自分のほかにもっと大変な人がいる環境では特にそれが顕著でした。
逆に、母や慕っている先生などから私だけに注意を向けてもらえた時には、その注意を手放したくなくて、過剰にしんどさをアピールしてしまうということも多くありました。
また、生きづらくない自分に変わりたいけれど、「かわいそうな自分」「苦しい自分」を手放せなくて変われない、という矛盾にも自己嫌悪を抱いていました。
自分の中が矛盾だらけで、それもしんどさにつながっていました。
前述のインナーチャイルドワークを通じて、この自己矛盾も大きく解消しました。
過去の満たされなさを自分で許せたことで、かわいそうになって注目されたいという欲求も小さくなったのです。
また、これはこのnoteをまとめる中で気づいたことなのですが、この「かわいそうさ」への固執は、「注目してもらいたい」と同時に「できないことを許してほしい」「しんどいと感じることを許してほしい」が大きくありました。自分ではできないことが許せないので、周囲から「かわいそう(だからできなくていい)」と評価されて初めてできないことを許せた。「しんどい」「苦しい」と感じることを自分に禁じていたので、そう感じてもいいと言ってほしかった。自分の感じ方の正解を他人に求めていたわけです。
トレーニングを通じて、自分のことを自分で許せるようになったので、許してもらうためにかわいそうでいる必要がなくなったのです。
「かわいそう」でなくなったら、私に優しくしてくれていた人たちはみんな私から離れていくと思っていました。
けれど、「かわいそう」でいなくて済むようになったら、その分その人たちとは楽しいことや前向きな未来を共有できるようになりました。
「かわいそうな自分」を手放せたことで、これまで自分の中の摩擦で消費されていたエネルギーを、前向きな未来を描くことやそこに向かって進んでいくことに使えるようになりました。
トレーニング開始前からは信じられないくらい、今、自分の人生を前に進めていると感じています。
キャリアについて、トレーニングでわかったこと
①モチベーションの源泉
就活時は、「人の役に立てること」と考えていました。無料面談でも、相手のことを考えて動けた時にやりがいを感じることを再確認しました。
同時に、自分の行動の影響が見えることも、モチベーションにつながるということがわかりました。お礼を言われること、相手から反応があること。相手のいないことでも、仕事が片付くことや、チェック項目の消込も。
ちなみに、無料面談で廣嶋さんはこれを「成果が出ること」と表現されたのですが、当時私は「自分の価値を他人に頼るな」「自己肯定感を上げろ」と言われているからという理由で、「成果」という言葉に抵抗を示しました。
今思えば、「成果」という言葉の持つ、他人からの評価や期待の感覚、もっともっとと果てがない感覚に反応したのかもしれません。
その時、廣嶋さんは「自分に合う言葉を見つけることが大事」と言ってくださるとともに、「自分の存在の一部を他人に頼るのは悪いことではない」と言ってくださいました。
このnoteをまとめる中で、数か月越しに、「自分の行動の影響が見えること」というしっくりくる表現を見つけることができました。
また、この表現を見つけたことで、「その影響を見て、より良いように自分の行動を修正しているのだろう、だから影響が見える必要があるのかもしれない」ということにも気づきました。
また、トレーニングの中で、「自分自身が良いと思える目標に向けて、仲間同士で信頼し・信頼されながら、チームの構成員がそれぞれの役割を果たしているという環境」が私にとって心地よいということもわかりました。
②自分の持ち味
仕事理解ワークで、自分の現職での成果をもとに、自分の持ち味を探っていきました。
あやかさんからは、「課題発見力が強くて、その課題を埋めるために何が必要かも直感的にわかる力がある」と言われました。
また、「分析力」「傾聴力」「慎重さ」「他の人のことや先のことを考えて準備する力」が持ち味としてあることを把握しました。
当初は転職を目指していたので、このワークで職務経歴書も作成しました。
③4つのLのバランス
4つのLとは、Labor / Love / Learning / Leisure のこと。端的に言えば、仕事・家族・学び・趣味の4つです。
3年後・5年後の理想状態について考えていく中でわかったのは、私は何か一つを重視して他のものをそのためのリソースにするのではなく、4つそれぞれから異なる学びやエネルギーを得ているということ。「それぞれが不可侵の独立国家」(あやかさん談)ということです。
中でも、仕事の理想状態に学びが入り込んでいたことから、「学び」が大事であるということに気づきました。
