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『推しの子の沖』
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先日『推しの子』の、原作漫画の単行本を、書店で見かけ購入しました。
ランダムに数冊選び、後日また書店を訪れてわかったことに、昨年末に『推しの子』全16巻は完結していたとのことです。
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※本記事のヘッダー画像はこちらのHPより引用しました。
ここ5年程❔流行している真の流行語『推し』です。
最近では、政治界隈の話題にも(主に批評的意味合いを持って)、『推し活』と言われ始めました。
この記事では原作漫画の『推しの子』を中心に、
現代の文化界と日本社会の変遷を辿ります。
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▢推しの子の沖
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◆『にわか推し』が見た社会現象の完結
▼令和の文化界では、『推しの子』にせよ、少し前の『鬼滅の刃』にせよ、それほど長編ではない中編❔作品が、爆発的に広まる傾向があり、
そして上記の両作品は、相当ダークファンタジー的な性格を帯びていることが共通点である、と言えます。特に『推しの子』には、孤独や分断の問題の深まる現実世界の風刺も多分に含まれていますが、
個人的にはこれまでの漫画と違って、そこに読後の悪影響を及ぼすような陰鬱さ[毒書]が存在しないことに好印象を持ちました。
▼また『推しの子』に関しては、ある程度の時代のニーズを意識した、プロジェクト的な性格を帯びた作品なのでは❔という印象です(作者が赤坂アカ×横槍メンゴさんの共作というのも、大ヒット作に関しては比較的珍しい)。
ちなみに、私は1年位前から、『推しの子』の関連グッズを入手したり、noteの記事に写真を盛り込んだりはしていました。
▼他球団ファンや野球に関心のない方は、
『ひとそれぞれに固有の推し』
を当てはめて、『世界にひとつの味の醸成』に『トライ🏉』してもらいたい。
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▼2023年の年末頃には、Seriaで推しの子缶バッジを見かけるも、中身がわからないギャンブル性から、
メルカリで出品されたものを取り寄せたりしていました。
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▼あくまで通りすがりの感想ですが(偏見が含まれる可能性があります)、
前述の通り『推しの子』には、まるで新聞の延長の如く、社会風刺がよく効いているな、という感想をもっています。
それも、2010年代以降に多く出回っている、ほかの比較的雑多な作品とは違い、過度に不安を煽ったりする要素、根暗感はありません。そこはさすが多くの人に支持される大作だと思います。
▼気になったのは分業制❔であることです。また、ネット化社会といえども、作品の成長は旧来通り、マスメディア主導であるということ。
集英社から企画・出版され、テレビアニメ放送、映画化などの道を辿りました。
逆に言うと、YouTubeなどは依然として警察沙汰となる様な、悪戯動画が蔓延る現状が続いています。各メディアの在り方は、このまま推移するのでしょうか。
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🐶2020年代の『推し』論
▼SNS時代において、主に男性アイドルグループの応援を指し示す際に用いられ得る『推し(活)』という言葉は、これまでの文化的な現象とは一線を画している気がします。
それは時代の変遷を反映した、新たな形でのことばの創造と普及であると思います。
たとえば昭和のチェッカーズや平成のSMAP、嵐に対し、特段の応援専用語は創造・使用はされてきませんでした。そこでは単にファンと応援の存在があるのみでした。
これは近年、広告等で女性が『僕』と言うことなど、あらゆる方面で一種の平等の達成、中性化が為されたことと、無縁ではないと思います。
そしてここに良い事と同じ量の、その弊害ともいうべき現代社会の諸問題、孤独や分断の進展も関係していることは、引き続き注視されるべき事象です。
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🐬『推しの子』完結
▼単行本の『最終話』の実際について、『推しの子』16巻のオマケマンガ(あとがき)より引用します。
2024年という時代の流れを的確に汲み取った、なにか大切なことを考えさせられる銘文です。
尚、文面から、女性(横槍メンゴさん・作画担当)が書いた文章だと想像されます。
📖
※ ⇩以下、あとがきではありますが、ネタバレを含みます。
🌳
誰かを愛したい 我々人類は残念ながら
そんな厄介な感情を生まれもってしまった
誰かを愛するのが こんな難しい時代にさ
皆一人ぼっちで 誰かと関われば傷が増えて
愛する対象が見つからない時代の中で
やっと見つけた愛せる対象を
『推し』と呼ぶんだろうね
(中略)
幸せになって欲しいって思ってる
あなたに 本当にさ
(中略)
私はここに 愛があると信じるよ
あなたと
あなたの推しに幸あれ!
