誰かを想うこと、文を紡ぐこと
二月の中旬に、普段はあまり連絡の取らない友人から「文章を寄稿してほしい」と依頼があった。内容は、友人が春に制作する予定のZINE(個人で制作する本のこと)に私の文章を載せたい、というものだった。
この友人は高校の同級生で、同じクラスだった当時はそんなに喋らず、でもお互い好意的には思っていたし、すれ違ったら笑顔で挨拶はする。そのくらいの仲だった。相手が控えめなタイプだったのもあると思う。卒業して以来連絡をとっていなかったのだが、共通の後輩を経由してSNSで繋がり、十年ぶりにダイレクトメッセージで挨拶をした。それからは直接は会わないけれど、お互いのエッセイや日記の文章を読みあうという、不思議な関係だった。
そんな彼からの依頼だった。私はとても嬉しかった。依頼を受けた時は外出していたので、家に帰ってから早速本文を書こうと思い、パソコンの前に向かった。ふっと友人のことを思い返そうと、自然に目を閉じていた。
どんな人だっただろうか。細身で背が高かった。何を話していただろうか。なんとなく、窓の外を見ていることの多い人だった気がする。おだやかだけれど、いつもどこか緊張しているように見えた。私の幼馴染と仲がよかったので、幼馴染から聞いた「いいやつだよ」という言葉も反芻した。色だったら、薄い水色と薄い橙色どちらも思い浮かぶ。たまに眼鏡をかけていた。本を小脇に抱えていることが多い人だった。自分からはあまり話さないけれど芸術選考が音楽で、意外だなと思った記憶がある。おとなしい人は音楽が苦手、という私の偏見をそっとなくしてくれた人だった。対話以外の自己表現が好きだったのかもしれない。初恋の話も幼馴染からこっそりと聞いてしまっていた。勝手に聞いてごめん、と心の中で謝った。
キーボードを打つ指先が自然に動いた。思い出はあまりないのだけれど、相手のことを思うと湧水のように言葉があふれて、一時間ほどで書き上げた。まだまだ推敲の必要があるとはいえ、骨組みとしては納得のいく内容になった。今までこんなにすらすらと文を紡いだことがなかったので、驚く。誰かを想うこととは、こんなに力のあることなのか。
今までは自分や過去の自分を想って文章を書くことが多かった。でも、もしかしたら、今なら誰かに思いを馳せて文章を書いてもいいのかもしれない。そんな時期が来たのだと思う。文章はすぐにできたけれど、四週間ほど自分の中であたためてから提出した。彼はメールで「依頼してよかった」と書いてくれた。私は自分の想像よりも素敵な文章が書けたことに、驚きと嬉しさと、ちょっとだけ、気恥ずかしさを感じていた。
発信しつづけるということ。自分のことを開示すること。誰かを想うこと。この文章も地球の外、宇宙の遠い星から見たら点以下のちっぽけなことかもしれない。それでも発信していく。それが、誰かを、何かを動かすと信じている。