思えば、「学び」という側面は私にとってとても重要です。本やコンテンツにどれだけハマるかは、そこからどれだけ学びを得られるかが多大に影響しています。
余談ですが、大学1年の時、先生に自分が飽きっぽい性格であると言った際に、「飽きるというより、もうそこから学べることがなくなったということであるように思う」と言われたこともあり、自分でも確かにと思います。
そして転職活動、をするはずが……
急転直下。医療系専門職の資格を取るために大学院に進むことにしました。
というのも、面談したエージェント2社ともから営業への転職を提案されたのですが、私ほど営業に向いていない人間はそういないわけです。
(就活時、人の役に立ちたいの気持ちが強すぎて企業の営利性を受け入れられず、非営利に絞って受けていたような人間ですし、今は病院事務としてお金の絡む仕事をする中で「お金をもらう」ということへのある種潔癖な忌避感は薄れたものの、未だに「買ってください」「お金を払ってください」と言うのは苦手です)
「人と話すのが好き」「勉強するのが好き」という私の性質もあり、
「相手のことを一番に考えて、人のために仕事がしたい」という私の欲求もあり、
「学校に通いなおして専門職になるのもいいんじゃない?」という両親からの提案もあり、
現職でのフラストレーションからくる「今のように時間に追われて仕事を捌くのではなく、ひとつひとつ丁寧に向き合って仕事がしたい」「専門家の言いなりになるのではなく、自分自身の言葉で話したい」という希望もあり、
医師の仕事を隣で見る中で芽生えた「自分自身が専門家として、自らの持つ知識を総動員して人と向き合えるような仕事がしたい」という気持ちもあり、
両親が医療専門職であるという出自や、病院で働いた経験からくる医療情報への親和性(医療情報や病気について調べたり勉強したりするのはもともと好きなのです)もあり、
いろいろなピースがカチッと嵌り、最も納得感のある選択肢として、「大学院進学」を選びました。
私のMVV
転職活動をしないことにしたので、残りの面談で引き続き内面課題にアプローチするとともに、MVV(Mission / Vision / Value)を策定しました。
私のMVVはこちらです。
Mission(存在意義/使命)
人の不安を軽減し、適切な選択と行動につなげる。
〈用いる手段〉
・相手に丁寧に向き合い、自らの知識技能経験を的確に用いて傾聴・情報提供・助言等を行う(対人支援)
・相手のニーズを読み、必要/快適な環境をつくる(対組織構成員も含む)
・知識や経験、情報などを広く発信する(対社会)
大学時代の支援活動でも、現職でも、思えば私は「安心してほしい」と思って行動することが多かったように思います。
自分自身が不安を感じやすいこともあり、「安心」があれば、人はより適切な選択をし、行動を起こすことができると思うのです。
Vision(自分のありたい姿)
Missionを達成するためには;
・自分の欲求や感情を掌握し、いつも朗らかでいる。
└腐らず、他者のwell-beingに向けて力を尽くす & 自分のwell-beingも大切にし、バランスをとる。
・学びを絶やさず、知識技能を更新していく。
・自分の軸を強く持ち、ただ共感するのではなく言うべきことを適切に伝える。
Value(大切にしたい価値観)
・誠実に向き合う
・あらゆる視点から考える
・すべてから学ぶ
・自分も他人も大切にする
また、併せて「死ぬときにどういう人生だったと思って死にたいか」も考えました。
死ぬときにどういう人生だったと思って死にたいか
・学びたいことをすべて学びきった人生だった。
・これまでの出来事すべてに意味があった。
・周りの人のことが大好きだし、私も彼らにいい影響を与えられた。
→私の生きていることに、意味はあった。
トレーニング開始前は、「私にしか出せない価値を出せた、私だからこその“こと”を為せた」と思いたい、「私にしかできないこと」がしたいと思っていました。
ところが、トレーニング終盤で改めて考えた時、これをまったく自分の言葉だと思えなかったのです。
「私にしか」「私だからこそ」の根底には、自分が生きていていいと思えない、という感覚があります。そのままの私には生きている価値がない、私にしかできないことを成し遂げることで初めて私の人生に意味が生まれるのだ、という感覚です。
人の役に立ちたいという気持ちも以前はここからきていました。自分では自分が生きていることに意味があると思えないので、人の役に立って、相手から自分の存在を肯定してほしかったのです。
今でも、「自分の人生に意味があったと思いたい」という気持ちはあります。
