日常は、少しずつ変化するものだけれど①
2011年が忘れられない年になったように、この2020年も強く心に刻まれる年になったことは確かだろう。コロナによる自粛生活は、こんな地方都市に住む私たちの日常にも影響があった。
一つは、散歩のついでの昼飲みが減ってしまったことだ。街中になかなか出られないため、ただひたすら近所を散歩している。それはそれで楽しいけれど。だが、これはもう少ししたら、以前に戻れるかもしれない・・・と少し期待している。
大きく変化したのは『買い物』かもしれない。ニュースにもなっていたなあ。ネットでの買い物が増え、ウインドウショッピングは、全くしなくなった。
私たち家族は、まだ6人家族だった頃から食料品は、週末にまとめ買いするという方式で購入していた。生協の共同購入も少し利用していたが、それはほとんど、店舗では購入できないものに限られていた。
まとめ買いは、週の半ばに食料品が足りなくならないようにという強迫観念のようなものもあって、買い物かご2つ分にもなる大量のものだ。私たちのレジの後ろに並ぶ方に、いつも申し訳なさを感じていた。
が、なるべく外出は控え、店舗にいる時間を短くするためにということで、共同購入の利用を多めにすることに方針を転換した。利用してみると、ほとんど共同購入で賄えることが判明する。生協の店舗では2週間に一回くらい、忘れたものやどうしても店舗でしか買えないものを買うだけになった。
2011年の時に変化したものは何だったのだろうと、ふと思った。日常生活自体はそんなに変わらなかったかなあと思っていて、気づいたことがあった。
電気のない生活を想像するようになったなあと。
あの震災で、電気のない生活を数日経験するまで、小さい頃、夕方に停電を経験したことを長い間忘れていた。夕飯時に停電して、ろうそくの火の灯りでご飯を食べたことが結構あった。ろうそくは欠かしてはならないものだった。けれどいつの間にかそんなことはすっかり忘れていた。
電気があるのが当たり前の日常。オール電化なのに、電気のない生活を想像もしなかった。
今は、電気がなくても暖をとったり、調理したりできるように少し備えるようになった。そして今回の自粛生活の中で、非常持ち出しを点検し、マスクとアルコールティッシュを追加した。
まだ「日常」に戻れていないようなざわざわした感覚がある。でも、「日常」は、いつも少しずつ変化していて気づかないものである。後から振り返って、「ああ、変化していたんだな。」と気づくのかもしれない。