1-2 学校からの帰宅
歩く足元をぼーっと見ながら、僕は徒歩25分の家に帰る。今日の出来事が何もなかったかのように飼い猫の"忠太"が甘えてくる。
かすれた声で「ただいま」を言い、自分の部屋に閉じこもる用意を始めた。洗濯物とか知らない。少し横になって考えたかった。
僕はMさんに何をしてしまったのか。
一生懸命に原因を考える。その日の行動、発言、授業態度。何も思い当たらない。それどころか、一言も話していない。席替えをしたばかりで面識はほとんどない。
『何をしたんだろう』
そのことばかりを考えて1時間が過ぎていた。さすがに母親が部屋をノックする。
「おかえり」
「ただいま」
今は何も話したくない。そんな感情を無視するかのように立て続けに話しかけてくる。
晩御飯何食べたい?忠太(飼い猫)がこんな悪さをした。お姉ちゃんが受験間近だから静かにしなさいよ。
どうでもいい。一人にしてほしい。
僕は全てをまとめて『あぁ』回答した。
これ以上の回答は出来なかった。ふてくされたような顔で母親が去っていく。僕はまた、思考の中に帰っていった。
あの時
少し天パーで少し九州訛り、クラスの人気者のO君は至って普通だった。それどころか率先して話しかけてくれた。(今、現在でも良い友人だと思う)
隣のクラスのR君はワーワーと元気よく笑顔で話しかけてくれる。一緒に帰ろうとしてくれた。彼は運動神経抜群でかっこいい。勉強は少し苦手のようだけど、いわゆるモテるタイプの男の子。(会うことが叶ったら謝りたい)
まだ話には出てきていないがT君は頭のいい学級委員タイプ。頭がよく、サッカーもできる。でも僕に話しかけてくれる。フレンドリーな男の子。(先日、会うことができた。面影が残っており笑顔になった)
色々思い出してみたけど、心当たりがなかった。
理由が分かれば改善できる。言葉使いが悪いとか、挨拶をしなかったなど理由さえ分かれば謝ることもできる。けど、全く心当たりがない。
仕方ない、少し寝ようと目をつぶった瞬間、悪夢が始まる。永遠とあの時の光景が繰り返し脳内再生される。
周りの楽しそうな声、手に残る机の感触、給食の良い匂い、目の前で僕を指さすMさん、耳に刺さるあの言葉。そして、胃から這い上がってくる何か。
気持ち悪くなって、僕は寝るのをやめた。水でも飲もう、喉が焼ける。
リビングルームに行く。母親が夜ご飯の支度なのか、器用に煮干しの頭を取り背開きをしてはらわたを取っている。昔はよく手伝ったものだと思い出す。
冷蔵庫から冷えた麦茶を取り出し、コップに注ぐ。喉が焼ける。
僕は何をしたんだろう。
遅かった。こぼれた。麦茶がこぼれた。
涙も
ついに
こぼれた。
母親にバレないように机を拭き上げ、部屋に戻る。
部屋に戻りベッドの中に逃げ込んだ。声を殺し、僕はその日初めて泣いた。
いっそのこと泣き疲れて眠れれば良かったけど、その願いは叶わなかった。
アイボリー色した天井を見ていた。頭の中では永遠とあの光景が繰り返されている。悔しいわけでも、悲しいわけでも、痛いわけでもない。ただ意味が分からないだけだった。
同じ質問を幾度も自分に問いかけ、答えを探そうとした。
秒針の音さえウザイ。
今思えば、ここで適切な相手に適切な相談をすれば解決していたのかも知れない。でも、思春期で親と話さなくなるのは普通のことだ。現に”親に相談しない”と答えた調査結果は40%を超えている。また、30%は”親に心配をかけたくない”と回答してある。子供さえ親に気を遣う。ましてや他人から見たら大したこと無い問題でも、本人にとっては○○国の内紛より、○○で飢餓が発生していることより、はるかに重大な問題だ。誰にも相談しないのはごく普通のことだったのかも知れない。
株式会社マクロミル・認定NPO法人カタリバ協働調査 2018年思春期の実態把握調査より
1時間ほど経ったらしい。姉たち、弟がざわざわとリビングに集まる声が聞こえる。ご飯の時間らしい。僕も呼ばれた。無視するわけもいかなかったので、洗面台で顔を洗う。
何も知らない(知る由もない)家族が食卓を囲んでいる。今の心境では全く笑えないテレビが”私を観て”というくらい赤、青、黄色と明るく部屋を彩る。鮮やかを通り越して気色悪い。食欲もない。
それでもバレないことを最優先にして、口の中に無理やり押し込む。
かなりの量、麦茶を飲んだと思う。しかし依然として喉が焼けるほど乾いている。
胃から下っ腹にかけて知らずに切った切り傷のような痛みの中、何もなかったようなそぶりを家族に見せ過ごす。両親と定型文のような思春期特有の会話を事務的に終わらせ、逃げるように自分の部屋に行く。
手の先まで冷たい。
喉が張り付くほど喉は乾いている。
あの光景が脳内再生される。
飼い猫が「ニャー」と鳴く。
*ネットで先生方が不登校や登校拒否児に向けて言うことに対して僕が思うこと。
○○大学○○教授。○○病院○○院長。小さいころから苦労して勉強して、先生と呼ばれる立場になっています。僕も登校拒否にならなければもしかしたら教壇に立っていたり、CIAで宇宙人を捕まえていたりしていたかも知れない。本当に素敵で、たくさんの子供たち、思春期を迎え子供とも大人とも言えない方たちを救っています。
僕がお世話になった先生(おじいちゃんに見えた)は暴れる僕の手を握ってくれました。何も言わないで良いよ。好きにしたら良いよと、「うっせーな」という大声を耳元で言われてもニコニコして手を握ってくれました。耳が聞こえてねぇのかよとも言いました。酷いやつです。ごめんなさい。
ですので、先生方を悪く言う気は全くありません。むしろ感謝しています。
この場を借りて、、、F先生、O先生、ありがとうございます。
ですが、子供の気持ちに寄り添わない方、見当違いの方がいるのも事実です。
その教授や院長の言うことは素直に聞くのに、なぜ我が子の言うことは聞かないのですか?声にならない声を聞こうともしないのはなぜですか?
自分の子の目線、動作、体温、挙動、言動、表情。教授や、院長先生は我が子を知っているんですか?
くどいようですが、教授、院長先生がどうだこうだっていうことではありません。良い悪いを判断するわけではありません。
ただ話を聞く順番を間違えていませんか?ということです。
うちの子は何も話さない。○○先生はこう言っている。知り合いの○○さんがこう言ってたとか要らないから。まじでそういうの要らないから。
ただ隣で一緒に作業をする、ベランダで一緒に大葉を育てる(なんで大葉なん?)それだけでも良いと思います。何も話さないほうが子供にとって好都合なんです。僕は本当にそうでした。
今、登校拒否児は激増しています。家庭環境、学校の悩み、本当に複雑怪奇な世の中になっています。入ってくる情報量は500倍になっているともいわれています。そんなデジタルの海で書かれた情報より、隣の我が子の声にならない声を聞いてあげてください。
このnoteをご覧になって親御さんや、子供、子供とも大人とも言えない年齢の方が一人でも笑えるようになってほしいです。
*これはノンフィクションです。自分の体験談でお話しております。