でもそれは、自分自身の満足感としてであって、他人の評価は一切関係ありません。
トレーニングを経て、自分の存在の「土台」ともいうべきものが自分の中に作られていった、その変化がここにも表れていたのでした。
トレーニングの中で印象に残った言葉
①「偉人たちって、基本的にわがままです」
当初の私は、苦しまなければならないと思っていたので、「楽に生きる」ことに対して強い抵抗感がありました。
前述したような兄との比較や世間的な風潮もそうですし、偉人たちも皆、多大な苦労をして成果を上げているわけです。
だから、私もものすごい苦労をしなければ何も成し遂げられないと思う(この背景に、「何かを成し遂げなければ生きている価値がない」という考えがあったのだろうなと今では思います)、と話した時に、あやかさんから言われたのが、この言葉です。
「あの人たちは、苦労が目的になっていないんです。成し遂げたいことがあって、そのハードルがものすごく高いから結果として苦労しているだけなんです。誰からも頼まれていないし、なんなら反対されてることをそれでもやり通しているんだから、あの人たちって基本的にわがままです。違うなと思ったら、目標を変えているはずです。あの人たちは、自分の目指すものにまっすぐ向かっているだけなんですよ」
「苦しまなければ」という呪縛を緩めるきっかけとなった言葉です。
②「燈里さんがすごく愛されていることが伝わってきました。その感謝をエネルギーにして進んでいくのが燈里さんですね」
エージェントに営業を勧められたと言うと、両親のみならず、兄や、小学6年生の頃からお世話になっている声楽の先生にまで、「ありえない」「何考えてるの」「地球上で最も遠い職業のひとつ」などと散々言われたのですが、
そのことを話した時の言葉です。
この言葉を聞いた時、不思議なほど、自分の中にすとんと落ちてきました。
これまでだったら、素直に受け止められなかったと思います。愛されているのに生きづらさを感じる自分はダメだ、と思ってしまって。
でもこの時は、「ああ、私って愛されているんだ。それってすごく幸せなことだな」と思えたのです。
私のことを愛して大切に思ってくれる人たちのためにも、私は私を損なわないで生きていこう、と思ったのです。
最後に
ここまで長い長い文章にお付き合いいただき、ありがとうございました。
これだけ書いてもまだ足りないくらい、2か月半のトレーニングは盛り沢山で、私の学びも変化もたくさんありました。
最後に。
ポジキャリのトレーニングの内容は、まったく目新しいというわけではありません。
認知行動療法や、本に書いてあるワークが多いです。
体験談noteをいくつか読めば、何をするのかはだいたいわかります。
自分に必要なものを選んで自分でできるのであれば、それでいいと思います。
私は、ポジウィルは「チューナー」であり「指針」だと思います。
前述のとおり、私の場合、私一人では同じ自己否定を繰り返し、自分を変えることはできませんでした。自分でも、自分が変われると、心からは思っていませんでした。
私よりも私の変容を望み信じてくれている、そんなトレーナーさんから、
私に必要なワークをカスタマイズしてもらい、
自分の受け入れられない部分を受容してもらい、
自信のない自分を鼓舞してもらい、
違う視点を提供してもらい、
何度も言葉をかけてもらい、
変われたらこんな世界が待っていますよと未来を語ってもらえることで、
やっと変わることができたのです。
私の「大学院進学」という進路は、正確にはポジキャリ"で"決まったわけではありません。
専門職を目指すという提案は両親からでしたし、目指すことにした医療系専門職は父から紹介されたものですし、最終的にそれを目指すというのは他の専門職と比較したうえで自分で決めました。
(あやかさんには、こんな短期で決めていいのかと不安に思う私の背中を押していただきました)
しかし、トレーニングを受けていなければこの選択をすることはなかった、ということは断言できます。
自分を許し受け入れることで、自分の存在の土台をつくり、そこに足を踏ん張って、自分の人生に前向きな姿勢を持てていなければ、この選択はできませんでした。
正直、楽な選択ではありません。勉強は大変だし、その先の仕事はおそらくもっと大変です。
それでも、今の私にとって一番前向きで、一番納得できて、一番私らしくて、一番楽しみな選択をしました。
たぶん、いや絶対、この先もう嫌になったり、逃げたくなったり、しんどくなったりすると思います。
でもそんな自分も受け入れて、トレーニングで得た学びを指針にして、やっていこうと思います。
若山彩香さん、廣嶋竜司さん。
この記事は、おふたりへの感謝の手紙です。
本当にありがとうございました。