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痛みで造られた花束と世界で1番平和な音。
花束を貰ってみたい、だってきれいじゃん。
人生で1度も花束を貰ったことはない。卒業とか引退とか色んなタイミングあったけど、やっぱり貰ったことはない。花束はいつからか私の憧れになっていた。唯一貰ったことがある花束は、傷だらけの雑草でつくられた乱雑なものだった。薄情な奴め。
花束を贈るタイミングはたくさんあった。たんぽぽを摘んでお母さんに、転勤していく先生、部活の定期演奏会。毎年5人とかには花束を贈った気がする。その人のことを想って花を選ぶ時はとてもしあわせ。優しい気持ちになる。でも生花はすぐに枯れてしまう儚きものだから、最近はソープフラワー(石鹸で作られた花)を贈ることが多い。定期演奏会でソープフラワーの花束を贈ったことがある人たちは、みんな綺麗に部屋に飾っていてくれているらしい。とても嬉しい。贈った側も贈られた側も笑顔になれる花はやっぱり素敵だと思う。
だからこそ、花束は平和のためにあるのではないか。花が咲くべき場所、花が贈られるべきタイミングは悲しい時じゃなくて、嬉しい時、笑顔が、青空が相応しいと思う。誰かが亡くなったときに花を贈るのはそういう意味があるのではないか。忍という意味もあるだろうけど、あなたの笑顔が好きでしたとか。ありそうでならないだろ。
平和の象徴は鳩、オリーブ、ピースサインと呼ばれているけれども、平和を象徴することができる音はなんだろう。考えたことはあるだろうか。私は“鐘の音”が世界中誰もが平和だと感じる音なのではないかと考えている。鐘が鳴る時、それは祈りを捧げる時、結婚式などの喜びを伝える時などがある。1度世界中どこにいても誰もが聴こえるような大きな鐘を造って、鳴らしてみよう。海を越えて、山を越えて、きっとみんなが耳を澄ますだろう。そうしたらきっと、みんながその鐘の方向を向いて微笑んでくれるかな。世界は平和になれるかな。もしくはその鐘を鳴らすために、たくさんのリボンをつけて全員がそれを同じ時間に引っ張ろう。そしたらきっと争いなんてやっている暇はない。
どうせこれも全てフィクションだ。誰もそんなに大きな鐘など造らないし、鳴らしはしない。花束だってそう何もしていない私は貰えはしない。
いつかきっと、叶うなら。
この世界がよりよくなった日だろう。