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対象喪失の段階とそこに寄り添う形

対象喪失の段階とは自分の愛着していたものや人に対しての喪失とそれに伴って起こる心の変化である。

対象喪失段階について、詳細を知りたい人は心理学者で愛着についての論文で有名なジョン・ボウルビィ(John Bowlby,1907-1990)のモーニング(喪)の四段階論と対象喪失の受容と回復を参照いただきたい。簡単に説明すれば、

それまで結びついていた愛着・依存の対象を失うという『ショック・否認の段階(第一段階)』

どうにかして対象を取り戻そうとする『抗議・保持の段階(第二段階)』

どうにもならない喪失の現実を認めてひどく落ち込む『絶望・抑うつの段階(第三段階)』

最終的にはそれまで強く依存して執着していた対象を失ったという現実を認め、その対象から気持ちが離れて自由な心理状態や新たな対象関係(自己アイデンティティ)を回復していく『離脱・再建の段階(第四段階)』に至る。

上記の他にはエリザベス・キューブラー・ロスの死の受容段階もある。興味のある方は調べてみてほしい。

占い師や聴く人のもとには様々なご相談があるが、その多くを占めるのはこの対象喪失や対象喪失に対しての不安、予期不安が多いかと思う。上記の論文では主に死に別れた後の人の心理から展開されてはいるが、対象喪失とは単に死別のみではない。離婚、失恋、病気や障害によるボディイメージや生活の変化、経済基盤の喪失、引っ越し、転校、異動、就職や離職や退職リストラ、栄転(喜ばしいことでもうつになることがあるのは有名)などなど、慣れ親しんだ自分の愛着しているものから引き剥がされる時、人は多かれ少なかれ上記のような心理的葛藤を持つことがある。そして聴く人のもとに来る。

注意したいのは例えば復縁などがわかりやすいであろうが、失恋して、相手に執着し、その感情を右肩上がりに手放せたり、上記の段階を順を追ってスムーズに移行できるかというとそうではない。行ったり来たり、前の日はもう大丈夫と思ったのに、次の日にはまた思い出してしまうという状況を繰り返す。これを年単位で過ごす人もいるだろう。

執着は手放そうという言葉がよく使われる。確かに、執着はある種の依存ではある。すっぱりと切ってしまえたら楽かもしれない。だが、そこまで執着する過程になにがあるのか、その余白を考えることのほうが私には重要に思える。執着を抱えて生きるのは苦しい。じりじりと自分の心を焼けただれるような重さと苦しみ。だがしかし。そこまで愛着があったという証拠なのではないのか。病むほどになり、ときになにも喉を通らず、よく眠れず、悪い夢や愛着していた人を夢に見て、浅い眠りを繰り返す中で、聴く人に、心の血反吐を吐きながら、希望を手繰り寄せるようにすがりつくこともあるだろう。愛着対象を失って軽く抑うつになる人もいれば、本格的にうつ病を発症する人さえいる。対象喪失をあなどってはいけない。

悩みを抱える耐性という言葉を私はよく使う。依頼者にはそうした耐性をつけていただきたい。私の鑑定でもそれを重視する。だからこそ、個人鑑定ではときに、日を置かないご依頼はお断りすることが多々ある。それは、その苦しさの中で自分が大切にしていたその愛着対象についてよく考えてもらうこと、そしてパニック状態から落ち着いたらその過程をしっかりと辿ってもらいたいからである。そうして始めて、自分が相手に向けていた期待や願望、あらゆる投影を引き戻し、執着と言われるものを手放すことが可能になる。ばっさりすっぱりと器械的に切ることは悪くはないかもしれない。だが、そうすることは多分に同じことを他の愛着対象とも繰り返す可能性は大きい。何度も、同じこと、もしくは違うパターンで異性関係で問題を抱えたりパートナーシップがうまく行かない場合は、この点を抑えるほうが良いと思われる。切り離すのは楽だがそこに自分の人間として、また人生における学びはない。つまり成熟しないということである。

依頼者がこのように対象喪失の過程に向き合うためには、聴く人が同じようにそうした喪失過程を辿れる能力や耐性がなければ難しい。ばっさりきっぱりと切り離すタイプの人は、同じように切り離すことだけをすすめるだろう。つまりは、自分がどれだけ自分の悩みに向き合うことができるのかという内省力と耐性が試され必要とされる。

私はそこをつきつめていきたい。


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