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◆90年代から2010年代の文化
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▼思うに、1980年代の『ドラゴンボール🐉』や『ガンダム🤖』などの作品には、当時圧倒的な新しさを背景にした、極めてシンプルで活郎な構成が見て取れます。
それより以前の『鉄腕アトム』や『サザエさん』、『ドラえもん』、『ウルトラマン』、『宇宙戦艦ヤマト』等が、上記作品よりも良い意味でさらに単純な造りであることは、言わずもがなであると思います。
▼それとは打って変わって、90年代の世紀末に製作された『エヴァ』が精神病理をメインテーマにした作品であり、それが社会現象化したのは、今思うとどう考えられるでしょうか。
庵野監督も、ご自身の重い病を公表されていますが、そんな彼が昭和をリスペクトした『シン・ゴジラ』や『シン・ウルトラマン』シリーズを打ち出しているのは、平成という時代全体へのアンチテーゼなのだと考えられます。
▼ところで、2010年代以降の映画『君の名は。』や『天気の子』などの新海作品には、世紀末の文化に特有の思想のようなものが、多分に含まれると思います。言うなれば90年代の延長的なメッセージ性が、そこに強く感じられます。
それ一辺倒ではだめだという警鐘、未来への希望の意味合いをもつ作品なのだとも思いますが、個人的には、退廃的な耽美主義のような印象が、大きく先行して記憶に残っています。
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◆1980年代がアイドル文化の黄金期
▼私は90年代生まれのため、昭和の情勢には疎いのですが、1980年代はアイドル全盛期だったと聞きます。
前述の通り、アイドル全盛期には『推し』などの応援用語はなく、当時は単にファンクラブの存在のみがありました。
先述の通り、個人的には、『推し』という用語等には、現代の良い面に加えて、悪い面も反映されていると考えます。
▼2025年大阪万博以後、時代が平成不況から転換するときには、昭和の、特に1980年代の空気質を理想として社会が形成される必要があるのだと思います。
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▢菜の花の沖(歴史ファン向け)
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▼この記事の表題は、司馬遼太郎さんの代表作『菜の花の沖』から着想したものです。私の推し活は司馬遼です。
彼の命日、二月十二日は『菜の花忌』と呼ばれていますが、それは司馬遼太郎さんが生前、野に咲く黄色の花を好んだことに由来しています。
また菜の花が二月に咲くこととも関係していると思います。
▼『菜の花の沖』の主人公、高田屋嘉兵衛は江戸時代、1769年から1827年における生涯を、北日本の海運の発展(広義の領土拡張)や、ロシアとの外交問題の解決に捧げた人物です。
彼は菜の花が特産の、淡路島出身の商人でしたが、その表題は、その菜の花が見渡す限り咲く二月頃の光景と、早春における北海道の沖合の景色とを重ね合わせたものだと思います。
▼より具体的には、高田屋嘉兵衛は北海道・函館に拠点を置き、国後島と択捉島間の航路を開拓しました。
また、当時北海道に進出し、江戸幕府と紛争を起こしていたロシアに拿捕・連行されるも、両国間の交渉を受け持ち、
日露間の『ゴローニン事件』を解決に導いて、その後の幕末における日本の外交の建設に多大な影響を与えました。
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Amazon.co.jp: 菜の花の沖(三) : 司馬 遼太郎: 本
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▼『菜の花忌』の季節柄、関西の『newsランナー』では先日、司馬遼太郎記念館が特集されていました。
館内は撮影禁止であるとのことですが、記念館の建設後間もない頃、天井のコンクリートに坂本竜馬そっくりのしみができたことは、『newsランナー』でも放送されていました。
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また、司馬先生の頭の中を再現したという書架をはじめ、館内は撮影禁止とのことですが、検索すると普通に写真が出てくるのですが。どうしてでしょうか❔
|安藤忠雄が設計
記念館最大の売り物が、巨大な書架だ。地下から3層吹き抜けで見上げる壁面を、約2万冊が埋め尽くす。これでも全蔵書の3分の1にすぎないというが、群書の壁は、戦国時代や幕末を舞台に群像が織りなす人間模様を描く司馬の作品世界と、どこか重なる。
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▼また、この記事の表題以外にも、これまでの記事の要所で、何度か司馬さんの独特な表現法をまねて使用してきました。
以前から司馬遼の記事を書きたいと言っていますが、改めて構想すると、色々考え、なにを書くべきか迷います。
安易には手を付けられずにいますが、この記事の結びも、司馬史観を真似して書いた表現方法によって締めくくります。
※ただの駄文ですが、今後推敲していきたいと思います。
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〘あとがき〙
その時代、社会を形成した人々の熱量と、その間を覆い、埋めた空気質のようなものは、
大型書店の書架から、各個人の部屋における本棚まで、遍く行き渡った漫画本の表紙、中身にも、
当時と同じ様な精度・濃度とコクをともなって、各時期を描いたページをめくる人の手前に、立ちあらわれる。
この平成・令和初期の、様々な意味での『寒冷期』における大衆文化の中の愛や夢との温度感とは、
近代の政治経済がおちいる谷間に特有の冷え方、乾燥の仕方である、といってもいい。
むろん、この国の世紀末に存在したビルの谷間では、想いつく限りの、
ありったけの異常現象が、ブラウン管や雑誌刊行において ふんだんにパッケージングされてきた。
昭和の熱量ある、
シンプルな日本人気質におけるSF趣向のみで あらゆる政策や生活とが完結していた
ガンダムの世は、
いまではずいぶんと遠く、時代の沖合にある。
1990年代以後の、不要な問題を煽り続けるだけの不条理趣味の反省が、
将来の推進として蓄積・利用される 和やかな前提舞台上においては
21世紀の沖には、そういった未来社会が、当時とおなじような光深度をもって、
どこまでも暖かく、燦々とひかえていると、期待できる。
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