『本好きの下克上』というライトノベルにはまっている。②
『本好きの下克上』の最新刊の中で、本の読み方についての描写が出てくる。「ローゼマイン」(「わらしべ長者」を繰り返し、領主の養女にまで出世した「マイン」の今の名前)は、とにかく多読なのだ。彼女は、一冊の本を繰り返して読んで楽しむという読み方はあまりしない。でも、ローゼマインの側近(領主の養女なのでお付きの人が何人もいる。護衛官もいる。)は、気に入った本を繰り返し読み、その描写を暗唱してしまうような読み方をして楽しむ、というような場面だ。
私は実は、同じ本を繰り返して読むということがあまりない。国語の教科書で、細部の描写を分析して読むことは大好きだ。でも、自分の読書でふだんはやらない。
そういえば、学生の頃。心理学のレポートでヘルマン・ヘッセの『デミアン』を、レポートのためにそういう読み方をしたことを思い出した。とても楽しかった。あのレポートは力作だったと思うのだが、取っておいてもよかったと時々残念に思う。
私がミステリー物を多く読むということもあるのだろうか?(割とすぐに犯人なんか忘れて、読み返すといつも新鮮!なのだが。)
夫は、記憶力が良くて、私が忘れたミステリーの展開をしっかり覚えているくせに、同じ本をよく繰り返して読んでいる。読み直すと前に気付かなかったことに気づいたり、さらに理解が深まるなどと言っていた。どう考えても描写の機微を楽しむというタイプではないが・・・。
夫は、小説の中から、世の中の見えない部分を読むタイプ。そういう傾向の小説が好きだし、そこで得た知識から深く深くネットサーフィンをして、さらに情報を得ていく。
本の読み方にもいろいろあるんだなと改めて気づいた。私はお話の展開を楽しむタイプなのかなと分析してみた。
若いころは、行間を読み込むのが好きだった。それが、正解ではなくとも。高校生の頃は『山月記』にはまった。難解な言葉を自分の側に引き寄せて読み解くことが楽しかった。大人になって『精霊の守り人』にはまった時も話の展開のおもしろさももちろんあったが、主人公「バルサ」の行動や心理描写に引き込まれたことが大きいと思う。自分がまるでその世界の中にいるような錯覚に陥るその文章の巧みさ。
最近は、あまり描写に深入りして読まなくなったんだなと気付く。
さすがタイトルに『本好きの』と付いているだけあるなあと思ってしまった。『「本の読み方」・・・そんな事に言及している小説初めて読んだよ~』と「マイン」の口調で呟いてみる。